落合さんはことあるごとに私を呼びに来た。彼女は隣のさらに隣のクラスのA組だという。

「落合さんって進学クラスなんじゃん」

「ああまあはい、そうともいいますね」

「勉強は?」

「ほどほどに」

「ほどほどっていうけどさあ」


屋上へ続く階段の途中に腰掛けて、私たちは尊の話をした。
尊の話をできる人は、落合るみのほかに居なかった。

ほかの人は、尊と別れた私を哀れんで、腫れ物のように扱うから、私は居心地も気分も悪くてどうしようもなかったのだ。
私と落合さんが距離を縮めていくのに、そんなに時間はかからなかった。



 彼女はスマホをスクロールしつつ「ロクブルノート」に情報を書き込んでいく。データ採集に余念がない。

「あ、小鳥遊尊のブログ、更新されてますよ」

「え、ほんとほんと?」

落合さんは眼鏡をきらんと光らせてスマホを私に見せてくれた。



『レッスン後のひとこま (小鳥遊尊)』


『ダンスレッスン終わり! やっぱり踊りは苦手だけど、必修科目だと思ってめちゃ頑張ってます! 早くお披露目できるようになりたい! たける』



「頑張ってるんだなぁ……」

 思わず漏れる言葉に、落合さんがうんうんうなずいた。

「ロクブルのまぶしさはこの未成熟なアイドルたちが花開くまでの頑張りにありますからね」

「……ちょっと何言ってるかわからないよ、落合さん」

「要するに頑張る姿がまぶしいってことです」

「頑張る姿が、まぶしい」


 私はおうむのようにつぶやいて、彼女にスマホを返した。その時、タイミング良く私のスマホが震える。

「あ、なんかきた」

 見ると、尊からだった。顔が緩みそうになるのをこらえる。

「……どうしました? にらめっこですか」

「なんでもないよ、家族からくだらないメールが来ただけ」



『いちご、会いたいけど無理そう。今晩電話してもいい?』

 私はメールを何度もなんども読み返した。そして秒で返事を打った。

『うん、いいよ。楽しみにしてる』



 その晩、宿題をさっさと片付けた私は尊からの電話を待った。
お風呂にも入ったし、逢うわけでもないのに色つきリップなんか塗ってしまった。

「なにやってんだ、いちご……」

 鏡を見て、肌のきめとか確認して、うなずいて、……電話なのにな、と思いながらもわくわくして。久しぶりに尊の声が聞ける。久しぶりに会話できる。


 それがうれしかった。


 着信音はお気に入りのポップス。鳴った瞬間に通話ボタンを押す。

「尊!」

『いちご、元気か』

「元気だよ。尊は?」

『ちょっとおつかれ気味かな。……いま、家についたとこ』

「お疲れ様。いろいろ、大変そうだもんね。アイドルって。……順調?」



 ちょっとの間があった。だけど尊は、明るい声で言った。

『順調にきまってるだろ。……でも、おつかれだから、いちご、甘やかして』

「甘やかすって、どうやって?」

『俺が喜ぶこと言って』


 尊の声が甘えたになる。私は少し考えてから、素直に聞いてみた。

「喜ぶことって、たとえば?」

『言ってほしいこと教えたら、癒やしにならないだろ』


「す、すきだよ尊」

『もっと』


 ねだるみたいな、声。


『もっと甘やかして』

「……あいたいよ、尊。逢いたい。いますぐ」

『……うん』


悩ましい吐息。私まで、ふわふわしてくる。


「手をつなぎたい。デートしたい。一緒に水族館に行きたい」

『……しばらく、無理かも』

「たける」

『うん』

「……それでもすきだよ、だいすき」

『うん』

「たける、すき」

『俺も好き』


 電話の相手が、アイドルの「小鳥遊尊」だってことも忘れて。私は幼なじみの田中尊のことだけ見てた。


『いちご、愛してる』


「あ、あ、……あっ?」


――愛してる、だって。

顔が真っ赤なの、ばれてるかもしれない。

電話の向こうの声が小さく笑った。


『はは、かわいい……俺の彼女、めっちゃかわいいし、最高の癒やし』


「尊、癒やされた?」

『うん、めっちゃ癒やされた』
 

私たちは夢中で話をした。時計の針が十二時をまたぐまで。ずっとずっと話をした。

私は、隣に尊が居るような気さえしてた。

隣で、手をつないでるような気がした。