しばらく紙パックのジュースを吸う音だけが聞こえた。午後八時半。消灯の定刻はまだだが電気は消されている。ロビーには誰もおらず、テレビも消される今の時間となれば、自販機の音か、用便を足す者がいれば水の音がするのみだ。
「あんなんで距離置いてもらえるほど、十八歳はドライじゃないぞ、っと」ゴミ箱に投じたパックが狙いを外れる。改めて捨てに行くと新野はパックをローテーブルに置きストローをがじがじと噛みながら本の世界に戻っていた。
「『どうもしない』ってのはおまえ自身の希望でもある訳か」
「だったら何」
「別に何も。いきなりここでおまえの感じ方とか価値観とぶつかり合いたいって訳じゃない。そこまで馬鹿じゃない」
 ふたりでソファに並んでふんぞり返る。「何しに来たの」と新野。「さあ。なんだと思う? 答えは『別に何も』なんだけどな」と答える。

 新野は立ち上がり、「それってイコール『どうもしない』じゃない?」とストローをごみ箱へぷっ、と吹き飛ばして捨てる。「そう思う?」
「楠原。なんかむかつく」そういったもののソファに戻り、またふんぞり返る。
「じゃあどうする?」おれは振り向きもしないで問う。
「——『どうもしない』。なんか、楠原、意外と毒っ気がない。それに免じて」
「そりゃどうも。でもさ、なんでおれならいいんだ? シンプルに気になる。なにも作為とか、意図してねえのに」
「いや、分からないならいい。でもこうしてここに来たっての、何かを意識してのことだったと思うけど」

 おれは二本目の紙パックのコーヒーを買い、
「そうか? 別になんとも思ってないけど。多分おまえと同じだろうよ」と述べる。
 新野はうつむいて「そう、か。同じなら、仕方ないけど——」といい、がばっと立ち上がりおれの胸倉を掴む。「じゃあ、男同士ってのは?」と新野は呼吸を荒くして問う。

 新野を抱きしめる。胸を打つ鼓動が自分のものか相手のものか分からないほどに密接に。そのあとで新野の肩を掴んで見つめ合う。二、三秒向き合う。新野は顔をそらせ吹き出す。
「ちょっと」と新野がソファで笑い転げる。「楠原、冗談きついって」
 おれはソファにどっかと座り、「ひでえな」とそっぽを向く。「え?」
「もう知らねえ」おれは立ち上がり廊下を歩きだす。
「え、なになに、まさか、あれなの? ほんと」
 追いかける新野の手首を掴んで引き寄せ、唇が触れるか触れないかの距離で時が止まる。まじ? という戸惑いの色が双方に見られ、しかしそのままの表情でふたりの距離はゼロからマイナスへ達す。達そうとする。ふたりは均衡を保つかに思えたが、新野はおれの胸を両手でつき飛ばし、寮舎を走っていった。

 電気も消された。この寮舎で起きている者は少ない。甘いだけのコーヒーを二本飲んで腹もふくれている。新野には、まあ嫌われただろう。自分の何が正しくて何が失策であったのかも分からないまま、おれは全身をソファにあずけた。

 寮室に戻ればなんてことはない、新野も、野々井も三坂部もすでにベッドに入っており、新野と野々井にいたっては小さく、もしくは大きくいびきをかいて寝入っていた。
「楠原、ちょっと」
 三坂部に手招きされ寮室を出る。

「おい、みっちゃん、なんだよ。痛えじゃねえか」
 思い切り頬を殴られた。が、三坂部の方が右手を股に挟み文字通り七転八倒しているのを見、「は? 折れたか?」と気遣う。
「い、いや、たぶん折れてはいない。それに折れたとしても、僕は左利きだからペンは握れる。そういうの、考えたから。でも、くそがっ、痛え。おまえ、顔超硬いな」
「悪かったな」とりあえず謝っておく。「で、なんで殴られないといけないんだ?」と問う。
「に、新野、泣いてた。理由は知らんがおまえと関係あるだろうさ。事情を聞いて納得してからじゃ殴れないからな、殴れるときに殴っておいた。それだけだ」
「ずいぶんと暴戻だな。立てるか?」
立てる、といい三坂部が立ち上がったので「見せてみろ」と拳を診る。「こっち曲げて——反対側。じゃ、横方向——まあ、内出血も腫れも青タンもない。大丈夫だろう、痛そうだけどな」
 寮室に戻ったおれと三坂部は口も利かず、手洗い場へ歯みがきにも行かずそのままベッドで丸まった。