〇二話目からの続き、午後の授業
現国の授業中。
いつも通り、黙々と授業を受けるひな乃。
しかし、実は上の空。
その心の内は混乱の真っ只中にあった。
倉多 『ひな乃さんは、
俺の許婚なのです』
ひな乃(ほ、ほんとに?)
窓際で、気配の消えかかっている倉多。
ひな乃(わたしが?)
体育の時間、気配が無さすぎてボールを貰えない倉多。
ひな乃(倉多くんの許婚!?)
体育館裏で、猫とともに、ぼっち飯を楽しむ倉多。
〇翌日の昼休み、体育館裏
猫と共に、ぼっち飯を楽しむ倉多。
そこへ、不意に影が落ちる。
倉多 「ひな乃さん……」
ひな乃「……一緒に食べてもいい?」
ひな乃はお弁当を持ち、倉多の前に立った。
まさかひな乃が来るなんて思ってもみなかった倉多は、動揺しながらも歓迎する。
倉多 「ど、どうぞ!
あの、制服が汚れるので、こちらに……」
体育館の縁に座っていた倉多は、隣にハンカチを敷いた。
遠慮がちに、隣へと腰を下ろすひな乃。大切にされて、少しくすぐったい気持ちになる。
ひな乃(やっぱり、優しい……)
座ったひな乃のそばへ、猫が近寄ってきた。
黒い猫だ。
倉多 「さっそくですね」
ひな乃「? この子、人懐っこいんだね?」
倉多 「食べ物をねだりに来てるんですよ。ほら」
黒猫は、匂いに釣られてひな乃のお弁当をスンスンと嗅いでいる。
ひな乃「ほんとだ」
倉多 「おまえにひな乃さんのお弁当はまだ早い、
駄目だよ」
倉多が猫から弁当をガードすると、黒猫は諦めたように日向へ寝そべった。
ひな乃「あ、ありがとう」
倉多 「いえ」
ひな乃「…………」
倉多 「…………」
気まずくて、言葉無く弁当を食べる二人。
そんな二人を、黒猫がじっと観察している。
二人の弁当が空になる頃、倉多が意を決して口を開いた。
倉多 「――あの、ひな乃さん、ありがとうございます」
ひな乃「え?」
倉多 「ここへ、来てくれて」
倉多の真っ直ぐな瞳が、ひな乃に向けられる。
倉多 「いきなり許婚などと言われても、
困らせてしまったかと思って」
ひな乃「うん……」
倉多 「……引いてないですか?」
ひな乃「引いてる」
倉多 「えっ!」
ひな乃の返事に、ショックを受ける倉多。
すかさず、ひな乃がフォローをする。
ひな乃「引いてる……っていうよりは、
受け止めきれないのかも」
「倉多君とは会ったばかりだし、
倉多くんのこと何も知らないし」
ひなの(許婚――それが本当かどうかも、
なにも分からないし……)
〇ひな乃回想(昨日帰宅後、三門家アパートにて)
ひな乃『おばあちゃん、私に話してないことってある?』
祖母 『なんのことだい?』
ひな乃『たとえば――私に許婚がいたり、だとか』
おばあちゃん、一瞬だけ真顔になる。
祖母 『なにを言うかと思えば……
そんな話、あるはずがないよ』
いつも通り、にこにことひな乃の頭を撫でる祖母。
ひな乃『そ、そうだよね』
祖母 『ひな乃にも、いつか素敵な人が現れるよ』
『その時が楽しみだねえ』――
(回想終わり、体育館裏のシーンに戻る)
ひな乃(おばあちゃんも、許婚なんて
知らないみたいだったし……)
(慎重になったほうがいいよね)
ひな乃「何も知らないから――」
「私、倉多くんがどんな人なのか、
知りたいと思った」
倉多 「ひな乃さん……!」
ひな乃「実は、このあいだの自己紹介も
あんまり聞こえなかったし」
倉多 「自己紹介?」
ひな乃「初日、倉多くんがみんなの前で
自己紹介したでしょ?」
倉多 「ああ……あの、やる気のない自己紹介ですね」
