「ねぇ、騎士団にジークのことどうやって知らせたらいいかな?」
「そうね、でも、この時間だと駐屯地までの辻馬車は走ってないのよ」

 騎士団がいるのは村の向こうで、そこは国境になっている。騎士は馬で移動するし、国境を越える人は自分の馬車か長距離馬車を雇う。そのため、国境まで行く辻馬車は日に数本。
 村まで辻馬車で行ってそこから歩けないわけではないけれど、今からだと日が暮れてしまう。

「私のバーの常連に騎士が何人かいるから、来たら伝えておくわ」
「ありがとう。国境に騎士がいるってことは戦争とか侵略に備えてるの?」
「それも無いとは言えないけれど、主には魔物から国を守るためね」

 魔物! その言葉にミオが目を丸くする。
 魔法がある時点でまさか、とは思っていたけれどやっぱりいるのか。

 急に顔色を悪くしたミオに、リズは苦笑いを浮かべながら背中を撫でてあげる。ゴツゴツとした感触が実に頼もしい。

「二年前に勇者が魔王をやっつけたから、もう大丈夫よ。時々生き残りの弱いヤツが現れるけれど、騎士がやっつけてくれるわ」
「二年前までは魔物があちこちに……」
「そうよ。大変だったんだから」
 
 はぁ、とため息をつくと、リズは温くなったアーティチョークティーを喉に流し込む。
 平和になったのはつい最近のことだから、ミオはいいタイミングで転生したとも言える。

(前の転生者、大変だったろうな)

 その状況で魔道具を作ったのだ。尊敬しかない。

「魔王ってどんな姿をしていたの?」
「魔王城から殆ど出ずに手下を動かすような奴だったから、見たことある人は少ないんじゃないかしら」
「そうなんだ。やっぱり龍のような鱗とか大きな角が生えていたり、あと、見上げるほど大きかったりしたのかな」

 ゲームや漫画で見た姿を思い出す。二次元だと思うと何てことないけれど、本当に目の前に現れたら間違いなくパニックだ。

「あー、確かにそうだったかも。でも、それほど大きくは……」
「えっ? リズ見たことがあるの?」

 ミオはパチクリとしてリズを見上げる。
 魔王は魔王城から出なかったのでは。
 緑の瞳がツイと逸らされた。

「そこは、ほら、聞いた話とか?」
「聞いた話……」
「勇者の栄光を書いた物語があるらしいし……」
「あるらしい」

 らしい、とミオは繰り返し呟く。その言い方ではリズは読んでいないように聞こえるのだけれど。

「あ、あらやだ! もう辻馬車が来る時間だわ。じゃ、私は行くけれど本当に大丈夫?」
「うん、帰り寄ってくれるんでしょ?」
「もちろん。遅くなるから先に寝てていいわよ。鍵を借りてもいい?」

 ミオはハーブが並ぶ棚の下にある引き出しから鍵を出して手渡す。なんだか話をはぐらかされた気がしないでもない。

「ジークが寝ている部屋の向かいにある部屋にいるから」
「分かった。それじゃ、また後でね」

 リズは鍵をワンピースのポケットに入れ、店を出て行った。
 
 
 ※※

 次の日の朝、ミオはリビングのソファで目が覚め、はっとした。

「どうしよう、眠っちゃった」

 リズに寝ていいと言われたけれど、もちろん起きているつもりだった。
 ジークの様子だって二回見に行った記憶がある。一度目ではリズが帰ってからすぐで、まだ熱が下がらず苦しそうだからおでこに冷却シートを張ったけれど、二度目には薬が効いてよく眠っていた。
 
 そこでミオも安心して昼間の疲れからソファでついうたたね、のつもりが朝になっていたのだ。

「そういえば、リズは来たのかな?」

 毛布代わりにしていたのは、クリーニングのタグがついたままの分厚いコート。数ヶ月前に受け取りに行ってそのままソファに置きっぱなしにしていた物だ。
 それを再びソファの背もたれに置き、立ち上がると隣の部屋へと向かう。
 小さくノックして、それから数センチ扉を開けてみると。

