「ねぇ、図書室ピエロって知ってる?」

「図書室ピエロ?」

 私が図書委員の仕事をしていると、同じ当番の沙織ちゃんがそんなことを口にしてきた。

 私が初めて聞く言葉に首を傾げると、沙織ちゃんはふふんっと得意げに笑う。

「図書室にある鏡を三分間見つめてると、ピエロが出てくるんだって」

「ピエロって、サーカスとかに出てくる人だよね?」

 私は昔見たサーカスの映画にでてきたピエロを思い出した。

 確か、あの映画は心優しいピエロの感動的な話だった。

 だから、私の中のピエロは、良い人っていう認識だ。

それなのに、なんで沙織ちゃんは怪談話でもするかのような感じで話しているのだろうか。

私がきょとんと首を傾げていると、沙織ちゃんはずいっと顔を近づけて声を潜める。

「ううん。そんな可愛い奴じゃないよ。怖いピエロがやってくるんだって。それで、鏡の世界に連れていかれちゃうの」

「鏡の世界?」

 鏡の世界ってどういうことだろう?

 私はそんなことを考えて、眉を潜めながらちらっと沙織ちゃんの手元を見た。

 すると、そこには『学校の怪談』と書かれた本があった。

 そう言えば、沙織ちゃんって怖い話とか好きだったっけ?

 最近、クラスでも怪談で盛り上がっているクラスメイトをよく見る。

 ということは、流行ってるのかな?

 私はそんなことを考えながら、再び視線を沙織ちゃんに戻す。

 ……沙織ちゃん、凄い話したそうに目をキラキラさせてる。

 多分、人に話したい怪談話なのだろう。

「えっと、もう少し詳しく教えてくれるかな?」

 私がそう言うと、沙織ちゃんはノリノリで私の手を引いて図書室の鏡がある所まで私を連れていった。

 なんでこんな所に連れてきたのだろう?

 そんな私の考えを察したのか、沙織ちゃんは腕を組んで口を開く。

「まずは条件として、図書室に鏡があることが必須なの」

「ふーん、そうなんだ」

 私はそう言いながら、鏡に映る自分を見つめる。

 あっ、少しだけ寝癖が直ってないところがあるかも。

 私がぴょこんと跳ねている寝癖を直そうとしていると、鏡越しに不満そうな顔をしている沙織ちゃんと目があった。

 すると、沙織ちゃんはジトっとした目を私に向けてきた。

「……あんまり、鏡の中の自分を見つめすぎないでね。悪いピエロが出てきて、鏡の中に連れていかれて、殺されちゃうから」

「え?! ちょっと、そう言うのは早く言ってよ!」

私が体をビクンとさせると、沙織ちゃんは噴き出したように笑いだした。

少し馬鹿にされた気がして、私がむくれていると沙織ちゃんは『ごめん、ごめん』と手を合わせて私に謝る。。

「和香ちゃん怖がってなさそうだったから、少しからかっちゃったんだって! それに、三分間見つめてなければ大丈夫だから!」

「三分間見鏡を見つめるとピエロが出てくるの?」

「そうだよ。だから、図書室の鏡は気をつけないとなの」

 沙織ちゃんの言葉を聞いて、私はまた鏡をじっと見つめる。

 この鏡の中にピエロがいる?

 鏡の中にピエロが住む世界があるわけがないし、ありえない話だと思う。

 それでも、そう言われてから鏡を見るとなんだか不気味な鏡に見えてきた。

 どうしよう、急に少しだけ怖くなってきたかも。

「……ねぇ、気になるなら試してみる?」

 すると、沙織ちゃんが小さくそう言ってきた。

 私は思いもしなかった言葉に驚いて目を丸くする。

「試すって、鏡を三分間見つめるってこと?」

「うん。こういう話って気になってはいるんだけど、一人だと怖くて試せないんだ。でも、今なら一人じゃないし、何かあってもどうにかなりそう」

 沙織ちゃんは意気込むようにきゅっと小さく拳を握っていた。

 その姿を見せられて、私は自然と生唾を呑み込む。

 正直、ピエロの話を聞いてから、その話が本当なのか気になってしまっていた。

 私はこれからも図書委員としての仕事をすることがあるので、今後も放課後とか図書室に残ることもあるだろう。

 そうなったときに、ピエロの話を思い出さないのは無理だと思う。

 それなら、今ここでピエロなんていないということを証明してしまった方がいい。

 何も起こらなければ、怖がる必要もないのだから。

 私はそう考えて、沙織ちゃんの言葉に小さく頷いたのだった。



「えっと、時間は本当に今の時間でいいんだよね?」

「うん。特に時間の指定はなかったと思うよ」

 こうして、私たちは図書室ピエロを呼んでみることにしたのだった。

 私と沙織ちゃんは並んで静かに図書室にある鏡をじっと見つめる。

 何か特別な儀式がるあるわけではないので、やると決まってからの行動は早かった。

 私は図書室の鏡を見つめながら、こんなに長くここの鏡を見たことはなかったんじゃないかと考えていた。

 家の鏡とか、トイレの鏡を長い間見たことはこれまでにもあった。

 でも、図書室にある鏡って気にしたこともなかったかもしれない。

こうして見ると、この鏡って結構年季入ってるんじゃないかな?

 私はそんなことを考えながら、首筋に流れる冷や汗を拭う。

 ピエロが現れるという三分間に近づくにつれて、緊張感が増してきた。

「三分間ってもう少しじゃない?」

「うん、多分あと数秒とかじゃないかな」

 沙織ちゃんの言葉を聞いて、私はひと際心臓の音をうるさくさせていた。

 鏡の中に人を連れこむピエロなんかがいるわけがない。

 そう思いながらも、私は徐々に何かが映り始めた鏡を前に、小さな悲鳴のような声を漏らしてしまった。

 今、何か動かなかった?

「だ、だめだ! やっぱり怖い!」

 私がびくびくしながら鏡を覗き込むと、すぐ隣で沙織ちゃんの声が聞こえた。

「え? うそ、」

 そして、次の瞬間。私の腕は鏡の方にぐんっと強く引かれた。

 あっ。

「ごめん、ごめん。いつも直前になって怖くなっちゃうんだよね……あれ? 和香ちゃん?」



「う、うわぁぁぁぁぁぁぁ!! の、和香ちゃん! 和香ちゃんがぁ!!」

 私の目の前で泣き叫ぶ彼女の姿を見て、私は思わず声をかける。

「えっと、大丈夫?」

「え、和香ちゃん?」

 私がクスッと笑うと、沙織ちゃんは私に勢いよく抱きついてきた。

「よかったぁ! 和香ちゃん!」

 私は泣きながら私を強く抱きしめる姿に笑みを浮かべて、その体を強く抱きしめ返した。

 そのとき、ぽとっと何かが落ちる音がした。

「あっ、和香ちゃん何か落ちた――よ、」

 しまった。

 そう思った時にはすでに遅く、鼻から落ちた肌色の物体に気づかれてしまった。


 そして、二つ穴が開いているそれを見た彼女は、言葉を失って固まってしまっていた。

 やっぱり、取ったばかりの物をくっ付けても、上手く馴染まないみたいだ。

 私はぷっくりと出ている丸い鼻を撫でてから、彼女の体を強く引きつけた。

 そして、彼女の二度目の悲鳴が図書室に響くよりも早く、私は彼女を連れてその場を後にしたのだった。