彼の顔を思い浮かべて苦しくなって、それを上書きするように田辺の顔が浮かんでホッとしてしまう自分。
まんまと田辺の策にはまってしまっているよう気がするのが、どうしようもなく悔しい。


「マスターのところで働くのが楽しいから、今はこのままでいいかな」


また作りたくなったら、その時に考えるのでもいいだろう。最近は、お菓子ではなくお酒に合いそうなおつまみを作るのも楽しいことだし。


「俄然お店に行きたくなって来た」


楽しそうな声に隣を見れば、その声を裏切らない楽しげな表情を浮かべる田辺。真帆に見られていることに気付いて視線を合わせると、にっこりと笑う。


「そこに行けば、楽しそうな田中さんが見られるんでしょ?それはもう行くしかないよね」


美味しい手料理も食べられることだしー、と言って、田辺はマスターが置いていったショップカードを手に取る。


「春の月で“はるつき”か。綺麗な名前だね」


お店の看板と同じ、黒地に白文字で“春月”と書かれ、その後ろには控えめな桜の花のイラスト、文字の上にはローマ字で読み仮名が書いてあるカードを手に、田辺が柔らかい笑みを浮かべる。
嘘くささのないその笑顔は、そんな風に笑うことも出来るのかという少しの衝撃を真帆に与えた。