○向坂高校、非常階段(その日の休み時間)

 教室から離れた、人気(ひとけ)のない非常階段。わざわざ校舎の端にある階段まで来る生徒は少なく、シンと静かだ。
 休み時間、ひな乃はそこへ陽太彼女を連れてきた。
 警戒する陽太彼女に、ひな乃は突然頭を下げる。
 
ひな乃「斎藤陽太の彼女さん……!
    あの、今朝はありがとう」
陽太彼女「は……何のこと?」
ひな乃「びっくりしたけど嬉しかった。あんなふうに
    庇ってもらえるとは思わなかったから」

 ひな乃は陽太彼女に笑顔を作った。
 そんなひな乃の笑顔を受けて、陽太彼女はそっぽ向く。(照れ)

陽太彼女「庇ったつもりは無いけど。
     だって本当なんでしょ? 彼氏」
ひな乃「ま、まあ……」
   (彼氏じゃなくて、フリだけどね……)

 少し罪悪感もあるが、信じてくれたことがひな乃は嬉しかった。思わず顔がニヤケてしまう。

陽太彼女「――ついでに、三門さんには報告するけど
     私、別れたから」
ひな乃「えっ?」
陽太彼女「陽太と! 別れたの!
     こないだ三門さんが言ったんじゃん!
     アイツみたいな奴と付き合ってたら
     もったいないって!」
ひな乃「う、うん、言ったね確かに」

ひな乃(覚えててくれたんだ)

 陽太彼女のツンデレっぷりに、キュンとするひな乃。
 
陽太彼女「別れ話したら、
     陽太ってば言い訳ばっかりしててさ。
     三門さんの言ってたとおり、
     最低な奴だって……やっと目が覚めた」
    「あんなくだらない男相手に悩んでたのが
     ほんとバカみたい」
ひな乃「うん、うん、ほんとそうだよ!」
   「斎藤陽太の彼女さんなら、もっといい人
    見つかるよ……!」
陽太彼女「だから、もう陽太とは別れたんだってば」
ひな乃「あ、そっか。じゃあなんて呼べば――」

 恥ずかしながら、ひな乃は陽太彼女の名前を知らなかった。これまで同級生達と関わることなんてほとんど無かったから。
 
真衣 「真衣(まい)相原真衣(あいはら まい)だよ」
ひな乃「……真衣ちゃん?」
真衣 「あのさあ! 同じクラスなんだから、
    女子の名前くらい覚えときなよね!
    三門さんが孤立するのはね、
    そういうとこも原因だと思うよ!」
ひな乃「そ、そだね……ゴメン」
真衣 「謝らなくていいんだけど!」
ひな乃「う、うん。私も、ひな乃でいいよ……!」

 女子同士、こんな風に下の名前で呼び合うなんて初めてだ。
 むずむずとして、照れくさくて、嬉しい。
 どうしても顔は緩んで、ひな乃は嬉しさを我慢できなかった。


○引き続き、非常階段にて(休み時間)

 階段に座り、話し込む二人。
 真衣は今朝の話を掘り下げる。

真衣 「ひな乃の彼氏ってどんな人なの?」
ひな乃「えっ」
真衣 「目撃されたの、彼氏なんでしょ?
    イケメンと、地味男と――
    本当のところはどっちなのよ」

 真衣からじーっと見つめられる。
 彼女はひな乃の()()に興味津々のようだ。

ひな乃(イケメンと、地味男と――)
   (同一人物なんだけど。どうしよう)

ひな乃「し、知りたい?」
真衣 「知りたいよ。こんな美少女の彼氏、
    どんな男なのか見てみたいくらいだし」
ひな乃(その男、クラスにいますよ……)

 窓際で気配を消すメガネ姿の倉多を思い出し、ひな乃は思わず笑ってしまう。そんなひな乃を見て、真衣は僅かに頬を染めた。

真衣 「高嶺の花もそんな顔するんだね」
ひな乃「えっ。私のこと? 変な顔してたかな!?」
真衣 「違くて。恋してるんだなーって思った」
ひな乃「恋……」

 そんなつもりが無かったひな乃は固まった。

ひな乃(私、恋……してるの?
    倉多くんに??)

 動揺を隠せないひな乃。
 
ひな乃M(助けてくれてときめいた。
     話していてほっとした。
     手を繋ぐとドキドキした。
     キスされても嫌じゃなかった。)
ひな乃M(何より、もっと倉多くんのこと、
     知りたいと思った)
 
 どんどん、顔が赤くなっていくひな乃。
 そんなひな乃を、真衣は微笑ましげに眺めた。 
 
真衣 「彼氏は幸せ者だね。こんなに愛されて」
ひな乃「あ、愛……!」
真衣 「ねえ、どんな人なのよ?」

 真衣はグイグイと探りを入れてくる。
 ひな乃は照れつつ、倉多と過ごした時間を思い返した。
 
ひな乃「……とにかく優しくって」
   「大切にしてくれて」
   「話してると安心して」
   「でも、手を繋ぐとドキドキして……」
真衣 「やば、ピュアすぎる」

ひな乃(私、倉多くんのことが好きなんだ――)

 やっと気持ちに自覚を持ったひな乃。
 思わず、高鳴る胸を両手で抑える。



○休憩時間が終わり、教室にて(授業中)

 教室では、数学の授業が進められている。
 ひな乃はノートをとりつつ、どうしても窓際に座る倉多が気になってしまっていた。

 相変わらず、黒縁メガネにボサボサ頭。制服も、地味を装った芋っぽい着こなし。今日も教室の空気に溶け込んで、極限まで気配を消している。

ひな乃(だけど……
    なんか今日、シュッとしてる気がする)
   (襟足も、かっこいい気がする)
   (眼鏡の隙間から素顔がバレそうな気がする)
   (もし……隣の女子が倉多くんのかっこよさに
    気づいたら――?)

