そして、放課後。
「神崎、ちょっといい?」
「あっ、うん」
帰りのホームルームを終えるなり、青山君は私の元に来た。
クラスの視線が一気に私たちに向けられているという状況なのに、青山君はまるで気にしていないみたい。
「話があるんだけど、ちょっとここだと目立つからさ、移動してもいい?」
「分かった」
青山君は優しい笑顔を私に向けて、私が帰りの支度を終えるのを待ってくれた。
そして、支度を終えた私は、青山君の少しだけ後ろからついていこうとしたんだけどーー
「なんで俺の後ろ歩くの?」
「並んで歩くと、その、目立つかなって」
「でも、それだと俺が安心できないんだけど」
「え、安心?」
「まぁ、本当のこと言うと、それだけじゃないんだけどさ」
青山君はそう言うと、少しだけ照れ臭そうに頬を掻いていた。
それから青山君は少しだけ周りをきょろきょろと見た後、小さく笑みを浮かべた。
「今は放課後になったばっかりで人多くないしさ、隣歩いちゃだめかな?」
「だ、だめってことはないよ!」
「そう? じゃあ、そうしようかな」
青山君はそう言うと、少しだけ歩くスピードを落として私の隣に並んで歩き出した。
すぐ隣に青山君がいるという状況に、私は心臓が落ち着かなくてどきどきしてしまっていた。
私、青山君の隣を歩いてる?!
そんな状態の私は何も話すことができなくて、私は青山君からかけられた言葉にただぎこちなく返答していた。
そんな感じで、私たちはどこか人が少なそうな所に向かっていた。
「多分、放課後なら誰もいないと思うんだけど……」
青山君はそう言うと、朝に入った空き教室の扉を開けて、その中に誰もいないことを確認して、私を中に招き入れた。
……誰もいない状況じゃないと話せないことって、なんだろう?
そんなことを考えても、正解が全く分からなかった。
青山君が教壇の方に向かって行ったので、私もその後ろを付いていくと、青山君が不意に私の方に振り返った。
「結界は……でも、バレると勘違いされそうだしなぁ」
「青山君?」
「あ、ごめんごめん」
青山君は真剣な顔で何かを呟いていたみたいで、私が声をかけるとはっとして顔を上げた。
何か気になることがあるみたいだけど、なんだろう?
私が小首を傾げていると、青山君は私の手首に視線を落とした後、小さく笑みを浮かべていた。
「ミサンガ、ちゃんと着けてくれてたんだね」
「うん。青山君が放課後まで着けてて欲しいって言ってたから。あ、もう放課後だし、これ返した方がいいよね?」
「まって」
私が朝着けてもらったミサンガを取ろうとすると、青山君が私の手首を掴んできた。
また手に触れられちゃったと思って、私は驚いて目を大きくして青山君の顔を見つめてしまった。
私の視線に気づいた青山君は、そのまま目を逸らすことなく私の瞳を見つめ返してきて、そのまま言葉を続けた。
「もうしばらく、それは着けたままでいて欲しい」
「えっと、なんで、かな?」
手首に伝わる青山君の温度と、指の感触がじんわりと体に染み込んでいく。
顔が熱くなりそうなのを抑えながら聞いてみると、青山君は小さく息を吐いて私の手首から手を離した。
「そうだよね。説明しないとだよね」
青山君は少し困ったように頭をかくと、人差し指をぴんと立てながら言葉を続けた。
「えーと、今の神崎には光の女神の魂が宿っていて、その力を押さえ込むためには、そのミサンガを着けててもらわないとなんだよ」
「ひ、光の女神?」
「うん、光の女神」
突然訳の分からない言葉が出てきて、私は聞き間違いかなと思って聞き返していた。
でも、聞き間違いってことはないみたいで、真剣な青山君の表情は崩れない。
ていうことは、これって本気で言ってるってこと?