ひな乃(あのやる気の無さは、わざとだったんだ)
(なっとく)
ひな乃「ここに来る前は、どこにいたの?」
倉多 「アメリカです」
ひな乃「アメ……アメリカ!」
倉多 「でも、変に目立つと嫌なので……
例の自己紹介では『千葉から』って言いました」
ひな乃「ぜんぜん嘘じゃん……」
倉多 「あの自己紹介は、嘘ばっかり言いましたからね」
倉多は素知らぬ顔で、あれが嘘だったことを暴露する。
ひな乃(まあ、あれが本当か嘘かなんて、
誰も気にしてないだろうけど……)
倉多 「あと、趣味は料理で、得意料理は
ハンバーグです。
スポーツはテニスが得意で、むこうではよく
試合に出てました。筋トレも日課ですね。
好きな色は白で、好きな音楽は――」
ひな乃を前に、スラスラとよどみなく自己紹介をする倉多。
あまりの供給に追いつけないひな乃は、思わず彼にストップをかけた。
ひな乃「ちょ、ちょっと待って! 情報が多い!」
倉多 「あ、すみません。
ひな乃さんが私のことを知りたいだなんて……
嬉し過ぎて、つい」
ひな乃「今度こそ、本当のことなの?」
倉多 「本当ですよ。ひな乃さんに、嘘は言いません」
ひな乃「そ、そっか」
ひな乃(じゃあ、許婚……っていうのも
本当なのかな……?)
さっそく心が揺れてしまうひな乃。
倉多 「日本へは、ひな乃さんに会いたくて
帰国しました。よろしくお願いします」
倉多は自己紹介らしく、『よろしくお願いします』で締めくくる。
そして握手として、その大きな手を差し出した。
ひな乃「よろしく……お願いします」
彼の笑顔は、柔らかいのに圧がある。
ひな乃は拒否することも出来ずに、思わずその手をとったのだった。
〇バイト中、コンビニ(夕方)
ひな乃(つい、よろしくしてしまった……)
コンビニの制服姿でレジ前に立っている。
ひな乃(慎重に、って思うのに!)
(倉多くんといると、どういうわけか
彼のペースに巻き込まれてしまう……!)
頭を抱えていたその時、コンビニのドアが開く。
ひな乃「いらっしゃいま――」
入ってきたのは、制服姿の男女二人組だった。
二人の距離は近く、男の腕に女の子が手を回している。
なんてことない、ありふれた制服カップルだ。
ただ、その男側が、斉藤陽太でなければ。
ひな乃(斎藤くん……『陽太』!)
陽太彼女『陽太を悪く言わないで!』
斉藤陽太の隣に立つ女の子は、昨日泣いていた彼女では無く別の人。
また、ひな乃の胸がズキリと痛くなる。
陽太 「あ……やば。
三門さん、ここでバイトしてたんだ」
ひな乃「……いらっしゃいませ」
女の子「陽太、この子だれ? 可愛いすぎるんだけど」
陽太 「ただの同級生だよ。ね、違うコンビニにしよ?」
陽太はさすがに気まずいようで、足早にコンビニから出ていこうとする。
ひな乃(……ほんっと、最低)
(この男は最低なんですー!って、拡声器使って
世の中に言いふらしたいくらいだな!)
ひな乃は特大のイラつきを抑えつつ、斉藤陽太から目を背ける。仕事中なので仕方がない。
店から出ていこうとする陽太達。
すると、ちょうどコンビニのドアが開いた。
陽太彼女「……陽太」
陽太 「な、なんだよお前」
なんと入ってきたのは、昨日泣いていた陽太彼女だった。彼女もまた、制服姿だ。
入口で、斉藤陽太達と陽太彼女が向かい合っている。
この状況、偶然……では無いらしい。
陽太 「また、後つけてきたのかよ。キモ」
陽太彼女「……っ陽太、私」
陽太 「お前、最低だな」
ひな乃(ちょっ……あんたがそれを言うか……!)
