ゆっくりと蛇行しながら流れる川、緑の葉がこんもりとした森、その間をどこまでも平原が伸びている。青々とした草が風に揺れ、黄色、紫、白の花が絵の具を散らしたかのようにあちこちで咲きほこっていた。
 草花の上を撫でるように吹き上がった風が連れてきたのはラベンダーの香り。ミオは体いっぱいに空気を吸い、頬を上気させた。

「……すごい、凄い凄い!!」

 次第に大きくなるミオの歓声にジークが隣で相好を崩す。思わず、といった風に走り出した後ろ姿を、目を細めながらついていく。

 少し離れた場所でリズとドイルがその光景を見ながら目を合わせ口角を上げた。

 四人が今来ているのはかつて「神の気まぐれ」が住んでいた川上の小さな村のはずれ。川の水は澄んでいて、水浴びをするのに良さそうな浅瀬が続いている。

「タイム、ネトル、レモングラス、あっ、アーティチョークもある! あっちにはカモミールも」
「ミオ、そんなに走らなくても誰も取ったりしないよ」

 ジークの声に足を止めるも、顔はうずうずと辺りを眺める。さっそくリュックを下ろして採取をしようとするのを遠くからリズがやんわり止めた。

「先にランチにしない? お腹が空いたし食べた分だけ鞄が空になるわ」
「そうね、分かった。じゃ、あのリンデンの木の下で食べよう!」

 どれがリンデンだ? と三人が首を傾げるなかミオはスキップしながらクリーム色の花が咲く木の下に向かう。近づくにつれ甘い香りが漂ってきた。

 リンデンの大木の下にシートを引いてミオのリュックとリズのバスケットから昼食を出し車座になって座る。
 サンドイッチ、ベーグル、卵とほうれん草のキッシュ、ポテトサラダ、ミニトマトのマリネはミオが、鶏肉もどきの煮込みと唐揚げはジークが作ったものだ。

「美味しそう! 頂きます」
  
 リズが豪快にベーグルにかぶりつき、ドイルも肉に手を伸ばす。ジークもサンドイッチを手に取った。

「ミオ、ちょっと落ち着きなさい」
「うん、でもこんなにハーブがあるなんて。どうしよう、持って帰れるかな」

 ソワソワしながら、全員分のグラスに冷たいハーブティーを注ぐ。ひらり、リンデンの花びらがその中に落ちた。

「そういえばサザリン様はほとんど回復されたんだろう、ミオの力は凄いな。でも、もうカンテラで腕を焼くのはやめてくれよ。どうしても必要なら俺が焼く」

 もうあんな思いは沢山だとジークは眉根に皺を寄せる。それを聞いたリズとドイルは、咀嚼途中の口を止め目を丸くした。

「そんなことしたの?」
「ジーク、なんで止めなかったんだ!?」
「いや、止めようとしたのですがその隙もなく……」

 詰め寄られ上半身を仰反らせるジークの膝前に、リズがバンと手を置いた。グラスがピッと跳ねる。

「そこはお前が燃えるところだろう!?」
「も、燃える??」
「リ、リズ。言葉使いが乱暴になってるわ」

 燃えろと言われジークはほほを引き攣らせる。
 慌ててミオが間に入れば、リズはあら、と口に手を当て取り繕うとするが今更だ。
 それをドイルが呆れ顔で眺めつつ、グラスを手に持った。

「それにしてもミオの入れたハーブティーは美味いな。これは何のハーブだ?」

 ドイルが薄く色づく液体を日にかざす。出かけに入れた氷はすっかり溶けてしまったけれど、まだ充分冷たい。

「これにもポーション並の効果があるのか?」

 ミオは首を横に振る。そういえば金色に光る粉のことはリズ以外に言っていなかったと思い出す。

「いいえ、これはそのように作っていません」
「それは作り分けができるということか?」
「まぁ、そうなりますかね……」

 説明しても良いけれど、どのみち見えないのだからいいかなとも思う。自分でも何故そうなるか分からないものを誰かに理解して貰うのは難しい。
 言葉を濁しやり過ごそうとしているのに、鈍いジークは身を乗り出し目の前にある水筒を指差す。