光の女神。……光の女神。
「ソ、ソウダッタンダネ! キヅカナカッタヨ!」
「……神崎?」
「マサカ、ワタシにそんな力があったなんてネ!」
「神崎、信じてないでしょ?」
私は頑張って青山君の話に乗ってみたんだけど、嘘を吐くことが苦手な私はつい言葉がぎこちなくなってしまっていた。
そして、そんな私を見た青山君はジトっとした目を私に向けていた。
なんか私が信じてないのがバレちゃったみたい。
「ごめん。でも、なんか乗った方がいいのかなって」
「乗るとかそんなんじゃないんだって。実際に神崎の魂に宿ってるんだって」
「そ、そんなこと言われても、私人間だし」
青山君は本気の顔をしているんだけど、私にそんな自覚があるわけがなくて、私はどう返答したらいいのか分からなくなっていた。
もしも、これが冗談とかだったら、わざわざ放課後に残ってまで話すことじゃないってことは分かる?
でも、青山君の言っていることを簡単に信じるのも難しいんだけど……。
「まぁ、神崎が普通の人間だっていうのは分かってる。俺も入学してずっと神崎のこと見ていたけど、全然気づかなかった。最近、何か身に変化が起きたことってあった?」
「か、体に変化なんて起きてないよ」
さらりと大胆発言をされた気がして、私は熱くなりそうな顔の熱を抑えながら、顔を小さく横に振った。
今、『ずっと神崎のこと見てた』って言った?うそ、な、なんで私のことなんて見てたんだろ?
「些細なことでもいいからさ、何か思いだせないかな?」
「些細なこと……誕生日、とか?」
「え、誕生日? 神崎、もう誕生日過ぎたの?」
「うん。少し前だけど……え、青山君? どうかしたの?」
私がぽろりとそんな言葉を口にすると、青山君は目をぱちくりとさせた後、小さく頭を抱えていた。
なんだろ? 私何か変なこと言っちゃったかな?
「なんでもない。いや、なんでもないことはないのか。……もしかしたら、それがきっかけかも」
「誕生日がきっかけ?」
「うん、多分だけどね」
どうしよう、まるで話が見えてこない。
私は少し考えてから、ふと疑問に思ったことを口にする。
「えっと、私が光の女神だったして、なんで青山君はそのことが分かったの?」
「俺は光の女神に仕える竜神だからさ。気配っていうか、魔力で分かるんだよ」
「竜神? 魔力?」
どうしよう、また想定をしていなかったような返答が返ってきてしまった。
私が目をぱちくりとさせていると、青山君は自分の言葉が冗談ではないことを伝えたいのか、ただ真剣に私の瞳を見つめていた。
「……えっと、青山君って、実は漫画とか好きだったりする?」
「神崎、また信じてないでしょ?」
「いや、だって、魔力とかよくわかんないし」
「まぁ、見せた方が早いかな?」
青山君はそう言うと、何も乗っていない手のひらを上にして、その手のひらをじっと見つめた。
何だろうと思いながらも、私も青山君の何もない手のひらを見つめていると、めらっとした何かが一瞬見えた。
そして次の瞬間、青山君の手のひらの上に青い炎が上がった。
「あ、青山君?! て、手が燃えてるよ?!」
その青い炎は人魂くらいの大きさなんだけど、それでもめらっと燃えている様子が普通じゃなくて、突然の事態を前に私は慌ててしまった。
も、燃えてる?!
この場合って、消防車呼べばいいのかな?! でも、人が燃えてるってことは救急車? その前に、消火器を持ってきた方がいいのかな?!
「燃えてないって。ほら」
急に発火した青山君の手に驚いて、私がわたわたとしていると、青山君は何事もなかったかのように手のひらにあった炎を握るようにして消してしまった。
再び開いた手のひらには火傷の跡などはなくて、綺麗な手のひらだけが残っていた。
さっきまで炎がそこにあったのが、嘘みたいに。
私が口を開けてぽかんとしている様子を見て、青山君はいつもみたいな優しい笑顔を向けていた。
突然火が出てきて、それがまた突然消えて。
それって、やっぱり、そういうことだよね?!