 ついに、ダサ眼鏡姿の倉多までかっこよく見えるようになってしまったひな乃。彼だけが特別に見えて、ついモヤモヤしてしまう。

ひな乃(私、どうしちゃったの?)

真衣『恋してるんだなーって思った』

 休み時間に、真衣から言われた言葉を思い出す。
 たちまち、頭の中がピンク色に爆発した。
 
ひな乃(これが、恋……!)

 教室にいても、廊下にいても、校庭にいても、ひな乃の目は倉多のことを探してしまう。
 そして彼のことを見ていると、必ずと言っていいほど倉多はひな乃の視線に気付いてくれて。誰にもバレないように、こっそり微笑んでくれるのだ。

 ひな乃と目が合い、嬉しそうに微笑む倉多。
 けれどこっそりと盗み見ていたのが恥ずかしくて、ひな乃は不自然に視線を逸らしてしまう。

ひな乃(あ……今の、感じ悪かったかも……)

 取り繕いたくて振り返ると、もうそこに倉多はいなくて。
 ひな乃は自分の不器用さにガックリと肩を落としたのだった。



○向坂高校、校門(下校)

 放課後。
 ひとり、とぼとぼと歩くひな乃。
 
ひな乃(どうしよう)
   (私、今日一日中感じ悪かったかも……!)

 結局、ひな乃は倉多と目が合うたびに逸らし続けてしまった。彼は、様子のおかしいひな乃に何度も話しかけようとしてくれているのに、ドキドキしてしまってまともに顔も見れなくて。

ひな乃(こんなんじゃ倉多くんに失礼すぎる……)
   (なんとか、この気持ちに慣れないと)

 自己嫌悪のまま、校門を一歩出る。 
 するとそこでは、倉多がひな乃を待っていた。
 彼は眉に皺を寄せ、少し落ち込んだ顔をしている……ような気がする。

倉多 「ひな乃さん」
ひな乃「倉多くん……」

 倉多は脇目も振らず、ひな乃の方へスタスタと近付いてくる。
 そんな彼に、胸はうるさく音を立てた。

倉多 「――今日はどうしました?」
ひな乃「べつに、何も……」
倉多 「俺、なにかしましたか?」
  
 校門周りは、人が多い。

 外見のせいで目立つひな乃と、普段は存在感の無い倉多。
 正反対な二人がやり取りをする姿は、どこかワケありで――下校する生徒達からはジロジロと注目を浴びてしまっていた。

女子 「あれ、三門さんと……誰?」
女子 「編入生だったような……名前なんだっけ」

 人目が気になり、焦るひな乃。
 
ひな乃(こんなに見られたら――)
   (倉多くんの素顔が、
    みんなにバレちゃったら……!?)

 無自覚のうちに、独占欲で胸が苦しくなる。

ひな乃「ここ、人が多いから……場所変えよ?」
倉多 「はぐらかさないで下さい。
    今日一日、ずっと俺を避けていたでしょう」

 倉多は周りを気にすることなく、ひな乃の手首をつかんだ。その様子に、周りがざわつき始めている。

ひな乃「く、倉多くん、目立ってるよ……!」
倉多 「構いません。
    ひな乃さんに逃げられるよりずっといい」

 掴んだ手を、離すつもりは無いらしい。
 どうしよう……と悩んでいると、遠巻きから見ていたらしい真衣がやって来た。

真衣 「ちょっとあんた。手ぇ離しなよ」
倉多 「……何ですかあなたは。関係ないでしょう」
真衣 「関係ある! この子には恩があるの!」

 真衣は、倉多とひな乃のあいだに割って入る。
 
真衣 「ひな乃には好きな人がいるのよ!
    しつこく付きまとわれたら迷惑なの!」

ひな乃(ま、真衣ちゃん!?)
 
 誤解を招くような真衣の言葉に、目を見開く倉多。
 驚いた拍子に、腕を掴んだ力がゆるむ。

倉多 「好きな……人?」
ひな乃「ち、違うの倉多くん、あの――」
真衣 「ひな乃、行くよ!」

 真衣はひな乃の手を引き、強引に倉多から引き離す。手を引かれつつ、ひな乃は倉多を振り返った。
 彼は無表情のまま、固まっている。

ひな乃(どうしよう……!)
   (絶対誤解されちゃってる!!)

 その場から一歩も動かない倉多。
 どんどん距離が離れていく。
 ひな乃は後ろ髪引かれながら、真衣と校門を後にした。