ジャズのミュージックが流れるスナックあじさいで、ママは大きな氷の入ったグラスにウィスキーを注いだ。
 カウンターに座る千晃先生は、腕を枕にして酔ってぼんやりしていた。小皿に入っていた枝豆がまだ残っている。

「千晃ちゃん、珍しいね。彼女いない期間長いんじゃない?」
「……まぁ、そうですね。片想いが長いみたいで……」
「うそ、モテるのに? いろんな人から声かかっていてどんな女の子がいいのよ」
「高嶺の花っていうか。好きになっちゃダメな人を好きになって……」
「……危ない橋渡ろうとしてる?」

 ママは、千晃と目線を合わせて、じっと見つめる。浮き上がった前髪を直してあげた。

「あんたも苦労する方行くのね。前の彼女も、同じでぎりぎりなとこだったわね。既婚者だし」
「あーーーー……それ、言わない約束!」

 酔いが覚めそうになった。ママの顔を指をさした。

「叶わない恋ばっかり。そろそろ、落ち着いたらいいじゃない」
「そ、そんな。波乱万丈なママに言われたく無いっすよ……むにゃむにゃ」

 急に眠気が襲い、座っていびきをかいて寝始めた。

「飲みすぎよ。まったく。体壊すわよ。こんなところで寝てたら」

 ママは、座って眠っている背中にブランケットをかけていた。
 グラスの氷が溶けかかってカランという音がだけが響いた。今日は千晃以外のお客さんは来てなかった。ママは、店の外の札を「OPEN」から「close」に変更した。カラオケのテレビ画面のスイッチを消して、音楽だけ流した。食器を静かに片づけ始めた。いびきをかいた千晃以外の客はいない。店の中はとても静かだった。

 酔いがさめたのか急に千晃は、目を覚ました。腕時計を見ると、時刻は23時を過ぎていた。

「おはよう。よく眠れた? だいぶ飲みすぎてたみたいね」
「あ、すいません。俺、眠っていた。お客さん、大丈夫でした? いびきうるさくなかったかな」
「……閉店にしたわよ。あなた以外誰も来る気配なかったから」
「あー、それは営業妨害してしまいましたね」
「あなたのせいじゃないわ。ただ、休む時も必要かなって思ってね」
 
 洗い終わったグラスを棚に戻した。千晃は、財布からお金を出して、カウンターに置く。

「酒しか飲んでない。せっかく出してくれた枝豆も食べてないや。これ、お土産にいいですか」
「今、持たせるから待ってて。会計は飲み物代だけでいいわ」
「……あ、ありがとうございます」
「はい。どうぞ。枝豆ときゅうりの塩こうじの漬物。しっかり食べな」
「助かります」
「付き合い長いからね。良いのよ、気にしないで」
「……俺って、ママからどう見えるですか」
「うーん、お人よしすぎるわ。もう少し自分のこと大事にしたら?」
「……お人よしか」
「ほらほら、明日も仕事でしょう。しっかり寝なさい」
 ママは千晃の背中を押して、送り届けた。
 店のドアをバタンと閉めた。
 ジャケットを羽織ると、外に見たことのある人がいた。
 駐車場の車のそばにぼんやりと立っていた。

「白崎……」

 自転車を横にサンダルにシャツにハーフパンツ姿だった。夢じゃないかを確かめた。

「こ、こんな夜中に何してるんだよ。自宅から結構な距離あるだろ」
「……先生に返さないといけないって思って、さっき自宅行ったらいなかったので、ここかなと思ってきました」

 自転車のハンドルを握りしめ、汗をかいていた。愛香は、紙袋を千晃先生に渡す。

「そんな、今じゃなくたっていいだろ。こんな夜中になるまで……」

「もう、家に帰りたくないんです」
 感極まって突然涙を流しながら愛香は、言う。

「え、そうなのか……って言われても俺に何ができるって……」
 
 千晃先生は涙を流す愛香の背中をなでて落ち着かせた。お酒を飲んで車を運転できなかったため、愛香の自転車を押しながら千晃先生の歩いて自宅に向かった。終始、愛香は下を向いて何も話すことはできなかった。だが、千晃先生の服のすそはしっかりと握りしめていた。

 真っ暗な夜空には淡月が輝いていた。