ノックのあと、入室する。
「あ! おまっ、おまえ!」
「ああ、例の」
「——ひっ」
バラエティに富んだリアクションですこと。「げふっ」自販機で買ったコーラのげっぷを横を向いて放つ。

「え、なにが」とネクタイをしゅるりと取り、壁につるしたハンガーにかける。
「三回生にSMプレイした新入生!」
「語弊ありすぎ」
「エス、エム——」
 もうすこし統制が取れていてもよくないか。

「ちょっと先輩に目つけられたから正当防衛と、今後の友好関係のために仲直りしてきただけだよ。おれは楠原(くすはら)。よろしく」
「そ、その流れで自己紹介かよ——俺は野々井(ののい)
「——三坂部(みさかべ)
「新野《にいの》、です。よろしくお願いします」
 おれは散らかりきった寮室を眺める。「ここの片づけはだれがするの? あ、いや。それはどうでもいい。ほかに絡まれたやつはいない?」
「おっ、おれは」

「僕は野々井の前で偉そうにしてれば野々井より上だと思われるし、新野も野々井にぴったりついてれば当面は大丈夫だ。よって、野々井の発育過剰な図体で楠原以外は問題なし。楠原もどうやらこちらが気にすることもないみたいだし、目下この班にある問題といえば」
 おれはベッドで腕を組む。「班長決めか」
「それについても解決済みだ」
「どういうことだ、三坂部?」
「消去法で君がすることになった」
 おれは小さくため息をつき、「どうも、班長です」とだけいった。

 梅雨。学長が亡くなった。
 寮室当たり一名から二名以上、参列しなさい、と優しく丁寧に——つまるところ、寮室で取りまとめる任意の香典からの免除というしごく分かりやすい条件提示で通達が来た。
 話し合いの結果、スポーツ推薦の剣道部エース野々井、塾講師の三坂部がどうしても外せなかったのでおれ——楠原と押しに弱い新野での参列が決まった。だが、そうかんたんには進まなかった。まず朝。

「なんで礼服借りられるあてもあって自分のスーツも持っててネクタイ結べねえんだよ」
「だって、高校は紐引っ張るタイプだったし、入学式は母さんに」
「貸せ。おれがやる」
「ご、ごめん、楠原」
「いや——なるほど」
「な、なに?」
「おれ、これまでの人生で前からネクタイ結んだことねえんだわ。すなわち無理。新野、おまえちょっと屈め」

 おれは新野の後ろに回り、羽織のない二人羽織状態でネクタイを締めることにした。とはいえ梅雨の蒸し盛りだ。汗ばんだ頭や耳の裏、首筋をあっちによけこっちによけでなかなか決まらない。
「その、ごめん、臭いよね、ぼく」
「それは問題ない。剣道部の部室の方がもっと臭い。誰かしら班から出すということで野々井の方が残ったんだが、線香のにおいの方が一〇〇倍マシで、おまえの体臭なんざそのさらに一〇〇〇倍マシ」
「そうな——ひゃうっ!」
「どうした、十万倍じゃ足りないか」
「じゃなくて、ちょ、ちょっとその、肩に顎乗せると、息が」
「耐えろ」
「いや耐えるとかそういう問題じゃなくて」
「じゃノータイで行け」
「た、耐えます、耐えれます——たぶん」

「ああ、暑い!」結び終えたおれは自分のネクタイをむしり取る。
「なんか、ごめん。っていうかネクタイ、これから告別式」
「ああ、こんなのすぐ結べる。バスで結べる。それにだいたい、ネクタイはむしり取るためだけに存在するんだよ」
「そ、そうなの」