「田中さんはさ、嘘だった方がいいって言うけど、俺はそうでもないと思うんだよね」


胸がズキズキするせいで「なにが」と返す声が冷たくなる。それでも、田辺は一向に気にしない。


「新しい恋は、昔の恋を忘れさせてくれるんだよ。よく言うでしょ?」


鍋を見ないといけないのに、つい顔を上げて田辺の方を見てしまう。
何言ってるの?と思ったことをそのまま問いかければ、「あっ、田中さんの心に刺さっちゃった?」と笑う田辺。


「刺さるか。そんな鳥肌立ちそうな台詞。大体ね、一晩一緒だったくらいで恋なんか始まんないから」

「うわー、失礼。ていうか田中さん、ただ一緒にいたんじゃないよ。“大人的な意味で”一緒にいたんだよ。そこから始まることって、充分あり得ると思うんだよね」

「っ……別に、言われなくてもわかってるから!!」

「茶色いの、だいぶ色がついてるけどまだいいの?」


慌てて鍋に視線を落とせば、だいぶいいところまで来ている。焦げだす前に水を少量入れて伸ばすのだが、この水を入れた瞬間の飛び散りを知らない田辺は、激しく飛び散るカラメルに驚いて仰け反った拍子に、カウンターに腕をぶつけていた。
ごんっとかなりいい音がして、いい気味だと思った。

ぶつけたところをさすって痛がる田辺を横目に、真帆は温め終わりを知らせて鳴る電子レンジを開ける。
卵と牛乳の甘い香りが、湯気に乗ってふわっと溢れてくる。