「ギルドスターズの前編面白かったよな。来月公開の後編もまた二人で()に行こう」

 デート中。街頭(がいとう)ビジョンに、公開中の海外のアクション映画【ギルドスターズ前編】の予告映像が流れたのを見て牧人(まきと)のテンションが上がる。話題作なのは間違いないけど、私はまだ見ていないはずだ。

「牧人、何か勘違いしてない? ギルドスターズを見に行こうって約束はしたけど、予定が合わなくてまだ見れてないでしょう」

「マリナこそ勘違いしてない? 先週の日曜に二人でギルドスターズ見に行っただろう。お(そろ)いでグッズのキーホルダーも買ったし」

「待って、何の話? 先週の日曜は私が家族で出かけたから遊べなかったでしょう」

 牧人は映画好きだ。待ちきれずに家族や友達と見に行ったのを、私と一緒に観たのだと勘違いしているのかもしれない。

「お父さんが急用で予定が無くなったからって、午後から二人で映画館に行っただろう。ほら、その時の写真」

「うそでしょう……」

 全身が寒くなるのを感じた。映画終わりに、ポスターの前で自撮(じど)りをする牧人と女性。帽子(ぼうし)で顔がよく見えないけど、それは私から見ても私本人としか思えない存在だった。だけど、あの日は間違いなく家族と出かけていて、牧人とはデートしていない。これは成町(なりまち)マリナではなく「ナリマチマリナ」だ。

「……牧人。何も気づかなかったの?」

 怖さと同時に、自分と【ナリマチマリナ】の見分けがつかなかった牧人に対して怒りを感じた。一緒に映画を楽しみ、お(そろ)いのキーホルダーを買って、仲良さそうに記念写真をとって。偽物に笑顔を見せる牧人なんて想像したくない。

「その日、牧人と一緒にいたのは私じゃない。『ナリマチマリナ』だよ!」

「落ち着いて。成町マリナは君だろう?」

「そういう意味じゃない! 前に話した、私に()りすましている女の方!」

「マ、マリナ。落ち着いて」

 街中だということも忘れて、私は感情的に大声を出してしまった。(おどろ)いた通行人からも、たくさんの視線が向けられる。牧人は周囲からの視線に、気まずそうにほほをかいていた。

「俺が君を他人と間違えるはずがないだろう。顔や声はもちろん、服装やふとした仕草(しぐさ)もマリナだった。何かの冗談(じょうだん)だったなら正直ひくよ。周りの視線も()ずかしいし」

「今の私が冗談言っているように見える? 親友の寧音(ねね)(だま)された。牧人もあいつに騙されてるんだよ」

「どうしたんだよマリナ。今日の君はおかしいよ」

「私はおかしくない。おかしいのは私と偽物の見分けもつかない牧人の方でしょう!」

「だから意味が分からないよ。一緒に映画に行ったマリナは君だよ」

 ああ、牧人は本当に私と「ナリマチマリナ」の区別がついていないんだ。俺がマリナを守るって。偽物に会ったら俺の恋人を(こま)らせるなって、怒ってくれるって言ってたのに……偽物と楽しそうにデートするなんて……牧人のバカ!

「牧人なんてもう知らない!」
「ま、待ってよ」
「一人にして!」

 もう何も信じられない。混乱(こんらん)してオドオドしている牧人をその場に残し、私は逃げるようにその場を立ち去った。

 ※※※

「……もう、何を信じたらいいのか分からないよ」

 牧人と別かれた後、私は行く場所もなくふらふらと町中を歩いていた。今も「ナリマチマリナ」はどこかで、私に成りすましているのだろうか。

「……今度は何よ」

 スマホの通知が鳴った。また「ナリマチマリナ」が何かをやらかしたのかな。うんざりしてスマホを開くと。

『マリナ。今日は夕方からバーベキューするから早く帰って来るのよ。あんたってば忘れっぽいから念のため』

 連絡はママからだった。そういえば今日は、ご近所さんと一緒にバーベキューをする予定だった。用件だけを書いたシンプルな文章だけど、ママからのメッセージは今の私の心に強く()みた。親友も恋人も偽物に取られた。だけど、血の(つな)がった家族の(きずな)だけは決して誰にも邪魔(じゃま)できない。家族の待つ家に帰ろう。お肉をいっぱい食べて、嫌なことなんて全部忘れてしまおう。

「ダイエット中だっただけど、今日はたくさん食べぞ!」

 家に帰るのがこんなにも楽しいのは何年ぶりだろう。最近は感情的に親に反発しちゃう時もあったけど、これからはもっとパパとママに優しくしてあげよう。

 家の前までやってくると、庭先から煙が上がり、すでにバーベキューの火入れが始まっていることが分かった。すぐに帰って来るんだから少し待っていてくれればいいのに。パパもママもせっかちなんだから。

「パパ、追加のお野菜切ってきたよ」

 家に帰ろうとした瞬間、バーベキューコンロの火を調整するパパに向けて、ベランダから私そっくりな声が聞こえてきた。驚きのあまり、とっさに物陰(ものかげ)に隠れてしまった。

 ――マリナは私よ。私はまだ家に帰ってない。今家にいるのはあいつ……。

 声の主は偽物のナリマチマリナ以外には考えられない。あいつはついに寧音や牧人だけじゃなく、家族の前にまで姿を現したんだ。

「お休みの日に、家族のためにありがとう。後で肩揉(かたも)んであげるね」
「ありがとうマリナ。今日はなんだか優しいな」

 ――パパ……普段はそんな優しそうな顔なんてしないくせに。

 思春期(ししゅんき)ってやつなのかな。最近私はパパと、特に理由もなく気まずい関係になっていて、お互いに態度(たいど)がどこかぎこちなかった。それなのに今のパパは()れやかな笑顔で、偽物の娘に心を開いている。

「マリナ。こっち手伝ってくれる?」
「はーい。今行くよママ」

 ママの声も普段よりも明るい。娘が積極的に家事を手伝ってくれていることが嬉しいんだ。

 両親が何の疑問も抱かず、偽物の娘の心づかいに感謝して、笑顔で休日を()ごしている。まるで普段の私を否定(ひてい)されているみたいだ……確かに、お父さんとお母さんに迷惑(めいわく)ばかりかけてるかもしれないけど、本物の娘は私だよ。そこにいるのは偽物。家族なのに、どうして気づいてくれないの?

