「僕、ちょっとお手洗いに行ってくる。」

奈央が席を外し、渚は何気なく絹に尋ねた。

「湊さんって昔からお菓子作りが得意だったんですか?」

すると絹は大きく首を横に振った。

「いえいえ!湊坊ちゃまは学生時代は剣道一筋で食べる専門でしたのよ?」

「じゃあなんでこんなに美味しいスイーツを作るようになったのかしら?」

「それは・・・奈央坊ちゃまの為ですのよ。」

「え・・・?」

「奈央坊ちゃまのお母様、美里お嬢様は色々ございましてね・・・。奈央坊ちゃまはいつも幼い頃から淋しい想いをされていたんですの。それを見ていた湊坊ちゃまが奈央坊ちゃまを励まそうとして始めたものなんですのよ。」

「そうだったの・・・。」

そんな深い想いで作っているスイーツを私は軽くおねだりしてしまった・・・渚の胸の奥がちくりと痛んだ。

「湊坊ちゃまは文武両道で学校の成績も運動もそれはそれは優秀で。まあ・・・ご主人様がそれは厳しく湊坊ちゃまを躾なさったものですから。学年一の成績を取っても剣道の大会で優勝しても一言もお褒めにならないのですから、大層淋しい想いをされたと思いますわ。見てるこちらの方が切なくなるほどでしたの。」

「湊さんのお母様は・・・?」

「これはここだけのお話ですけれど・・・湊坊ちゃまの実のお母様は宝石商としてのご職業がお忙しく、子育てを放棄されていましたの。今ではネグレストというらしいですわね。もちろん教育に必要なものは買いそろえておりましたけれど、心はいつもご商売のことばかりを考えておいでで・・・。そのことが原因でご主人様とも別れてしまわれたんですのよ。」

「そうだったんですね・・・。」

渚は湊がかたくなに、「妻には仕事を辞めて家に入ってもらいたい」と主張していた理由が、少しだけ理解出来たような気がした。

「ほどなくして奈央坊ちゃまの母親である美里お嬢様のお母様・・・智美様とご主人様が再婚なさったのですけれど、智美様はご病気で早くに亡くなられて・・・そのあとを追うようにご主人様も・・・」

「・・・あの・・・奈央君のお母さんの美里さんは今どこに?」

すると絹は少し困ったように目尻を下げ、シィッと人差し指を口に当てた。

と同時に奈央がリビングへ戻って来た。

美里さんの話は、奈央君の前では禁句なのね・・・

神妙な顔の渚と絹を奈央は不思議そうに見て首をかしげた。

「どうしたの?二人とも真面目な顔して。何の話してたの?」

絹は機転を利かし、パウンドケーキの乗った皿を持ち上げた。

「これを早く食べたいわーって言ってたんですのよ?」

「そっか。僕を待っててくれたんだね。ごめんね。」

「気にしないで。さあ食べよ?」

渚は絹にひとつ頷くと、奈央に微笑んだ。