「ゆ、幽霊とか出ないよね?」

 生徒玄関の前で見上げる真っ黒な校舎は、まるで魔王城(まおうじょう)のような迫力だった。学校の怖い話は定番だし、何か出そうな感じが強い。まあ、一番ホラーなのは幽霊状態の私なんだけどね。

「何か出ても、まあ何とかなるか」

 緊張感はあるけど、自分が幽霊状態なことで、妙な自信がついていた。別の幽霊に出くわしても、たぶん話せば何とかなるでしょ。
 私は見慣れた生徒玄関の扉をすり抜け、校舎の中へと入った。

 当然ながら夜中なので暗いけどその分、非常口のマークや非常ボタンのランプの光がよく見える。怖い雰囲気(ふんいき)はあるけど、ただ暗いというだけで、何か恐ろしいものがさまよっている様子はない。

 まずは今いる一階から探検してみることにした。
 一年生の頃に使っていた教室の前を素通りして、廊下の奥にある美術室へと入った。

「こ、こんばんは」

 美術のモデルに使われている、石膏像(せっこうぞう)の真っ白なおじさんたちと目が合う。暗い美術室の中で浮かび上がる真っ白な顔はインパクト抜群だ。一応あいさつをしてみたけど、お返事はない。返事があったらあったでリアクションに困るけど。目も口も動かないし、石膏像さんたちは今日も平常運転だ。

 美術室を見終えると、次に同じ一階にある理科室へと向かった。理科室の薬品っぽい(にお)いは苦手だけど、幽霊状態だからは臭いは感じず、いつもよりも快適だ。

「きゃっ! す、すみません。お、おじゃましてます」

 鍵のかかった理科準備室の扉をすり抜けた瞬間、人体模型(じんたいもけい)くんと目が合い、思わず短い悲鳴を上げてしまった。勝手におじゃましたのは私なのに、顔を合わせた瞬間に驚くのは失礼だ。すぐに謝っておいた。目がなれて、しばらく見つめてみたけど、人体模型くんは照れて目線をそらすようなことはしない。動いたら動いたで困るけども。

「明日他の学年は調理実習なのかな?」

 次に家庭科室におじゃました。いっせいに水道の蛇口から水が流れ出す! なんていうホラー展開が起きることもなく、家庭科室は平和そのものだ。隣の準備室をのぞくと、たくさんの野菜が見えた。調理実習で使うのかな? ジャガイモににんじんにたまねぎ。メニューはカレーかな?

「校長先生って、普段は何してるんだろう?」

 次に向かったのは、普段は入ることのない校長室だ。職員室にも入ろうか迷ったけど、生徒が見てはいけないものもありそうなので、それはやめた。

 校長室には立派な椅子と机、それとお客さんとじっくりとお話をするために、テーブルを挟んで二つのソファーが置かれている。校長先生はたまに廊下から授業の様子を見学している時があるけど、それ以外の時に普段は何をしているのは分からない。学校で一番偉い人だから忙しんだとは思うけど。


 一階はだいたい見終わったので、次は二階へ移動した。最初に向かったのは、いつも私が通っている二年C組の教室だ。見慣れた教室だけど、夜中に来ると何だかまったく違う場所みたいだ。自分の席に座ってみたいけど、幽霊状態では椅子(いす)を引くことは出来ないし、椅子にも座れない。そのことはちょっとだけ寂しい。

琴子(ことこ)ったら。ペンケース忘れてる」

 琴子の机を覗き込んだら、いつも使っている赤いペンケースが残されていた。琴子は普段はちゃんと持って帰っているので、たまたま忘れていってしまったみたいだ。お馴染(なじ)みの場所なので見て回るところは少なかったけど、親しみのある場所だから、他の教室よりも長く滞在した。

 二年C組の教室の次は、同じ階にある音楽室へと向かった。学校に到着した時点で分かっていたことだけど、誰もいない深夜の音楽室でピアノが鳴っている、なんてことは起きていないみたいだ。もしもピアノの音が聞こえていたら、学校に入らずに引き返していたと思う。

