「…そっちが素ですか?」
「?」
「俺、の方」
敬語が似合わなかったわけじゃないが、やっぱり、千陽さんとは雰囲気が違う。
研ぎ澄まされた氷のような雰囲気を纏う彼に敬語は、どこか圧を感じてしまう。
「…千陽と違って、圧を感じられやすいから。俺のめちゃくちゃな契約結婚に了承してくれた人ということだし、千陽を真似してみたんだ。でも、やっぱり、あの穏やかさは付け焼き刃で出せるものじゃないと実感したところ」
「まぁ、あれは千陽さん特有の雰囲気でしょうし。貴方の本来の話し方でも、貴方特有の優しさが感じられますし、貴方らしくて素敵ですよ。そうやって無理に自分を合わないことに合わせようとせずに、貴方なりを追求しても良いかと」
人にはその人なりの良さがある。
この人は他者を慮って、自分を変えようとした。
その努力が出来る人はそういない。
「……そんなこと、初めて言われたよ」
「ええ?」
そう思っているが、世間は違うのだろうか。
彼みたいな立場の人間は、朱音とは違って、求められることも高度なのかもしれない。
大変な身の上だ。だからこそ。
「契約結婚の期間くらい、私に出来ることはさせて下さいね。学ぶことも沢山あるでしょうが、私に出来ることは何でもするので」
「お前は大学に行って、自由に日々を楽しんで過ごしてくれたら…」
「駄目ですよ。今回の契約結婚は互いに利益があるものだと踏んだから、お受けしたんです。千陽さん曰く、そこそこの血筋で契約結婚なんてものに腹を立てることが普通だそうですが、生憎、両親を亡くして長いもので。契約結婚に対しての嫌悪感もありません。利用できるものは、何でも利用してください。この婚姻において、最後の時に貴方の役に立った実感が、私もひとつくらいは欲しいです」
これは、朱音のわがままだ。
橘家の後継者である千景様にこのような口を利くなんて、あとで罰せられても致し方ないが、自分だけが得をするつもりは無い。
「……わかった。ありがとう、朱音」
怒られる覚悟だったが、彼は柔らかく微笑んだだけだった。少し拍子抜けしたけど、彼の微笑みは優しくて、千陽さんとは違った安心感を得る。
その後、私達は此度の契約結婚に際し、住む場所などの話を進めた。
契約結婚だから、身体的接触は不必要。
だが、世間的に夫婦でいなければならないので、共に住むことは必須。
「マンションを借りようか。朱音が通うことになる、大学の近くに」
「現在の住まいは、御実家ですか?」
「いや、仕事によって行き来してる感じかな」
「なるほど……私は千景様に合わせます」
一先ず、火神に帰らなければならないが……考えるだけで、具合が悪くなりそうである。
大切なものなんてあの家には置いておらず、ふたりの形見はふたりの親友を名乗る人物が預かってくれているという。
ふたりのお葬式の時は悲しくて悲しくて、涙が止まらなくて、ふたりの遺骨とかに関しても頭が回らなくて、抱き締めてくれたとある大人の、お父さんとお母さんの親友を名乗る男性に全てを任せてしまったが……。
「……とりあえず、名前呼びからだな」
「え?」
つい考え事を始めてしまっていた朱音は、彼からの指摘に目を丸くした。
「夫婦で、様付けはどうかと思うぞ」
「…………それもそうですね」
あまりにも自然すぎて、何とも思わなかった。
そもそも、朱音の身分で宗家たる家の人間と対面で話すことなんてなかったから、名前呼びなんて恐れ多くて仕方がない。