――(たける)くん、アイドルになるんだって。

 お母さんにそう言われたとき、私は目の前が真っ暗になった。
「えっ」

 手からぽろっとシャープペンが落ちて転がった。私の心臓は、どっか行った。心臓が止まるってきっとこういうことを言うんだ。

 お母さんは目を丸くした。

「あら、いちご(・・・)。てっきり尊くんからもう聞いてたと思ったのに」

「き、きいてないよ」
 くちびるがふるえた。何かを責めたいような気持ちが、ふつふつと心の底でわきあがって、沸騰寸前のお湯みたいにぼこぼこうなった。

「尊、オーディション、決まったの?」

「そう聞いたけど……」

 私はたどたどしく答えるお母さんを横目にスマホをフリックする。遅れてやってきた焦りみたいな感情は、どす黒く私の心を染めていった。

『オーディション、受かったの?』

 すぐさま電話がかかってきた。私は震える指で通話ボタンを押す。

「うん、受かったよ、いちご。……誰から聞いた?」

「お母さん」

責めるような口調になってしまうのは、仕方ない。と思う。思いたい。

「ったく。おふくろ、話すの早すぎだろ。まだ合格通知来てから五分も経ってないぞ……」

 声音から、尊の苦々しい顔が想像できた。私はそれだけで、尊のことを全部許してしまう。

「――よかった。ずっとアイドルになりたいって言ってたもんね」

「勘違いするなよ。おふくろはそこに居合わせたから知っただけであって、最初に報告したかったのは……」

「わかってるよ、尊」

 野宮いちご。十七歳。

 幼なじみ、兼……恋人の尊が、ずっと目指していた、アイドルになる夢の、その一歩を踏み出しました。