「ねぇ、千彩。お母さんのとこ、一緒に行く?」
「うん!」
「良し、じゃあ行こう」
「行こ〜!」
千彩を抱っこしたまま、部屋出て、エントランスホールに繋がるサーキュラー階段を降りる。
その下には複数人の使用人が控えていて、千陽が千彩を抱いたまま、階段を降り終えると、サッと千彩に帽子を被せ、日傘を手渡してきた。
恐らく、母さんとの会話を聞いていたのだろう。
「ありがとう」
お礼を言って庭に出ると、側仕えと楽しそうに談笑しながら、お茶をする母親が見える。
「─母さん!」「ママ!」
千彩を下ろすと、千彩は少し大きめの帽子を押さえながら、母さんの元へ一直線。可愛い。
「あらっ、千彩も来たの!おいで〜!」
あっという間に母さんの元について、しゃがみこんで腕を広げていた母さんの腕の中に飛び込む千彩。
「ぎゅ〜!」
可愛いと人気の母さんと、可愛い末っ子が抱きしめあっている。側仕え達は優しい表情を隠しきれず、笑っている。
父さんが後で悔しがるだろうと思いながらも、この光景を写真に収めていない方が怒られる可能性が高いため、千陽はスマホで写真を撮る。
それを仕事中であろう父さんに送っておく。
─ピロン♪…………即レスである。
仕事で発揮して欲しい速さだなと呆れつつ、トークを開くと、ただ一言。
『あと100枚以上撮って送りなさい』
─仕事する気はあるのだろうか。…まぁいいか。
父さんの家族バカは今に始まったことじゃないし、程良いところで、父さんの秘書が怒って止めてくれるだろう。
他力本願で、2人が仲良しな場面を撮り続ける。
すると、それを見兼ねたのか、
「千陽様、こちらへ」
と、使用人がガゼボの下にクッション付きの椅子と、冷えた飲み物を用意して声をかけてきた。
「あっ、ごめん。ありがとう」
「いえ。日傘が意味なしていませんでしたので……」
「だって、影が出来るんだよ。折角の可愛い写真に。怒られちゃうよ」
「あら、また旦那様ですか」
「ええ、そうです。一応、橘の当主です」
さっきの返信からは信じ難い話ではあるけど、それが真実であり、嘘ではないのだ。
「旦那様は相変わらずですねぇ」
「冷酷って言われてるの、僕からしたらほんとに笑えるよ〜お祖母様譲りの優しい容貌とのギャップが凄いとはよく言われてるけどさ、実際はそんな事ないじゃん?」
「仕事においては、とても冷酷さを発揮しておられるようですよ。夫がそう言ってました」
そう言ってニコニコ笑う使用人の梓は、父さんの秘書の妻であり、この家の筆頭使用人。
千陽以上に両親を見て、支えてきた人。
「……まぁ、お祖父様のように不器用な人間じゃなかったからこそ、母さんを守り抜けたとも言えるんだろうけどね」
お祖母様は優しく強い人だった。
一方、お祖父様は愛想も無く、無口で、冷酷で、容貌は彫刻のようで……春の橘家のはずなのに、冬を体現しているような存在だった。
自分の気持ちよりも、家を優先する冷血漢。
外で噂される父や千景なんて、張りぼてだ。
本物の冷酷な人は、お祖父様みたいな人を言うのだと、千陽はよく知っている。
お祖母様は外部の人間で、“四季家”の関係者ではなかった。
何より、常に家名を優先してきた祖父が求めた相手が、外部の人間だった時、国の上部や“四季家”の全体には動揺が走った。
そして、お祖母様を全体で攻撃した。
どんなにお祖父様が守ろうとしても、手遅れになることだってあった。限度を知らない虐めに、最終的にはお祖父様はキレ、全てを放り捨てて、攻撃してきた相手は斬り殺そうとして。
剣道の上段者である祖父は、真剣を使うのもかなり上手で、理性を無くすほどに怒った祖父を止めたのは、祖母。
『─私、子どものお父様が居ないのは嫌ですよ』
祖母は妊娠していた。それなのに、それを表に出すことなく、虐めに耐えていた。
祖母だけが虐められていたならば、対応が違っただろう。それだけ、“四季家”は特別な存在だから。でも、お腹には子供がいた。
祖母の子供、つまりは、祖父の子供。
立派な“四季家”の、春の後継者となる者が。
─これは、“四ノ宮家”の怒りを買った。
それからは、話が早かった。
祖母を虐めていたもの達は、この国から追い出され、祖母は子を産んだ。それが、父だ。
追放された者達によって、苦い思いをさせられていた人間は他にもいたそうで、多くの人が祖母に謝罪をしに来たが、祖母からしたら、『何の話?』という感じだったらしい。
父が母と結婚すると決めた際も、祖父母は当然ながら反対しなかったし、味方でいたという。
周囲に興味がなかった祖父を射止めた祖母は、初対面の時に祖父に対して、
『貴方は、春の木漏れ日みたいに暖かい人なのにね』
と、微笑んだらしい。それで、祖父は落ちた。
祖父は今なおも、その出逢いを忘れられず、祖母を深く深く愛している。
そして、祖母も祖母で、祖父を愛してる。
一緒になる前も、一緒になった後も、祖父がどんなに無口で、周囲から恐れられようが、ずっと優しく微笑んで、祖父の味方であり続けている。
自分の気持ちを素直に伝える方法を教えて貰えない家庭で育ってきた反動で、祖母に「好き」のひとつも言えなかった祖父は、祖母からの「愛している」という言葉に、漸く、想いを吐き出した。
祖母が自分からぶつかる人じゃなかったら、千陽は生まれていないのだ。
一方、父は自分の運命だと思った母さんを、ひたすら口説き落とした。
会う度、いや、会う頻度を色々な手を使って増やし、母さんを掴まえた。
天然というか、どこか抜けていて、ほわほわしている母さんを今でも溺愛している父さんを見ていると、千景は大丈夫かな、と、不安になる。