「……青山君って、手品もできるんだ」
「いや、手品じゃないってば」
私の反応を見て少しこけそうになった青山君だったけど、すぐに仕切り直したように小さく咳ばらいをして、指を鳴らした。
「じゃあ、これなら信じてくれる?」
青山君がそんな言葉を呟いた後、私達を囲うようにさっきと同じ色をした炎がめらめらと燃え上がった。
そして、突然の事態を前に戸惑っている私をそのままに、青山君が再び指を鳴らすと、その炎は何もなかったみたいに消えてしまった。
「大規模イリュージョン? え、でも、教室に燃えた跡がない?」
突然過ぎる事態を前に付いていけなくなっていたけど、さっきまで燃えていた場所をどれだけ見ても、焦げたような跡は残っていなかった。
それに、指を鳴らすだけであれだけの炎を出したり、消したりするなんて、世界的なマジシャンでもできるはずがない。
ていうことは、さっきから青山君が言っていたことって本当ってこと?
魔力とか竜神とかの話は、作り話じゃないの?
「……もしかして、青山君って普通の人間じゃないの?」
「そうだよ。やっと信じてくれた?」
青山君は小さく笑うと、驚いている私の頭の上にぽんと手を置いて、優しく頭を撫でてくれていた。
「青竜の末裔。光の女神を守る五人の竜神の中の一人だよ」
「守る? 青山君は誰かを守る人なの?」
「光の女神様、今は神崎を守る騎士みたいなものかな」
「わ、私そんなんじゃないよ」
青山君が人間じゃない凄い人っていうのは分かったけど、私は『光の女神』なんて呼ばれるような凄い人じゃないよ。
だって、今まで普通に学校に通ってたし、青山君みたいに手から炎を出せたりしないし。
そこまで考えてみた所で、ふと青山君の言葉を思い出した。
「ん? 守る? まって、私って誰かから狙われてるの?」
「うん。その説明をしないとだよね」
青山君は私の頭から手を離すと、目の前にあった黒板にチョークで何かを描き始めた。
そこには『人間界』と『アニメみたいな世界』と横並びに文字が書かれていた。
そして、その中央の上の方に、簡易的な女の子のイラストが描かれていた。
……青山君、結構可愛い絵を描くんだ。
「昔、アニメや漫画みたいな魔法が使える世界と、今の人間界は一つの世界だったんだ。でも、光の女神様が人間たちがより平穏な暮らしができるようにて、世界を二つに分けたんだよ」
青山君はそう言うと、その女の子を中心にするように、一本線を入れて黒板を二つに分けた。
「でも、いきなり魔法がない世界で人間が生活していくのは大変だから、光の女神様が人間界の頂点に立って、色々と指揮をしていたんだ」
青山君は『人間界』と書かれた方に、よく分らないうねうねとしたイラストを描いて、そこに『あやかし』という文字を入れていた。
「それでも、そんな女神様のことを良く思わない連中もいた。人間界に残った魔力を使って『あやかし』を作って悪さをしたり、光の女神様を倒そうとしたりしたんだ」
矢印を書いてその先を女の子の方に向けて書いていく。そして、数本矢印を書き終えたくらいのタイミングで、不意に視線を私に向けてきた。
「光の女神の魂を宿した神崎は、多分今後あやかしから狙われると思う」
「え?! そ、そんなの困るよ!」
『突然何かわからないものに攻撃されるようになりました!』って言われても納得できるわけがないよ!
ていうか、普通に怖いし!
