ジークが手綱を握る馬に一緒に乗り帰ると、店の前の馬止めに人影が。エドよりも一回り大きなそれは左腕に包帯を巻いたリズだ。ミオ達に気づき、ひょいっと手を上げる。

「おかえり。良かった、無事だったのね」
「うん。ジークに領主様のお屋敷に連れて行って貰っていたの」
「ドイルから話は聞いているわ。火傷の薬を作ったって。ジーク、ドイルからの伝言よ。魔物退治は終了したから騎士団に戻れって」
「分かりました」

 退治終了の言葉に足から力が抜けるほどホッとする。リズの手を借り馬を降りたミオは、ジークを見上げ礼を言う。

「ありがとう。エドにも感謝してるって伝えて」
「あぁ、分かった。でも、騎士団に帰るのはちょっと気が重いな」
「あら、どうして?」
「だって今頃みんなで武勇伝語ってるんだぜ。傷とか見せあってさ。俺は一角兎一匹、怪我どころか返り血も浴びてない」

 ジークの身体にはあちこち擦り傷があるし、打撲や打ち身もあるが、この場合の怪我とは出血を伴う切り傷を言うのだろう。こんな綺麗な格好じゃ、皆に笑われるとうんざりした顔をしている。騎士の矜持に関わるらしい。

「でも、ドラゴンから私を守ってくれたじゃない」
「そうよ、あれに遭遇し生きているだけでも大したものよ」
「でも、退治したのはリーガドイズ様ですし。唯一の自慢話が勇者にあったことなんて、騎士としてどうなんでしょう」

 エドなんて何匹倒したんだろう、絶対自慢してくると悔しそう。帰りに一匹何か出てこないかな、なんて物騒なことまで言い始めたので、ミオも苦笑いを零す。

「でも、私はジークに命を助けられたわ」
「うん、それは本当に良かった」

 ジークはポン、とミオの頭に手を置く。あまりに自然な仕草にミオは目をパチリ。した方も、無意識に自分が置いた手に慌てパッと頭から離す。二人とも目が泳ぐ。

「そ、それじゃ、俺はこれで」
「う、うん、気をつけてね」

 赤い顔で手を振り去って行くジーク。
 ミオと一緒に見送りながら、リズは「先は長いな」と肩をすくめた。

「そうだ、リズ渡したいものがあるの」
「それじゃ、中に入っていい? 魔物退治が終わったとはいえ心配だから暫く一緒にいるわ」

 いつも通りカウンター席に座ったリズにミオは一つだけ残していたカレンデュラ軟膏の瓶を手渡した。

「これが言っていた火傷の薬?」
「そうよ、リズに渡そうとひとつだけ残しておいたの。左腕痛むでしょ、使ってね」
「えっ?……」

 パチパチと瞬きをしてリズがミオを見る。
 その信じられない物を見るような瞳。
 まさか、あれで気づかれていないと思っていたのかとミオこそびっくりする。脳筋か? そういえばジークも気づいた素振りはなかった。

(ま、いいか。今は寝たい)

 人間の三大欲求で一番強いのは睡眠らしい。本当かどうか分からないが、安心した途端もの凄い眠気が襲ってきて身体が重い。

「リズ、私眠ってきていい?」
「えっ? あ、うん」

 残り物のパンが戸棚、ハムと卵、ミント水が冷蔵庫にあることを告げミオはフラフラと二階に上がっていった。リズは半ば呆然としながらその後ろ姿を眺め、見えなくなったところでカウンターに突っ伏した。

「なんでバレたんだ?」


 ※※

 一週間後の定休日、店の裏で荒らされたハーブ畑の手入れをしていたミオは、ふぅ、と一息額を拭う。魔物の仕業ではない、あったのは馬の蹄と人の足跡。

(知らない人が見たらハーブか雑草か分からないものね)

 足跡の数だけ自分を守ろうとしてくれたのだから、仕方ないと思う。
 幸い生命力逞しいハーブをメインに育てていたから、踏み潰されたハーブを抜き、土壌を整え水を上げれば再びすくすく育ち始めた。

(でも、問題はここに植えていないハーブなのよね)

