それからというもの、私は自宅でもオンライン講座を通してITスキルを磨き、テストエンジニアの域を超えた学習にも着手し、今のこの仕事のパフォーマンスを最大限、高める方法を試行錯誤していた。

 私は今日もまた、オフィスでモニターと向き合いながら、バグの報告書を作成していた。ここ数週間の間に学んできたことをさりげなく報告書に織り込んでみせ、報告書のチェックをする海堂の反応を密かに楽しみにしていた。

 今回発見したバグは、連続してガチャを三回以上回してホームに戻ると、アプリがクラッシュするというものだ。必要ではないけれど、ついでにネットワークログとクラッシュログもとって、報告書に添付して提出した。ログにはデバイスの処理全ての履歴が残されていて、バグ修正の手がかりになることも多い。

 私は一度深呼吸をしてから、海堂にバグの報告をする心の準備をする。普段は話しかけるなオーラ全開の彼に話しかけるのは、やはり少し緊張する。

 様子を伺うように一瞬彼を盗み見した。

 今日の彼は大きめのグレーのトレーナーというややラフな格好だった。会社勤めしている男性というよりも、理系の大学のキャンパスで見かけそうな、大人の男性の色気をやや帯びた男子学生に見える。

 顔が整っているだけに、その難ありの性格のせいで大分勿体無いことを彼はしている。

 私の数年後に入社してきた彼は当初、女子達を騒がせていたが、気が付けば彼のことをキャキャ言わなくなっていたのは、やはりその性格が知れ渡ったからなのだろう。

 私の視線に気付かぬまま、彼はデスクの上に常備している大容量サイズのミントガムの容器の中身を確認するように少し振り、蓋を開けてパクッとガムを口に投げ入れる。

 その姿ですら、何だか様になっているのが少し腹立たしい。

「……海堂くん、先ほどアプリがクラッシュするバグの報告をさせていただきました。ご確認いただけますか?」

 モニターの上から覗く、どこか刺すような冷たさを孕んだ涼しげな双眸を向けられ、思わず固まってしまう。

「わかりました。確認させていただきます」

 バグを見つけて報告するところまでが私の仕事。そこからのバグ修正はコードを書いたエンジニアである海堂たちの仕事。だが、厚かましいと思いながらも、私は気づいた点について言及することにした。

「……あの、そのバグのことなんですが、ガチャを三回以上回さないと再現しないあたり、やはりこのあたりのコードが問題だと思うんです。……ご参考までに」

 とだけ言って私は次の作業に移る準備に取り掛かる。

「……なるほど、そうですか。僕の方でも少し調査させていただきます」

 さりげなくプログラミングの知識を晒そうとした私の発言を受け、彼は少し不思議そうに答えたが、頭から私の意見を聞き入れようとしない雰囲気でもなかった。

 しばらくして、定時が近づくと、いきなり海堂が「広瀬さん」と私の名前を呼んだ。

 初めて呼ばれた気がした。

「……はい」

 恐る恐る彼の方に目をやると、彼は恐ろしいほどに真剣な表情で私を見つめていた。

「報告書、確認させていただきました。正直、少しビックリしました。ご丁寧にログの取得までしていただいて、お陰様でバグの原因も早い段階で突き止めることができました。広瀬さんのご指摘通り、あそこのコードが問題を起こしていたようです」

「そうでしたか……」

 おそらく海堂以上に私が今驚いている。

 こんなに会話したこともなければ、褒めに近い言葉がもらえるなんて夢にも思っていなかった。

「最近では色々と熱心にご勉強されているようですし、みんなには広瀬さんのように仕事に熱心に取り組んでいただけるとありがたいんですけどね」

 年下ではあるが、立場的には上である彼に褒められるのは嬉しい反面、やや複雑な気持ちではあった。弟と同い年の子に上から目線で言葉は違えど、「よくやったな」とヨシヨシされているような気分だ。

 だが、海堂の真剣な表情を見るからに、彼の言葉には他意は全くなく、私は照れを隠すように少し言い返すことにした。

「いえいえ、私はテストエンジニアとして当然のことをしたまでです……恋愛にうつつを抜かしている女性でも、これくらいできないと海堂さんたちにご迷惑をかけてしまいますしね」

 時計の針が午後5時になったことを示した。

「私はこれで失礼します」

 荷物を素早くまとめて立ち上がる。

 最後に海堂の方を見たときには、彼は口を僅かに開けたままじっと私を見つめていた。