斉藤陽太は女の子の肩を抱き、振り返りもせず去っていく。
陽太彼女はその場に立ち尽くしたまま、動けなくなってしまった。
ひな乃M(修羅場にもならなかった……)
(彼女さん、大丈夫かな)
あまりにも心配で、ちらりと陽太彼女に視線を移すと、彼女は卑屈な笑みをひな乃に向けた。
陽太彼女「……なによ。面白いんでしょ、忠告どおりで」
陽太彼女「可愛い子っていいよね。
何もしなくても告白してもらえるんだもん」
「私は……可愛くないから、すごく頑張ったよ。
頑張ったから、陽太に付き合ってもらえた。
でも、それだけ」
「……もう、どうしたらいいのか分からない」
そう言うと、勝ち気なはずの陽太彼女はまたぽろぽろと泣き始めてしまった。
『どうしたらいいのか分からない』
どうしようもなく悩んで涙を流す彼女に、ひな乃は自分を投影させてしまう。
ひな乃M(分かるよ、私も同じ)
(分からないことばっかり)
(だけど……)
ひな乃 「……彼女さんは、可愛いよ」
陽太彼女「それ、三門さんが言う? すっごい嫌味」
ひな乃 「嫌味じゃ無いってば」
倉多 『ひな乃さんは、
もっとご自分を大切にしてください』
ひな乃M(ちょうど心が弱っていて、
初対面の倉多くんに弱音を吐いてしまった時)
(倉多くんがそう言ってくれたから)
(私は心が軽くなったのだ)
ひな乃「……もっと自分を大切にしなよ。
斉藤陽太みたいな奴に、彼女さんは勿体ないよ」
陽太彼女は涙を流しながら、ひな乃の方をギロリと睨む。
陽太彼女「……すっごい綺麗事だね」
ひな乃 「そ、そうかな。ごめん」
陽太彼女「なに謝ってんの。馬鹿みたい」
相変わらずトゲトゲしたまま、陽太彼女はコンビニから去っていった。
〇バイト終わり、コンビニ前(夜)
ひな乃(おせっかいだったかも……)
(でも、斉藤くんがほんっと最悪過ぎて!
何か言わずにはいられなかった!!)
一人反省会をしながら、バイトを終えたひな乃。
ひな乃「お先失礼します」
いつも通りパーカーにジーンズ姿でコンビニから出る。
キョロキョロと辺りを見回し、不審人物や待ち伏せする男がいないことを確認してから帰ろうとすると、コンビニの前に倉多の姿が。
彼はまだ制服姿で、地味眼鏡モードのままだ。
倉多 「ひな乃さん」
ひな乃「……倉多くん、どうしたのこんな所で」
倉多 「ひな乃さんを待ってたんですよ。
家までお送りしようかと思って」
倉多は、ひな乃のバイトが終わるまでここで待っていたらしい。
ひな乃(待ち伏せ男、ここにいた……!)
ひな乃「そんな、悪いよ。アパートまで歩いてすぐだし」
倉多 「なおさら危険です。
この間みたいな事があったらどうするのです」
「今も――辺りを見回していたのは、
変な男が居ないか警戒していたのでしょう?」
ひな乃「えっ……」
ひな乃(当たりです……)
図星なひな乃は言い返せない。
少し離れたところで、男の子達の声がする。
男 「あれ、彼氏?」「嘘」
男 「ひな乃ちゃん彼氏いたの?」
男 「芋じゃん」「あれは彼氏じゃないっしょ」
ひな乃は気づいていないのだが、どうやら倉多には彼らの声が聞こえているらしい。
倉多 「…………」
ひな乃「……?」
倉多は手を口にあて、なにか真剣に考え事をしている。
横から見る、彼の真剣な顔はドキドキする。
学校ではメガネとボサ髪で誤魔化しているけれど、素顔はとても綺麗な顔をしているのだ。
倉多 「ひな乃さん」
ひな乃「は、はい」
倉多がやっと口を開いた。
身構えるひな乃。
倉多 「デートしましょう」
ひな乃「……え?」
倉多 「俺と、デートをしましょう」
ひな乃(今の会話で、なぜその流れに……?)
ぽかんと口を開くひな乃。
けれど、こちらを見下ろす倉多は真剣で。
――冗談、ではないみたい……
二人の間に、沈黙の時間が流れる。
ひな乃は黙ったまま、謎だらけな倉多とただただ見つめ合ったのだった。