「え…?」

柊真は本当に知らなかった様子で目を開いていた。

スッと視線を海の方に向けて、小さく息を吸ってゆっくり声を出した。

「お母さん…お弁当屋さんで働いてたんだけど、そこの店長と…」

働き始めて半年ぐらい経った時だった。

「おかしいなとは思ってたの、最近仕事多いなとか帰って来るの遅いなとかパートってそんな忙しいんだって思ったり…」

でも仕事のことはよくわかんないし、働いて帰って来たあとのお母さんは優しかったから。

今日の夕飯は何にしようか?って聞いてくれたり、今日は千和の好きなもの作るよって言ってくれたり…


それがいつもと変わらない毎日だった。


「お母さんが電話してるの聞いちゃったことがあって…気付いたの、お母さんにはお父さん以外の好きな人がいるって」

可愛い声で話してた。

それは私の聞いたことのない声だった。


たぶん、お父さんも気付いてたんだと思う。


「だから…っ、やめてほしかった…」

着飾って出て行くお母さんを見たくなくて。 

わかってるのに見て見ぬフリをするお父さんにイライラして。

「どうにかしたかったの…っ」


家の中が少しずつ壊れ始めたのはいつからだったんだろう?


どんどん張りつめていく家の中では息をするのもしんどくて、思わず飛び出てしまった。

「だから会いに行っちゃったの…」

思えば私の一言で何も変わるわけないのに。

私だけの力でどうこう出来るものでもないのに…


「お母さんの好きな人に」


もうお母さんに会わないでくださいって、お弁当屋さんまで押しかけちゃった。

それがどんなことかも考えてなかったから…

「その日からお母さんは私に笑わなくなった」

誰にも私の声なんか届くわけなくて。

「千和…」

「私がいけなかったんだって、お母さん本当に好きだったんだってだから私が邪魔だったんだよ」

あの時の顔が今も忘れられず残ってる。

こんなこと覚えていたくないのに。


「お母さんの好きな人ね、私のこと知らなかったの」


君は誰?って言われて悲しくなった。


お母さんの中で私はもういない存在になってた。

もうずっとお母さんは私のことなんか見てなかった。


私がいなかったらお母さんは自由になれたの?