「ほら、みんな早く行くよ!」

「千里、あんまり大きな声出さないで。先生が残っていたら、怒られるでしょ?」

 夜の校舎の不気味な雰囲気とは対照的に明るい千里ちゃんを、委員長の奏ちゃんが注意する。

 そんな二人のやり取りを見て、遠藤加奈こと私は愛想笑いを浮かべていた。

 うん、いつもと変わらないやり取りだなぁ。

 そう思うと、直前まで感じていた怖さが微かに緩んだ気がした。

 そして、私の隣では顔が見えないくらい前髪が長い真理ちゃんがいる。

 うん、あまりしゃべらない彼女もいつも通りみたい。

 私はそんなことを考えながら、真っ暗になった周辺を見る。

 時刻は夜の九時。私たちは学校の門に集まっていた。

 いつも通っている校舎に灯りはついておらず、ひっそりと夜の闇に染まった校舎は不気味に感じる。

 ……夜の学校って、いつもと違ってなんか怖いかも。

 そう思いながらも、その場から離れないでいるのには理由があるからだ。

「私肝試しなんて初めてだよ。少し緊張するね、真理ちゃん」

 私が隣にいる真理ちゃんにそう言うと、真理ちゃんはこくんと静かに頷く。

 そんなやり取りをしてると、千里ちゃんがぐっと強く拳を握る。

「大丈夫だって! 今日はクラスの歩くオカルト辞典、真理ちゃんがいるんだから! 彼女の知識があれば、どんな幽霊が出ても問題ない!」

「千里、声大きいってば」

 千里ちゃんは肝試し前とは思えないニコッとした笑みを浮かべている。

 そんな千里ちゃんを見て、奏ちゃんは眼鏡をくいっと動かしてから、小さくため息を漏らす。

「なんでわざわざ夜の校舎なんかに来ないとなのよ。お化けなんているはずがないのに」

「そんなことはないって! 昨日だってテレビで幽霊特集やってたし、絶対にいるってば! ねぇ、加奈ちゃんもそう思うよね?」

「う、うん。少しだけ私も気になるかも」

 千里ちゃんにぐいっと近寄られて、私はその勢いに負ける形で頷く。

 私たちのやり取りを見ていた奏ちゃんは微かに眉を下げた。

「加奈ちゃんもオカルトとか好きなの?」

「うん、少しだけ。昨日やってた心霊特集観て、興味湧いちゃった」

 夏ということもあってか、最近テレビで心霊特集がよくやっている。

 観る前はそこまで興味はなかったんだけど、観始めたら止まらなくてずっと観てしまった。

 そして、お化けって本当にいるのかなと考えているときに、放課後に千里ちゃんたちが話している会話が聞こえてきた。

 時は少しだけ遡る。



「奏! 昨日の心霊特集観た?」

「観るわけないでしょ。お化けなんかいるはずがないんだから」

 いつもは気にしない他のグループの子たちの会話。

 それなのに、心霊特集のことを話す千里ちゃんたちの会話が気になった。

「加奈ちゃん、帰ろ―よ」

「あ、うん。ちょっと待って」

 私は帰ろうと言ってくる友達の声に頷きながら、千里ちゃんたちの会話に聞き耳を立てていた。

「それがいるんだよ! なんと、この学校にいるかもしれないんだって!」

「学校に?」

「そう、トイレの花子さん! 学校の怪談っていうのがあるらしくて、それによると正しい手順を踏めば花子さんに会えるんだって!」

 トイレの花子さんは昨日テレビでも扱っていた話だ。

 女子トイレにいる幽霊のことで、彼女を呼ぶとトイレに引きずり込まれてしまうらしい。

 ……なんか面白そうな話をしてるみたい。

 会話に加わりたいという気持ちが強くなって、気づけば私は振り向いて二人の会話を聞いていた。

「トイレの花子さんって、女子トイレにいる幽霊のことでしょ? 私、女子トイレ使ったことあるけど、会ったことないよ?」

「正しい手順を踏めば会えるんだって! そもそも、夜じゃないと会えないみたいだし!」

 千里ちゃんは自慢げな笑みを浮かべてから、ぴんっと人差し指を立てる。

「だから、今日トイレの花子さんに会ってくるよ! 夜の学校に忍び込んでね!」

「忍び込むって、そんなことした怒られるでしょ。やめなさい」

「やめないよ。まぁ……どうしても一緒に行きたいって言うのなら、一緒に来てもいいけど?」

 千里ちゃんはそう言うと、ちらちらと意味ありげに奏ちゃんを見る。

 奏ちゃんは何とか説得を試みようとするが、まったく折れる気のない千里ちゃんを前に諦めたようにため息を漏らす。

「分かったわよ。一緒に行ってあげるから。千里を一人にしたら何をしでかすか分からないから、私が一緒に行ってあげる」

