朝の慌しさも過ぎ去り、ミオは食器を洗う。
 朝食セットは大銅貨五枚。三十食ほど売れるから、小銀貨十五枚ほどの売上だ。そこから卵代と小麦代を引くと小銀貨八枚ぐらいが一日の売上になる。

 ただ、仕事が休みの週末は殆ど需要がないので、商売としてはまだまだ。ミオ一人生活していくぐらいなら出来そうだけれど、リズにお金を返すことを考えると厳しい。

「ま、まだ一週間だしね」

 これは順調な方だと思うことに。
 洗い終わったお皿を拭いて片付け、明日のパンの仕込みを終えたところで、ミオはリズがくれた年季の入ったバスケットを手にした。
 ブルーベリージャムが切れたので、今から森へ摘みに行くつもりだ。


 裏庭を抜け、そのまま真っ直ぐ行けば森がある。遠くから見た時は鬱蒼としているように思ったけれど、近くで見ると木漏れ日が差し込み、意外に明るい。  

 森を抜けた先には川もあり、お昼はそこで食べる予定。朝食の残りのパンと茹で卵、それからトマトと水筒に入れたハーブティーが背中のリュックに入っている。ちなみにハムとベーコンも近々手に入る予定なので、朝食のメニューに加えるつもりだ。

 森の中は、陽が差し込むおかげでベリーや果実が勝手に自生している。季節感なく実をつけているのは異世界ゆえ。これはミオにとっても都合がよい。異世界、優しい。

 少し先にブルーベリーの木が見えてきた。大きさは二メートルぐらいで、春に花が咲き夏に実がなるのが普通だけれど、異世界では花の咲いた木と実を付けた木が混在している。

(お客様も増えてきたし、できればバスケットいっぱいに集めたいわね)

 地面は雨でぬかるんでいるので、平らな石を探しその上にリュックを置くと、バスケットに腕を通しブルーベリーの木に向かった。プチプチとその小さな実を丁寧に一つずつ摘む。しかし実が小さいのでバスケットはなかなかいっぱいにならない。場所を変え、変え、森の奥の方へと進んでいった。

 ミオは没頭すると食事を疎かにする癖がある。癖と言って良いのか微妙だけれど、今日も、ブルーベリーを取るのに夢中になるあまり、気づけばお昼はとっくに過ぎた頃。

「結構採れたわ」

 ズシリと重くなったバスケットを持ち直し、額に滲んだ汗を手の甲で拭う。
 これだけ採れば充分と思うと同時にお腹がぐうと鳴った。腹時計的には三時ぐらいだ。
 
(もう少し歩けば川だから、予定通りそこで食べよう)

 しかし川に近づくにつれ、もしかして、と嫌な予感が頭をもたげる。以前はのどかなせせらぎだったのに、今日はやけに囂々激しい音。

「雨が降ったからかしら」

 それでも、ここまで来たのだからと川辺まで向かうと、明らかに水かさが増えていた。しかも流れが強く濁っていて、とてもではないが呑気にランチタイム、という雰囲気ではない。

「川上ではこっちより雨が降ったのかもしれないわね」

 この辺りの地形はまったく分からないので、鉄砲水がきたらひとたまりもない。これは早々に帰った方が無難だと、ミオが踵を返そうとした時、視界の端に倒れている人影が映った。

 えっ、と眉を寄せ再度確認すると、慌ててバスケットを置き駆け出した。近寄るにつれはっきりとするそれは、石の上に覆いかぶさるようにして倒れている男性。かろうじて岸には上がったけれど、そこで力尽きたようだ。

(生きている?)

 見ただけでは息をしているかどうか分からない。指先ひとつ動かすこともないし、うつ伏せなのでその顔も分からない。ただ、着ている服は今朝見た騎士服と同じだ。
 
「あの、大丈夫ですか?」

 問いかけるも返事はない。ますます生きているのか不安になり、そろそろと手を伸ばし肩を揺すってみる。

「大丈夫ですか? 生きていますか?」

 やはり返事なし。青みがかった銀色の髪がはぐっしょり濡れ、葉や木の枝が髪や体に付着している。脈は打っているのかと首元に手を伸ばすと、指先にドクンドクンと鼓動が伝わってきた。ひとまずほっとするも、触れた肌はびっくりするぐらい冷たい。
 よいしょ、と仰向けにすれば左足の膝下がざっくりと切れ血が流れていた。かなり深い傷のようだ。

「ここじゃ危ないので動かしますよ? 私では持ち上げられないので引っ張ります。痛かったらごめんなさい」

 意識はないと思いつつとりあえず声をかけると、ミオは脇の下に手を入れずりずりと川から少し離れた平らな場所まで引っぱっる。しかし、重い。

 身長もあるし騎士だけに引き締まった体躯をしている。
 途中数度休憩しながら十分ほどかけて運び終えると、ふぅ、と額の汗を拭う。

「えーと。ここから先何をすれば良かったかな」

 ミオの感覚では救急車を呼びたいところだけれど、ここは異世界。自分が何とかするしかない。
 騎士の傍に座り濡れて張り付いた髪をどけると、びっくりするぐらい整った顔が現れた。この世界の顔面偏差値高すぎ。でも、その顔は青いを通り越して白く唇は紫色で、なまじっか奇麗なだけにまるで彫刻のように見える。
 
「呼吸はしているから、気道の確保はしなくていいわよね」

 となれば、次にすべきは止血のはず。鞄からタオルを取り出し傷口より少し上をぎゅっと縛る。多少流れる血量は少なくなったけれど、完全に血が止まらない。

「どうしよう、止血、止血」

 何かないかと鞄を漁るも、救急道具など持ってきていない。包帯ぐらい入れてくれば良かったと後悔したところで、こつんと指に水筒が当たった。

「そうだ、このハーブティー、もしかして効くかもしれない」

 水筒の中身はヤロウというハーブをメインに、数種類をブレンドしたもので、生理痛によく効く。諸事情により今日はあえてこれにしていた。

 ヤロウは、細かくギザギザした葉に白い小さな花を沢山つける。古代ギリシャ時代では「兵士の生薬」と言われ、揉んだヤロウを直接傷ぎ口に塗って止血剤として使われていたとも。とはいえ、即効性までは期待していない。でも、この世界の人達にハーブがよく効くのも事実。
 半ばやけっぱちのような気持ちで、水筒の蓋をあけ中身をチャプンと振ってみる。

(どうか効きますように)

 こうなったら神頼みだと、血が止まることを願う。
 直接かけると熱いかも知れないので、蓋にハーブティーをいれ軽く揺するって冷ますと、一瞬だけれどきらりと光った。
 しかし、焦っているミオはそのことに気が付かない。

 少しでも効き目があることに期待しながら、傷口にハーブティを垂らした。

 蓋のハーブティーを全て傷口にかけるも、何も変わらない。やっぱり駄目かと諦めかけた時、ぱっくり開いた傷口が少しずつ塞がっていくではないか。

「どういうこと、いくら何でも効果がありすぎるんじゃない?」

 ミオが思った以上の効き目に唖然としているうちに、血は止まり深かった傷口が少し塞がった。