嘘をつくことは、必ずしも悪いことでは無いと俺は思う。
 とりわけ、誰かを守るための嘘なら。

達矢(たつや)ぁ、もっとゆっくり歩いてよ……」
「うるせぇな、早く来いよ」

 俺は「彼女」である若宮安奈(わかみやあんな)と一緒に登校していた。安奈はもっと頭が良いにも関わらず、俺が居るという理由だけでレベルを合わせてきて、同じ高校に入学した。

「入学式には十分間に合うと思うよ?」
「チンタラ歩いてるのが嫌なんだよ」

 安奈とは、保育園時代からの幼馴染だ。母親同士が仲良くなってしまったことで、小学校も中学校も、家族ぐるみで付き合いをしていた。彼女はいわゆる日英ハーフだ。父親がイギリス人。そのせいで、くっきりと整った顔立ちをしていて、髪や目の色もやや薄い。入学式当日の今日は、ふんわりとなびくロングヘアをおろしていて、化粧もしていないのに、くるんと上を向いたまつ毛が印象的だった。

「もうちょっと、わたしのペースに合わせてよ」
「お前が俺に合わせろよ」

 中学二年生のときだった。安奈に言い寄る男どもはわんさか居て、何度目かの告白を受けたとき、安奈はこう言ってしまったのだ。山手(やまて)くんと付き合っているから無理だと。それを聞いた俺は正直面食らったが、すっかり男嫌いになってしまった彼女を放っておけなくて、「彼氏」のフリをすることにした。
 まさか、高校になるまでそれが続くと思わなかったが。

「達矢はわたしの彼氏なんでしょう?」
「だから、フリはしてやるけど、二人っきりのときは別にいいだろ?」

 確かに、入学式には余裕で間に合う時間に俺たちは登校していた。周りに人の目は無い。だから俺は、安奈をぞんざいに扱っていた。彼氏彼女ではない、ただの幼馴染として。

「二人っきりのときも、優しくしてよ」
「嫌だね」

 俺と安奈の間の「嘘」には、ある終了条件があった。それは、どちらかに「本当の恋人」ができたらこのフリは解消しようということ。高校になれば、安奈だって好きな人ができるかもしれない。そうなれば、俺は用済みだ。いつだって、その準備はできている。

「達矢のバカ」

 安奈は端正な顔をくしゃりと歪め、俺を睨んだ。それには無視することにして、俺は校門をくぐった。県立(みなと)高校。通称ミナコーと呼ばれるこの公立高校は、家から近く、服や髪の校則がゆるいという理由で選んだ。受験勉強はちょっと大変だったが、晴れてここのブレザーを着れるというのは気分の良いものだ。べったりくっついてくる彼女もどきのことは置いておいて。

「クラス分け、掲示板に貼ってあるんだってさ。見に行こうか」

 他の新入生たちをかきわけ、俺は掲示板を見た。どうか安奈とはクラスが別れていてくれと願いながら。

「……あった。俺は一組だ。安奈は?」
「わたしは二組だって」
「クラス、別れたな」
「残念だね」
「ああ」

 さて、ここからは彼氏モードだ。二人っきりでなくなった途端、俺は安奈の「彼氏」を自然と演じられるようになっていた。

「達矢、帰りは一緒に帰ろうね」
「もちろん。早く終わった方がクラスに迎えに行こうか」
「うん」

 付き合ったフリを始めたその日から、俺たちは登下校を共にしていた。これから先も、安奈はそうしたがるだろう。しかし、俺は高校では帰宅部にすると決めている。安奈はまた合唱部に入るだろうから、そうなれば別々に下校できる。部活動が始まるまでの我慢だ。そう思うことにした。
 入学式には、クラスの出席番号順に着席するようだった。体育館の入り口で、俺は言った。

「じゃあ、またな安奈」
「うん、達矢」

 安奈と離れ、俺は自分の席に座って一息ついた。今後も、偽りの恋人を演じなければならないのにはうんざりするが、俺は俺なりに、高校生活を楽しもう。あわよくば、安奈に本当の恋人ができて、嘘をつき続けなくてよくなりますように。そう願いながら、俺は退屈な式典の時間を過ごしていた。