「さすが、奏! 頼りになるよ! 他にも誰か一緒に来てくれる人とかいればいんだけど……ん?」

 千里ちゃんが辺りを見渡したとき、ふと私と目が合った。

 やばっ、会話を盗み聞きしていたことがバレたかも。

 しかし、千里ちゃんはそんな私に怒ることなく、逆ににんまりとした笑みを浮かべてきた。

 手招きをされて千里ちゃんたちの方に向かうと、千里ちゃんは悪巧みをするみたいな顔で耳打ちをしてきた。

「加奈ちゃん。もしかして、夜の学校に興味があったりする感じかな?」

「う、うん」

「それなら、一緒に夜の学校を探検する?」

 私は少し悩んでから、千里ちゃんからのお誘いに頷いた。

 それから、千里ちゃんは他に幽霊に興味がありそうな子として、いつも一人で幽霊の本を読んでいる真理ちゃんを誘ったのだった。



 時は再び夜の九時に戻る。

「ここまで来たのはいいけど、どうやって校舎に入るの? 門がかかってるけど?」

 奏ちゃんはちらっと校門を見てから、不満げな顔を千里ちゃんに向ける。

「そこは大丈夫! みんな、こっちに来て!」

 千里ちゃんは肝試しを楽しむようなテンションでそう言うと、私たちの先頭を歩いていく。

 学校の周りをぐるっと半周したくらいのタイミングで、千里ちゃんは懐中電灯で学校を囲う柵の周りを照らして、何か探し始めた。

「確かこの辺に……あ、あった! ここ、ここだよ!」

 千里ちゃんは私たちに振り向きながら、柵の一部を懐中電灯で照らす。

 懐中電灯で照らした先には、子供が通れそうな穴が開いていた。

「ほら、ここ穴開いてるんだよ。私たちの身長なら、屈めば余裕で通れる!」

 千里ちゃんはニッコリと笑ってから、いそいそとその穴をくぐって学校の敷地の中に入った。

「ほら、みんなも早く!」

「……これって、防犯的に大丈夫なの?」

 奏ちゃんはそう言いながら屈んで柵の穴を通って、千里ちゃんに続いた。

 そのあとに、真理ちゃん、私と順々に続いて私たちは無事学校の敷地に入ることができた。

 膝についた乾いた土を軽く払って、私はみんなの後に続く。

「学校の敷地に入れたけど、校舎に入れなくない? 鍵かかってるよね?」

「加奈ちゃん、ご安心を! ちゃんと一階のトイレの鍵を開けておいたから、そこから入れるはず!」

 千里ちゃんは私の疑問にノリノリで答えると、私たちを鍵を開けておいたという一階のトイレへと連れていった。

「なんでよりによって、トイレの鍵なのよ」

 奏ちゃんは不満げにそう言いながらも、私たちと同じように少しだけ高い位置にあるトイレの窓から校内に入るのだった。



「よっし。とりあえず、侵入成功! あとはトイレの花子さんに会えればミッションコンプリートだ!」

「いるわけないでしょ。そんなの」

 トイレから侵入した私たちは、電気がついていない廊下に出て一息ついていた。

 千里ちゃんと奏ちゃんのやり取りを聞きながら、私は真っ暗な校舎の不気味さに生唾を呑み込む。

「け、結構不気味だね」

 隣にいた真理ちゃんは私の声に静かに頷く。

 あれ? 少し怖がってる?

 どうやら、オカルトや怖い話が好きでも怖いものは怖いようだ。

 それっきりで私と真理ちゃんの会話は終わって、千里ちゃんと奏ちゃんが話し終えるのを待っていた。

 二人はあーでもないこうでもないと話し合ってから、方向性が決まったらしく、私たちを見た。

 千里ちゃんは肝試しには向かない笑みを浮かべている。

「とりあえず、問題は学校のトイレがたくさんあるところなんだよ。だから、ここからはグーパーで分かれて、全部のトイレを確認しよう! 確認し終えたら、またここに集合ね!」

「え、二手に分かれるってこと? 怖くない?」

「加奈ちゃんよ、怖いからこその肝試しなんだよ! それに、人数少ない方がトイレの花子さんも出てきやすいかもしれないし!」

 これだけ真っ暗な校舎を二人で回るのは怖い。

 みんなもそうだよねと思って奏ちゃんを見ると、奏ちゃんは小さく頷く。

「そうね。どうせトイレの花子さんなんていないんだし、効率的にトイレを見て早く帰りましょう」

「えぇ、奏ちゃんもそっち派なの? 怖くないの?」

「怖いわけないでしょ。だって、トイレの花子さんなんて作り話だもの」

 奏ちゃんは眼鏡をくいっと上げながら、余裕な顔をしている。

 どうやら、本気で幽霊とかはいないと思っているみたい。

 ちらりと真理ちゃんの方を見ると、真理ちゃんも千里ちゃんと奏ちゃんと同じ意見なのか、こくんと頷いている。

 えぇ、みんな度胸あり過ぎじゃない?

