こんな極上の結婚を、私がするとは思わなかった。

果絵(かえ)。もう一度言って。俺が、好きか?」

「……っ、――す、好き……っ」

「俺の妻は、可愛くて最高だ」

 私に熱烈なキスを繰り返すのは、ネットニュースで話題になるような、有名な弁護士様。
 宝凰寺(ほうおうじ) 颯斗(はやと)さん――超ハイスペックな彼が、私の旦那様だ。


   ◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆


『ごめん、果絵(かえ)。付き合って三日目だけど別れてくれ。金が必要になってさ、上司のお嬢さんと見合いすることになった』
「え……っ?」
 
 緑が深まり、花の色どりも鮮やかな季節の、穏やかな雨音に包まれた朝。
 勤め先のブックカフェのスタッフルームで。
 私、二十六歳の夏樹(なつき) 果絵(かえ)は、彼氏から送られてきたスマホのメッセージを二度見した。

『待って。どういうこと?』 
 
 返事をチャットした時には、すでに相手からはブロックされている。会話拒否だ。
 そ、そんな。メッセージ一通で関係終わり? 
 彼の方から告白してきたのに。
「そういう目で見たことがなかった」と返事をしたのに。「好きにさせてみせるから付き合って」と言ってきて、お試しにと付き合い始めた三日目なのに。
  
「果絵さん、どうしたの? ……わっ、ごめん。見えちゃった。このメッセージって前話してた彼氏だよね? うわ、最低……」

 同僚のスタッフに声をかけられて、慌ててスマホを閉じる。
 でも、彼のメッセージは見られた後だった。
 
「仕事終わった後で飲みに行こうか。話聞くよ」
「ありがとうございます」
 
 ああ、失恋して慰めてもらう構図になってる。
 
 慰めてくれるのはありがたいけど、あいにく私のお財布事情は寒い。
 両親が数年前に交通事故で亡くなったのだけど、借金があることを知り、相続放棄をした。
 同じ車に乗っていた弟は一命を取り留めたけど、最近まで長期入院していた。
 退院できたのは幸いだけど、物価も上昇傾向だし、お金に余裕があるとは言えない状況が続いている。
  
「ただ、お金に余裕が……」
「鈴木店長を誘って奢ってもらうのはどう? 飲んで愚痴ってスッキリしよう」
「鈴木店長は断ると思いますよ」
 
 私は高層ビルが立ち並ぶ都市の一角にある小さなブックカフェのスタッフをしている。
 鈴木店長はブックカフェの店長だ。
 本好きで面倒がいい。誘いにも「早く帰って子供に会いたい」と断るくらい子煩悩だ。
 
「あとでダメ元で誘ってみるよ。それにしても、今朝は入荷が多いね。果絵さん、この梱包の山をいけすかない男だと思ってチョキチョキ崩していこう」
「あはは……がんばります」 
  
 今朝は、梱包された雑誌の山をハサミで開封してジャンル分けする作業からお仕事開始。
 
 スタッフは私以外に二人いる。
 夏の長期休暇シーズンだからか、付録がついてる雑誌も多いみたいだ。付録付け作業は手作業になるので、結構大変。
  
 私たちが作業をしていると、鈴木店長が来客を迎えているのが見えた。
 来客は長身の男性だ。身長、百八十センチ越えていそう。
 奥の部屋に案内されて行ったのをチラッと見ただけだけど、かなりの美男子で、見るからに洗練されているエリートのオーラがあった。
 
「俳優さんかな? 見たことある気がする……」

 呟くと、同僚が「うんうん」と熱心に頷いた。
 
「有名人だよね。動画で見た」

 ほんの一瞬で、彼は私たちの心を奪って話題の中心になった。
 それくらい、パッと見たときに心を惹き付ける華やかな魅力がある――派手とかではなく、どちらかと言えば上品で、シャープな印象で……鮮烈な存在感だったのだ。

 しばらくすると、来客は帰って行った。そして、鈴木店長が肩を落として出てきた。
 
「鈴木店長、三歳になる娘さんが連れ去りに遭ったんだって」

 わけ知り顔の同僚が言う話によれば、奥さんが娘を連れて出て行ったのだとか。

 同僚は鈴木店長に好奇心と同情の混ざった声をかけている。
 
「鈴木店長! 私たち仕事終わった後で飲みに行くんですけど一緒に行きませんか?」
 
 普段お誘いを断る鈴木店長は、このお誘いに乗った。
 これが、私の日常が変化する最初の出来事だった。