黒竜(シャドウ)が飛び去っていく光景を前に、ディルは焦りを覚える。
 同時に何もできないという激しい無力さを感じた。
 絶対に奴を止めなければいけない。けれど自分には何もできない。
 飛び去っていく黒竜(シャドウ)を瞬時に撃ち落とせるほどの手腕を、自分は持ち合わせていないから。

(僕にいったい、何ができる……?)

 明らかに魔法の発動が間に合わない。
 間に合ったとしても、自分の魔法程度では決定打にならないだろう。
 そもそもあそこまで離れた標的に魔法を直撃させるのも至難だ。
 自分が類稀なる天才だと自負しているからこそ、才能だけではどうしようもない状況というのも熟知している。
 何より自分は、地上にいた黒竜(シャドウ)さえもまともに傷付けることができなかったのだから。

 それを代わりにやってくれたのは、ローズマリー。
 目の前でローズマリーの覚醒を見たことで、ディルはまた一段と実力の差を見せつけられた。
 自分の才能がその程度なのだと、改めて実感させられる。
 こんな自分には、きっと何もできない。
 飛び去っていく飛竜の背中を眺めていることしか……

(…………いや、そうじゃないだろ!)

 今ここで重要なのは、できるかできないかじゃない。
 やらなきゃいけないんだ。
 この領地の主人として、多くの開拓兵を率いる将として、何よりローズマリーの婚約者として。
 ここで黒竜(シャドウ)を逃がせば、またより多くの人が傷付けられてしまう。
 それはすなわち、あのマーシュという男の悪意によって、新たな犠牲者が生まれてしまうということだ。
 それが許せないのは当然だけど、その事態にローズマリーが多大な責任を感じる可能性が高い。

 マーシュの怒りを買ったのは自分で、そのせいで飛竜を目覚めさせてしまい、たくさんの人を傷付けてしまったと。
 ローズマリーに悲しい顔をさせるのだけはダメだ。
 彼女に一番似合うのは、魔法を楽しんでいる時に見せるような、子供のように純粋で明るい笑顔なんだから。

(絶対に僕が、黒竜(シャドウ)を止めてみせる――!)

 体の内側が、燃えるように熱くなった。