 私はそう思いながら、多数決には勝てないと思って千里ちゃんの案に乗ることになった。

「じゃあ、いくよ! グッパーで分かれましょ!」

 千里ちゃんの掛け声に合わせて、私たちはグッパーで分かれることになった。

 その結果、私と奏ちゃん、千里ちゃんと真理ちゃんのチームに分かれることになったのだった。

 そして、私たちは二手に分かれて、トイレの花子さんを見つけるために動き出した。



「ええっと、三番目の扉はここね」

 私と奏ちゃんは西側にある女子トイレを一階から見て回ることになった。

 懐中電灯に照らされるトイレはいつもよりも温度が低いような気がした。ただ寒いだけではなく、少しぞわっとする感じだ。

 奏ちゃんはずんずんと進んでいくと、トレイの個室をコンコンコンッと三回ノックして、小さく咳ばらいをする。

「花子さん、いらっしゃいますか?」

「……」

「いないわね。次にいこっか」

 しかし、そんな怖がる私と違って、奏ちゃんはいつも通りだった。

 ただ冷静に淡々とトイレをノックして返事がないことを確認すると、何事もなかったかのようにトイレを後にする。

「奏ちゃん、本当に怖くないんだね」

「当たり前でしょ。いないものを怖がるなんてことできないもの」

 奏ちゃんは小さくため息を漏らしてから私を見る。

「加奈ちゃんもごめんね、千里のわがままに付き合ってもらっちゃって」

「う、ううん。そんなことないよ。私も興味があったのは本当だし」

 確かに、勢いに押されてしまったというのもあるけれど、それよりも夜の学校で肝試しができるということに興味があったのだ。

 そして、何よりも昨日テレビで観たトイレの花子さんを見れるかもという好奇心もあった。

「そう? そう言ってくれるのなら、いいんだけどね」

 奏ちゃんと一緒に一階から二階に向かっている道中、奏ちゃんはふむと考えてから微かに口元を緩める。

「そんなに興味があるのなら、二階は私、三階は奏ちゃんに頼もうかな?」

「え?」

「一階は私がほとんど一人でやったわけだし、加奈ちゃんにも一人でやってもらおうかなって」

「で、でも、」

 トイレの花子さんは三階の女子トイレに出ると言われている。

 その一番怖い所に一人で行くなんて、さすがに怖すぎる!

 私がふるふると小さく震えて奏ちゃんの服を掴むと、奏ちゃんは小さく噴き出すように笑う。

「ふふっ、冗談だってば。そうだよね。三階は一番怖いみたいだし、一緒に行こうか」

 奏ちゃんは私に気を遣ったのか、安心する笑みと共にそんな言葉を口にした。

 ……奏ちゃんって、冗談とか言うんだ。

 奏ちゃんとの距離が一瞬近づいた気がした。

 そう思うと同時に、もっと奏ちゃんとも仲良くなれたらなと思った。

 うん、せっかく冗談を言ってくれる仲になれるならここは頑張らないと。私は怖がりながらもきゅっと強く拳を握る。

「ううん。やっぱり、三階は私一人で行かせて!」

「え、大丈夫なの? 別に一緒に行ってもいいのに」

「ううん。奏ちゃんは二階をお願い! ぱぱっと終らせて、早く千里ちゃんたちと合流しよう!」

 力強く私がそう言うと、奏ちゃんはぽかんとした後に小さく笑う。

「足、震えてるけど本当に大丈夫?」

「だ、大丈夫だよ!」

 私の声が裏返ったのを聞いて、奏ちゃんはまた少し笑っていた。

 恥ずかしいけれど、そのせいもあってか少し怖さが落ち着いてきた。

 うん、今ならいける気がする!