私、青山君みたいに炎を出したりできないし、運動だって得意じゃないのに……。
私がわたわたとしていると、青山君は優しい笑みを浮かべながら、また黒板の方に向かい合った。
「大丈夫。そのために俺たち『五竜』がいるから」
そして、青山君はそう言うと、女の子のイラストの周りに五個の円を描いていった。
その中にそれぞれ『赤』『青』『黄』『緑』『黒』の文字を入れて、円の中に『青』と書いてある所をチョークの先でこつんと叩いた。
「そのうちの一人が、青竜である俺。だから、安心して」
青山君は私を見つめながら、優しく笑みを浮かべた。
「神崎のことは、俺が絶対に守るから」
青山君はチョークの粉がついた指の先を払いながら、当たり前のこと言うかのようにそんな言葉を口にした。
簡単なことを言うみたいにそんなこと口にしてしまう青山君は、多分私が想像することもできないくらいに強いんだと思う。
知らない何かに狙われている。
そんな不安な状況にいるはずなのに、こんなに心が落ち着いていられるのは、多分青山君が私を守ってくれると信じてるから。
そんな気がした。
「あと、一つだけ」
青山君は何かに気づいたように優しい笑みを少しだけ引いて、私の耳元に顔を近づけてきた。
「あ、青山君?」
急に近くなった距離にどきどきしていると、青山君はそんな私の耳元で小さく言葉を呟いた。
「俺以外の五竜のことは、あんまり信用しない方がいい」
いつもみたいに優しい声じゃなくて、少しだけ冷たくも聞こえるような声。
「え、それってどういうこと?」
青山君は私の言葉に答えることなく、私から少し距離を取ると、何もないはずの教室の扉の方をじっと見ていた。
「?」
それから数秒後、教室の突然扉が開けられた。
「なんだ。なんか気配感じると思ったら、葵かよ」
「……琉火」
そこに現れたのは赤司琉火君。
『パレット』のメンバーの一人で、私達と同級生の男の子。
赤色の髪をワイルドに上げていて、雑に袖まくりされたワイシャツ姿で、私達のいる教室に入ってきた。
「あれ?葵君が女の子を空き教室に連れ込んでる。何をしようとしてたのかな?」
「青山。教室でそういうことをするのはどうかと思うぞ」
「……」
赤司君に続く形で入ってきたのは、黄色の髪をした浅黄陽月君。その後ろには、緑川葉也斗先輩と、黒羽夜空先輩もいて……え、パレットが勢ぞろいしちゃった?!
突然の事態にどうしたらいいのか分からなくなっていると、興味なさげに私のことを見ていた赤司君の顔色がみるみるうちに変わっていった。
「いや、この気配は隣の女……いや、まて、どういうことだ?」
赤司君がずかずかと私の方に勢いよく向かってきて、私はその勢いが少し怖くて身構えてしまった。
でも、すぐに青山君に腕を引かれて、青山君は私と赤司君の間に割って入ってくれた。
「あ、青山君」
「おい、葵! こいつ、もしかしてっ」
「こいつじゃない。神崎だ」
いつもよりも低い声で赤司君を威圧する青山君。
それに負けじと、赤司君は私たちの間に入った青山君のことを凄い目つきで睨んでいた。
「今はそんなことどうでもいいだろ! それより、こいつ光の女神なのか?!」
さっき初めて知った言葉。
それも、多分青山君みたいな関係者しか知らないような言葉のはず。
「え、なんでそのことを赤司君が?」
頭に浮かんだ疑問がそのまま口から零れちゃって、その言葉を聞いた後ろにいる『パレット』のメンバーも驚いてるみたいだった。
あれ? なんでみんなそんな反応なの?
訳が分からなくなって青山君に助けを求めると、青山君は諦めたように小さく笑った後、私の方に振り向いた。
「紹介が遅れたね。神崎、『パレット』の五人がさっき話していた五竜なんだ」
「……え?」
私は思いもしなかった青山君の言葉を受けて、間の抜けたような言葉を漏らしてしまった。
五竜って、さっき青山君が言ってた私を守ってくれるって言う竜神さんのこと?
青山君の言葉を受けて、視線を『パレット』のメンバーに送ってみると、みんなそのことを否定する様子はなくて、それどころか頷いて認めてる?
『パレット』のメンバーが竜神さん?
「え、えええええ?!」
驚き過ぎてしまった私は、思わずそんな大きな声を出してしまったのだった。