夏祭りが終わった一週間後。俺は意を決して、芹香にラインを打った。読書感想文に使う本を一緒に選んで欲しいという内容だ。彼女は乗ってくれた。

「で? どんなジャンルがいいわけ?」
「そうだな。メジャーなのがいい」

 俺たちは、ミナコーの近くの書店を練り歩いていた。本のある場所というのは静かだ。俺は自分の鼓動が芹香に聞こえてしまいやしないかと気が気ではなかった。やっぱり、二人きりというのは緊張する。

「吾妻勇吾は? 読みやすいと思うよ」
「あっ、その人知ってる! 香澄のお父さんだよ」
「マジで?」

 俺は「あ」の棚を探した。これだ。ハードカバーの本が五冊ほど出ていた。

「芹香のオススメは?」
「残暑。高校生が主人公だし、感情移入しやすいと思う」
「そっか、じゃあこれにしてみる」

 本を買った俺は、カフェに芹香を誘った。期間限定のスイーツドリンクが大きく貼り出されていたが、俺も芹香もアイスコーヒーを選んだ。

「今日はありがとうな、芹香」
「どういたしまして。まあ、丁度良かったよ。達矢に話したいことあったし」

 どきり、と俺の心臓が跳ねた。話したいこととは、何だろう。まさか、このタイミングで告白とか? 都合のいい方に、俺の頭は動いていた。しかし、違った。

「あたしさ。優太のこと、好きかもしれない」
「……ふぇっ?」

 その瞬間、世界がモノクロに見えた。芹香の黒髪が、やけに強く俺の視界を遮った。

「あいつさ、中学まで、友達と遊びに行かせてもらえなかったって話、知ってる?」
「ああ、うん……」
「あいつのために、高校では色んなところに連れて行ってやりたい、って思うようになった自分が居てね。それが何なのか、しばらく考えてたんだけど、夏祭りのときに分かったんだ。これって恋愛感情なんだって」

 それからは、自分がどのような受け答えをしたのか正直覚えていない。ただひたすらに、芹香の話に耳を傾けていた。彼女の気持ちが本物だと、否が応でも気付かされた。

「はあっ、こんな話、達矢にしかできないよ。聞いてくれてありがとう」
「いや、まあ、いいんだよ。ははっ」

 喉がカラカラに乾いていた。俺は放置していたアイスコーヒーを飲んだ。いつもは感じない鈍い苦味が俺の舌を刺激した。

「それでね、明日、告白しようと思う。恋愛なんて正直面倒くさい。けど、優太とは一緒に居たい。あいつとなら、上手くやれそうな気がするし」
「まあ、公開告白されてるもんな。面倒なことにはならないと思うよ」
「だよね。あーもうどうしよう。相手があたしのこと好きだって分かってるのに緊張してきた」

 芹香はきゅっと目を瞑り、息を漏らした。そんな彼女の表情を見たのは初めてだった。我に返った俺は、力強く言った。

「大丈夫。芹香の想い、きっちり伝えてきな。応援してる」
「ありがとう、達矢。良かった、達矢みたいな男友達がいて」

 その瞬間、俺の中で何かが壊れた。その破片は粉々になり、腹の奥からせりあがってきた。俺はそれを押し込むかのようにアイスコーヒーを飲んだ。芹香と別れた帰り道、俺は安奈にラインを打った。

『今すぐいつもの公園に来て欲しい』

 時刻はまだ夕方の四時だった。先に着いた俺は、飲み物を買うこともなく、だらりと両腕をおろし、ベンチに座っていた。

「達矢。どうしたの、いきなり」
「安奈……」

 もう、ダメだった。安奈の顔を見るなり、我慢していたものが零れ落ちた。

「た、達矢! 一体どうしたの!?」
「終わっちゃった。俺の初恋、終わっちゃった」

 安奈は丁寧に俺の涙を拭いてくれた。それからトン、トン、と、赤子をあやすようなリズムで、俺の背中を叩いてくれた。落ち着きを取り戻した俺は、芹香のことを話した。

「明日、芹香は優太のものになっちまう。俺、ダメだった。優太に勝てなかった」
「よく頑張ったね、達矢」

 ふわり、と安奈の髪が揺れた。俺は安奈に抱き締められていた。また、雫が流れ始めた。彼女の白いブラウスを、俺は汚した。幼馴染の体温は、とても温かかった。

「……ごめんな、泣いたりして」

 俺は安奈に謝った。

「いいって。わたしも、ネックレス貰ったときに泣いたじゃない? これでおあいこ」

 身体を離して安奈の顔を見ると、彼女も泣きそうな表情をしていた。俺がしばらくそれを見つめていると、安奈はさっと立ち上がって、缶コーヒーを買ってきてくれた。

「飲みなよ。微糖にしといた。落ち着くかもよ?」

 缶も安奈が開けてくれた。俺はそれを受け取り、こくこくと飲んだ。胸のつかえがおりた気がした。

「あんなに誰かに夢中になったの、初めてだったんだ」
「そうだね。達矢、真剣に恋してた。側で見てたから、よくわかるよ」

 ここに安奈が居てくれて良かった。幼馴染が居てくれて良かった。何でも話せる、唯一の存在。大切な存在。

「ありがとう、安奈。好きだよ」
「わたしも、達矢のことが好き。ずっとずっと、友達だからね?」

 目が腫れているのを親にはバレたくなかった。腫れがひくまで、俺は安奈に気持ちを聞いて貰っていた。安奈はただそっと、寄り添ってくれていた。