「じゃ。これに「神の気まぐれ」のご加護を与えることはできる?」
「えっ、これに?」
 
 目をパチリたしたミオの前でジークは水筒の蓋を開けた。

「ちなみにこの中のハーブティーにはどんな効き目があるんだ?」 
 
 大きな水筒にはまだ四人分ほどのハーブティーが残っていた。甘い匂いがほのかに漂う。

「カモミールとラズベリーリーフのブレンドだから、……美白かな」
「びはく……」

 男三人が微妙な表情で水筒を見る。まったく必要ない効能だし、むしろ日に焼けていた方が精悍ではないかと思う。

「うーん、でもせっかくだから特別仕様にしてみてよ。今日は日差しが強いからミオにはちょうど良いでしょう?」

 風が吹くからリンデンの木の下は涼しいけれど、日差しは真夏のもの。帽子を被ってきたけれど、日焼けは必須。
 何やらワクワクする視線に背を押され、ミオ水筒を手に取った。

(カモミールには沈静、消炎作用もあるしどうせなら全ての効能が高まるように願ってみようかな)

 ハーブにはいくつもの効能がある。いつもはその内の一つが飲んでくれる人に役立つことを願うのだけれど、ものは試しとちょっと欲張ってみることに。
 なに、失敗してもこの三人ならきっと許してくれるはず。
 
 水筒を軽く揺する。キラキラの光はミオにしか見えない。きょとんとする三人にミオはできたわ、とちょっと得意げに笑いグラスにそれを淹注いだ。

「へー、これが」

 ドイルが喉を鳴らしゴクゴクと飲む。

「味は変わらないんだな」

 ジークがヤロウティーを飲んだのは半分気を失いつつのこと。味わいながら飲むのはこれが初めてだ。

「やっぱりカモミールが一番好き。ミオ、沢山摘んで帰りましょうね」

 リズはお気に入りの味にご機嫌で、あっという間にグラスは空に。

 サワサワ、サワサワ。
 木陰の下を気持ちの良い風が吹き抜けた。

 ふわぁん、と欠伸が一つ。
 三人が揃って目を擦り、頭が重たげに垂れ出した。
 目がトロリとしだしたのを見て、ミオは飲もうとしていたグラスを置く。

 どうしたのかな、と首を傾げたところに、ポスッと肩に重みを感じた。首を横にすると、隣に座っていたジークの頭がミオの肩に乗っているではないか。しかもあれよあれよと言うまにずりずり落ちて、むにゃと一言、膝の上で落ち着いた。

 木漏れ日の下で無防備に目を閉じ、すやすや寝息を上げる美丈夫。

「えっ?」

 急にどうした。
 戸惑い視線を向かいに座る二人に向ければ、その巨躯が草むらに勢いよく投げ出された。
 微かな寝息にいびきが混じる。

「えっ、ええっ?」

 すやすや、ぐうぐう。ぐがっっ

(どうしたっていうの?)

 何が起こったのかと考えを巡らせること数十秒。
 はたと、気づいて頭上を見る。

 そこにはクリーム色のリンデンの花。風に乗ってヒラヒラ、ヒラヒラ。ジークの青みを帯びた銀色の髪にふわりと落ちた。

 ミオはそれを摘むと、水筒を覗き見る。
 すると、少し残った液体にリンデンの花びらが数枚浮いているではないか。

「……安らぎのハーブ」

 ナイトティーにピッタリと言われるほどリンデンは鎮静効果の高いハーブだ。不眠に効くとされている。

「まさか?」

 もしや自分が作ったのは即効性の睡眠薬?
 ミオが焦って立ちあがろうとすると、その腰を抱え込むようにジークが寝返りを打った。膝の上で器用なことだ。

 ぎゅっとミオの腰にしがみつき、お腹に顔を埋めると肩を規則的に上下させる。

(まって、まって、まって!!)

 自分はアラサーにしては経験に乏しいのだ。
 しかもこんな顔面偏差値高い若者に縋るように抱き抱えられ、限界はすでに突破している。

 わたわたと慌て、手を伸ばし目の前の二人を起こそうとするも、そっちはさらに高鼾ときた。

 真っ赤になってるミオの膝の上、ジークが小さく「ミオ」と囁くも、

「ちょっと、皆、起きて〜〜!!」

 叫んだミオの声に虚しく消し飛んだ。

 まだまだ日は高い。
 ミオの一日はこれからだ。