修学旅行から帰ってきた夜、私は玄関の扉を静かに閉めた。家の中は薄暗く、どこか重たい空気が漂っている。両親の車がなかったので、まだ帰っていないのかもしれないと思った。

私はそっと靴を脱ぎ、リビングの方へ足を運ぶ。
テーブルにはいつものように読みかけの新聞が散らばっている。まるでこの家自体が感情を失ったかのように無機質で冷たく感じられる。

「ただいま…」

小さな声で誰もいない部屋に挨拶をする。答える人はいないと分かっていても、なんとなく言わずにはいられなかった。

階段を上がり、自分の部屋に入る。
荷物を床に置くとそのままベッドに倒れ込んでしまう。疲れた体が沈み込む感覚が心地よくて、少しの間目を閉じる。

けれど、意識が薄れかけていたその時階下から何かがぶつかる音と共にお母さんの怒鳴り声が聞こえてきた。

「またこんなに遅くまで何してたのよ!」

その声は震えていて言葉の一つ一つに苛立ちと疲れを滲ませているように思えた。私がいない間もずっと喧嘩をしていたのかもしれない。
お父さんの声も重なり合い、罵声が飛び交う。言葉は鋭く、家全体を切り裂くようだ。
理由なんて毎回違うけれど結局いつも同じように終わる。私は布団をかぶってその音から逃れようとした。

しかし、今日は何かが違う。
心の中にほんの少しの勇気が芽生えていた。修学旅行での出来事が、私を少しだけ変えてくれたから。

私は布団から顔を出して少しだけ部屋の外の様子を伺った。お母さんのヒステリックな声が止むことはなかったけれど、今までは逃避していたその声に耳を傾けている自分に気付く。

「私…」

そう呟くと、胸の中に小さな決意が芽生えた。また何かを変えたいという気持ち。まだその方法はわからないけれど、このままじゃいけない…そう思った。

階段を下りる勇気はまだないけれど、いつかは…。
そんな自分に小さく頷いて私は机の引き出しから日記帳を取り出した。これまで何度も書いては消してきた思いを、少しずつ綴ることにした。

「今日は…頑張れた。少しだけ、前に進めた気がする。」

書き終えると、喧嘩の声はまだ続いているけれど、どこか遠く感じるようになった。窓の外を見つめながら、私は小さく息を吐き出す。

この家にいても、まだこの状況を変えられる方法があるかもしれない。そんなことを考えているとメールが届いていることに気付く。

「えっ…!」
一人でいる部屋に自分の声が響いてなんだか少し恥ずかしくなる。思わず声が出てしまったのはメールをくれた相手が彗だったからだ。

[ 明日八時に行く ]

その内容に彗との会話を思い出す。唯に朝練がある時や、私が一人の時は彼と登校するのだった。
修学旅行明けも唯は朝練だ。そのことを覚えていてくれたことに少し口角があがってしまう。

[わかった]
そう返信して自分の口角がまだ上がっていることに気付く。
唯と一緒に登校する時だって楽しいはずなのに、この気持ちとはまた少し違う気がした。
心の中でその理由を探しつつも、私は度の疲れのせいかいつのまにか眠ってしまっていた。