「……えっ、ジーク何しているの!?」

 すっかり顔色の良くなったジークが、こともあろうか、ミオの脱ぎ散らかした服を畳んでくれていた。
 部屋はすっきりと奇麗になっていて、雪崩れた服で閉まらなかったクローゼットも閉じている。

「おはようございます」
「……おはよう、ってこれはいったい?」

 口をあんぐり開けるミオに対し、ジークは爽やかな笑顔を向けてくる。朝からなかなかの破壊力だ。

「リズさんから、ミオさんが助けてくれたと聞きました。ありがとうございます」
「どういたしまして。って私が聞きたいのはそうじゃなくて」
「それで、せめてものお礼にと部屋の片づけを。俺、六人兄弟の長男だから片付けは得意なんです」

 得意、とミオの唇が動く。
 いやいや、そういう問題では、と思いながらも善意の塊のような人懐っこい笑顔に返す言葉が見つからない。
 半ば呆然としつつクローゼットを開ければ、収納達人も真っ青というほど整理整頓されていた。

(あの部屋を見られたのは恥ずかしい)

 顔が熱を持つのを感じつつ、同時に感動すら覚える。あれをここまで片付けるなんて、一家に一台こんな弟がいて欲しい。顔だけじゃなく家事力までハイスペックだ。

「凄く綺麗になってる!! ありがとう」
「いえ、大したことは。あとはここだけ片付ければ……」
「待って! ベッドの下はだめ!!」

 ミオの言葉より早く、ジークの手がベッド下に滑り込み押し込まれた下着を摘み出した。

「……!!」

 一拍固まったのち、ジークは真っ赤な顔であわあわと慌てだす。

「うわっっ、すみません。すぐ片づけます」
「片づけなくていいから、手を離して!」

 ミオが真っ赤な顔でショーツを取り上げれば、それより赤いジークがいる。しかもダラダラと脂汗をかいている。
  
(いってみれば、たかが下着。それにここまで真っ赤になるなんて純朴すぎる)

 この反応が異世界では普通なのだろうか。
 下着一枚でここまで赤面するイケメン。
 いやいや、だっめだ。この発想はなんだか危ない。痴女まっしぐらになってしまう。

 ミオが焦りながら再びベッドの下にそれを押し込んだところで、布団がごそりと動き茶色い髪が現れた。

「……リズ? 何しているの?」
「あら、おはよう。そこの青年がお礼代わりに部屋を片付けるっていうからベッドに移動したのよ。そしたら眠気が襲ってきて。それにしてもミオの部屋があんなにも散らかっていたなんて。あなた仕事はしっかりしているのにプライベートは酷いのね、ちょっとはどうにかしなさいよ」

 もう返す言葉はとっくにない。二人のお母さんを前にしてミオは正座で頷いた。

「あの、ところで俺の騎士服はどこでしょうか?」
「それなら、洗濯したわよ。持ってくるわ」

 寸足らずの服を着た美少年に聞かれ、ミオは洗面所に向かう。洗濯機は乾燥機能付きだからすっかり乾いていた、でも。

「あー、やっぱり血は落ちなかったか」

 染み抜きなんてものないのでとりあえず洗剤を多めにして洗ったけれど、べったりついた血は茶色く変色し残っている。ジークにそれを手渡すと、目を大きくしたあと、短いズボンから出ている自分の脹脛を見た。

「えっ、この血、俺のですよね?」

 しかし、脹脛にはその血に見合うだけの傷がない。ジークはズボンをさらに捲り足を見て、服の上から体を触るもどこも痛みは感じない。

「これはいったい……」
「あー、そのことなら私から説明してあげるから、ミオ、朝食を用意してくれない? お腹すいちゃった」
「うん分かった。じゃ、お願いね」

 唖然とするジークをリズに任せ、ミオは朝食と店の開店準備にとりかかることに。
 自分から「神のきまぐれ」と説明するのは気恥ずかしいので、そこはリズがうまく説明してくれることを願うばかりだ。