「おじゃましてすみません」

 音楽室に飾られていた、有名な音楽家さんたちの肖像画(しょうぞうが)挨拶(あいさつ)をしておく。全員の目が動いて私に視線が集中する! なんてことは起きなかった。音楽室の肖像画といい、理科室の人体模型くんといい、美術室の石膏像さんたちといい、人っぽいものを見かけたら挨拶をするのがおなじみになってきているような。

 次は三階へと移動した。回文中学校は三階建てなのでここが最上階だ。
 最初に書道室に入ってみた。最近私たち二年生が授業で書いた書が壁にはられている。好きな漢字を一文字書くという課題だったので、それぞれの個性が現れている。

 中でも目にとまったのが、マリナちゃんの書いた「愛」。朋絵ちゃんの書いた「鏡」。文香ちゃんの書いた「双」。文香ちゃんは書道が得意で、朋絵ちゃんは普通、マリナちゃんはどちらかというと苦手なのだけど、それぞれの書には字だけでは表せない、力強い思いのようなものが感じられるような気がした。三人にとっては何か、思い入れのある言葉だったりするのかな? 

 ちなみに、私の書いた字は「推」の一文字。推し活を楽しんでいるからこの字にしたけど、今の私だったら「魂」とかにするかもしれない。

 書道室の次は視聴覚室と、その隣のコンピューター室に入ってみることにした。突然映像が流れだしたり、いっせいに全てのパソコンが起動したりなんていう怪奇現象は起こらない。

「もうこんな時間か」

 教室の時計を確認すると、時刻は間もなく午前三時になろうとしている。なんだかんだ、一時間半ぐらいは学校を探検していたらしい。窓から見える空の景色も、うっすらと明るくなり始めている。

「そろそろ帰ろっと」

 起きるギリギリで体に戻ったら、疲れてしまうかもしれない。学校の探検はこのぐらいにして、自宅で眠る私の体へと戻ることにした。二度あることは三度あるってよく言うし、また幽体離脱をすることもあるかもしれない。その時にまた、夜のお散歩を楽しむことにしよう。


「早く戻らないと」

 無事に帰宅し、眠っている私の体の前へと立った。昨日と同じく、背中から倒れ込んで体へと戻ろうとすると。

「きゃっ! なに?」

 体に戻ろうとした瞬間、物凄(ものすご)い力で弾かれ、壁を通り抜けて廊下まで飛ばされてしまった。(あわ)てて部屋の中へと戻ると。

「起きてる……どうして?」

 私はまだ体に戻っていないはずなのに、私の体は勝手に上半身を起こして、笑顔でこちらを見つめていた。

「ちょうどいい体があったから貰っちゃった」

 私の体で、私の声で、私ではない魂が、笑顔でそう言った。

「ど、どういう意味?」

「私、死んじゃって魂だけでさまよってたんだけど、偶然(ぐうぜん)この家で、魂の抜けた空っぽの体を見つけてさ。ついつい中に入っちゃった。やっぱり良いね。生身の体は」

 今の私に体は無いけど、背筋が凍る思いだった。死んでしまった別人の幽霊が、私が体を留守にしている最中に体を乗っ取ったんだ。

「それは私の体よ。早く出て行って」

 体当たりで私の体に突っ込んだけど、また強い力で()ね返されてしまった。

「……どうして戻れないの」

「一つの体に一つの魂しか入れない。それ以上は容量(ようりょう)オーバーだもの」

「それは私の体よ」

「今は私の体だよ」

「とにかく出て行って!」

「自分の体を留守にしたあなたの責任でしょう? 何をしてたか知らないけど、生きてるくせに何時間も自分の体を放り出して。死んでしまったかわいそうな幽霊に代わられても、文句は言えないと思うけどな」

「そんなことって……」

 絶望的な気分だった。私は幽体離脱を楽しんでいたけど、まさかこんなに危険なことだったなんて……例えるなら私は、鍵もかけずに家を空けてしまったんだ。自分の体という名前の大事な家を。

「お願いだから返しなさいよ!」

「駄目なものは駄目。まだ早いんだから、もう少し寝させてよ」

 私は必死に抗議(こうぎ)したけど、私の体はそれをまったく気にせず再び眠りについてしまった。