「それじゃあ、私先に行くから後で一階で合流ね!」

「はいはい、何かあったら助けを呼んでくれてもいいからね」

「よ、呼ばないよ!」

 私はそんなふうに奏ちゃんにからかわれてから、急ぎ足で三階の女子トイレへと向かった。

 なんだか奏ちゃんと仲良くなれた気がする。

 うん、頑張って奏ちゃんに一人で行くって言えてよかったもしれない。

 奏ちゃんと冗談を言い合えるような仲になれたことに喜びながら、私は階段を駆け上がるのだった。



「……ここが、三階の女子トイレ」

 私は呼吸を少しだけ浅くして、懐中電灯でトイレの中を照らす。

 すると、そこにはいつもは感じない不気味さがあった。

「っ!」

 不意に手洗い場にある鏡に映った自分を見て、私はビクンと肩を跳ねさせる。

 び、びっくりした。誰かいるのかと思った。

 私はうるさくなった心臓の音を聞きながら、花子さんがいると言われる三番目の個室の前に立つ。

 確か、ノックを三回してから『花子さん、いらっしゃいますか』って言うんだっけ?

 私は昨日のテレビの特集を思い出しながら、小さく一回ノックをする。

 周りの音が何も聞こえないせいか、その音はよく響いた。

 続いて、私は二回目のノックをした。

 申し訳なさそうな小さな音なのに、その音は廊下の方まで響いている気がした。

 最後に、私は三回目のノックを――

「は、花子さん、いらっしゃいますか?」

「……」

 三回目のノックをせずに、私は震える声でそう言った。

 最後にノックをしようとした瞬間、ぞわぞわっと全身に寒気がした。そのせいで、私はノックを躊躇ったのだ。

 その結果、ノックの回数は二回しかできなかった。

「い、いないんだよね?」

「……」

 私は後退りするようにトイレから出ると、そのまま廊下を走って一気に一階まで駆け下りていった。

「はぁ、はぁっ、はぁっ!」

 私の目には怖さのあまり薄っすらと涙が浮かんでいたけど、そんなことを気にする暇もなく、私は転げ落ちるように階段を下っていった。

 そして、初めに千里ちゃんたちと分かれた場所に向かうと、そこには私以外のみんなの姿があった。

「み、みんな……よ、よかった」

「おー、加奈ちゃん! すごい勢いだけど、何かあった?」

「ほんとう、凄い汗。加奈ちゃん大丈夫?」

 私が足を絡ませながらみんなのもとに着くと、みんなは私を見て心配してくれた。

「な、何もなかったんだけど、怖くて、走ってきちゃったっ」

 私が息を切らしながらそう言うと、加奈ちゃんはニコッと笑ってから奏ちゃんを見る。

「そっか、そっか。何もないなら良かったよ! 奏も酷いことするなぁ、こんなに怖がる子を一人で三階の女子トイレに行かせるなんて」

「私は少しからかってみただけよ。それに、千里だって人のこと言えないでしょ? 真理ちゃんに一人で三階に行かせたんだから」

 千里ちゃんと奏ちゃんは互いにそんなことを言い合っていた。

「え、真理ちゃんも一人で三階に行ったの?」

 私は千里ちゃんから少し離れた所にいる真理ちゃんを見る。

 真理ちゃん、一人で三階の女子トイレに行ったのに凄い落ち着いているみたい。私みたいに取り乱していないもん。

 分かれるまでは少し怖そうにいしていたのに、やっぱり怖い話が好きな人は強いのかもしれない。

 私は少し恥ずかしくなりながら、頬を掻く。

 そんな私を見て、千里ちゃんは照れくさそうに頭を掻きながら気まずそうに笑う。

「いやー、直前になったら怖くなっちゃってね! 私は二階で待ってて、真理ちゃんに三階をお願いしたんだよ!」

「まったく、言い出しっぺが直前に怖がるって何なの?」

「いやー、ごめんごめん。とりあえず、花子さんはいなかったということで、帰ろっか!」

 千里ちゃんは明るい声でそう言うと、私たちを先導するように先頭に立って歩き出した。

 校舎を出た私たちは、行きに通ったのと同じ柵の穴を通って出ることになった。

 千里ちゃん、奏ちゃん、真理ちゃん、私の順で穴をくぐって学校の敷地の外に出ることになった。

 トイレの花子さんはいなかったし、何事もなく肝試しを終えることができた。

 私は安堵のため息を漏らしながら、胸をなでおろす。

「ん?」

「……どうしたの?」

 行きと同じように体を小さくして、屈んで柵の穴をくぐろうとしたとき、地面につけた膝が微かに濡れた気がした。

 あれ? 雨でも降ったのかな?

 そう思って顔を上げると、雲一つない星空が広がっているだけだった。

「ううん……なんでもないよ」

 膝についた水に気づかないフリをして、私は初めて聞いた声にそう答えるのだった。