「……何で偽物がそこにいるのよ。何で本物の私が物陰に潜んでるのよ」

 寂しさに涙と声が零れてしまう。それは家の方にも聞こえていて、三人も声に気づいた。

「今、何か聞こえたか?」
「私、ちょっと見てくるね」

 偽物のナリマチマリナが、ベランダからサンダルに()()えて外に出ようとしている。

 ――逃げなきゃ!

 あいつと顔を合わせたら、何か良くないことが起きそうな気がする。体に感じた恐怖心(きょうふしん)(したが)い、私は自宅の前から逃げ出した。

「……本物は私なのに。どうして私が逃げなくちゃいけないのよ」

 (いか)り、(くや)しさ、(かな)しみ。たくさんの感情が()じり合い、私の顔は(なみだ)鼻水(はなみず)でぐちゃぐちゃだった。

 ※※※

「……これからどうすればいいの」

 夕暮れ時。歩き疲れた私は、公園のベンチで孤独(こどく)を感じていた。親友も恋人も家族も、全員が偽物のナリマチマリナを受け入れている。もう家に帰ることも難しいかもしれない。ひょっとしてこの世界の全てが、すでに偽物のナリマチマリナの方を本物と認識(にんしき)しているのかもしれない。本物のマリナは私なのに。それをどうやって証明したらいいの?

「成町さん。この世の全てに絶望したような表情をしていますね」

 上から長身の(かげ)が差した。顔を上げると、そこには担任教師の樹林寺(きりんじ)先生が優しい表情で立っていた。

「樹林寺先生は私が成町マリナだって分かるの?」

「当然でしょう。私はあなたの担任教師ですよ」

 常識(じょうしき)を語るように、樹林寺先生はそう断言(だんげん)した。本物の成町マリナかを知っている人が身近にいてくれた。そのことが心強くてしかたがない。自然(しぜん)とまた涙がこぼれてきた。安心感で泣けたのは久しぶりな気がする。

「何があったか、私でよければお話を聞きますよ」
「実は……」

 私一人の心に抱え込むには、今の状況は容量オーバーだ。私はこれまでに起きたことの全てを樹林寺先生へと打ち明けた。親友も恋人も(だま)されたけど、私を本物だと認識してくれた樹林寺先生ならきっと大丈夫だ。

「なるほど。いわゆるドッペルゲンガーとでも呼ぶべき存在が、成町さんの日常を(おびや)かしているということですね」

 ベンチの隣に腰を下ろした樹林寺先生は、嫌な顔一つせず、最後まで真面目に話に聞き入ってくれた。

「……私、もうどうしたらいいのか分からなくて」

「何か問題があるのですか?」

「先生、私の話聞いてました?」

 安心したのもつかの間、緊張感(きんちょうかん)のない先生の反応に怒りが込み上げてきた。樹林寺先生にとっては他人事(ひとごと)かもしれないけど、私にとっては自分の運命を左右する大事件だ。それを軽く見ないでほしい。

「失礼しました。成町さんにとって一大事(いちだいじ)であることはもちろん理解していますよ。ですが偽物は偽物です。何が起ころうとも、本物の成町マリナはこの世界に一人だけ。成町さんが自分を本物の成町マリナだと自覚しているのであれば、何も問題はありません」

「言いたいことは分かるけど、実際に偽物が私の生活を乗っ取ろうとしてるんだよ。気持ちを強く持ったって、問題は何も解決しないでしょ」

「いいえ。全ては心のあり方一つで解決します。後はあなた次第ですよ」

 冷静にそう言うと、樹林寺先生はベンチから立ち上がった。待って、私の話はまだ終わってないよ。

「先生。どこ行くの?」

「帰ります。生徒の悩みを聞き、それに対する私なりの助言もした。これ以上私に何が出来ますか?」

「……一人は不安なの。お願いだからもう少しだけ一緒にいて」

「だめです。日も暮れてきましたし、成町さんも早くお家に帰ったほういい」

「こ、困っている生徒を見捨てていくの?」

「私が直接解決出来る問題ではありませんから。それよりもそんな調子で本当に大丈夫ですか? 本物なら偽物を恐れるのではなく、もっと堂々としていいないと」

 図星(ずぼし)すぎて、私は何も反論(はんろん)できなかった。そんな私を見かねたのか、樹林寺先生は少し考え込んだ後、私に一つ問いかけた。

「成町さん。誰があなたを本物だと認めてくれたら一番嬉しいですか?」

 その質問に少しだけ考え込む。パパやママ。親友の寧音。思い浮かぶ名前はたくさんあるけど。一番はやっぱり。

「牧人。時松牧人が一番嬉しい」

 感じたショックの大きさが、そのまま感情の大きさなんだと思う。私が一番ショックだったのは、牧人が偽物の私とデートをしていたと知った時だった。それぐらい私は牧人のことが大好きだ。

「なるほど。覚えておきましょう」

 そこから何かヒントや解決策(かいけつさく)をくれると思っていたのに、樹林寺先生は今度こそ本当に、公園から立ち去ってしまった。

「それでは成町マリナさん。また明日学校で」