 そろそろアーティチョークも底が見えてきた。タンポポを増量してしのいではいるけれど、どうにかしないと。

 夏になったせいか土埃が立つようになってきた。ミオはジョウロに残っている水を店先にも撒こうと、表に向かう。すると、ちょうど街の方から馬車が来た。

 ポクポクと牧歌的な音を鳴らし近づくそれは、ミオの前で止まる。見覚えのある馬車に、手に持っていたジョウロを足元に置くと、御者が開けた扉からベニーが飛び出してきた。

「遊びにきたよ!」
「いらっしゃい。暑いわね、ミント水飲みますか?」
「ううん、今日は果実水を持ってきたから一緒に飲もう」

 手にしていた瓶をミオに見せる。オレンジ色の液体が太陽の日差しの下チャポンと揺れた。
 無邪気な笑顔からはドラゴンと対峙した恐怖は消えている。トラウマになっていなさそうなのでホッとした。だってミオは、数日、物音に敏感になって熟睡できなかったのだ。
 
 ザッと土を踏む音に目線を上げ、ミオは驚き目を大きくする。そこにいたのはカーサス。ベニー一人だと思っていなかったけれど、てっきりマーラかマーガレットが一緒だと思っていた。

「あ、あの」

 どうしてここに、と戸惑っているとベニーが勝手に扉を開け店の中に入ってしまった。ミオは戸惑いつつ「どうぞお入りください」とカーサスを店内に案内する。

「ミオ、早く果実水! 果実水!!」
「はい。グラスを出すから待って。氷も入れますか」
「いっぱい」

 ミオは苦笑いを堪え氷を三つグラスにいれ、果実水を注ぐ。同じものを三つ作ろうとしたところでカーサスがそれを制した。

「ハーブティーを飲んでみたい」
「……はい!」

 思わぬオーダーに声が上ずる。
 少し迷ったあと、棚からペパーミントとカモミールを取りだし、ミントを少し多めにブレンドすることに。カモミールの柔らかい甘みに、ミントのさっぱりした香りが合わさり、こんな暑い日にはピッタリだ。
 
 入れるハーブの濃度はいつもの二倍。それを普段の手順で作ると氷をたっぷり入れたグラスにゆっくり注ぐ。氷を溶かすように少しずつ注ぐのがミオのこだわりだ。

「今日は暑いので冷たいハーブティーをご用意しました」

 カーサスは淡い色の液体を暫く眺めた後、グラスに口をつけた。一口、二口、ごくごくと喉が鳴る。

「……うまい」
「ありがとうございます」

 ミオが思わず破顔すれば、カーサスはすっと険しい顔になり、頭を下げた。

「すまなかった。この一週間で妹の傷は信じられないほど癒えた。頬と首にまだ赤みは残るが、皮膚の引き攣れもなく医師も驚いている」
「良かったです。わざわざ教えに来て頂きありがとうございます」
「今までの無礼、許してくれとは言わない。ただ、俺が間違っていた、感謝していると伝えに来た」 
「そのお言葉で充分です。どうか頭を上げてください」

 ミオはカウンターから出てベニーの隣に腰掛ける。
 ベニーはもう半分以上果実水を飲んでいた。追加で少しだけ足してあげる。

「今日はこれを持ってきた」

 カーサスはわざわざ立ち上がるとミオに一枚の紙を手渡した。見慣れない文字ばかりが並び、ミオが知っている単語はひとつもない。なんだか難しそうだ。

「あの、これは?」
「サーガスト家で管理しているハーブを自由に使って良いという許可証だ。開放しても良いのだが、民が知らず使って害になってはいけない。だから許可証を持っている人間だけ使用して良いことにした」
「では、騎士団近くの森に自由に入ってもいいのですね!」
「もちろん。それからこれも。これは昔「神の気まぐれ」が住んでいた場所の地図だ。この辺りにもハーブはある。勝手な言い分だが、それらを使って民のためになる物を作ってくれたら嬉しく思う」

 カーサスが懐から出した地図を受け取り見ると、どうやら町の東門を抜け川を上流に遡った場所にあるようだ。縮尺がいまいち分からないけれど、日帰りできる距離らしい。

「ありがとうございます」
「それは俺のセリフだ」
  
 強面の顔だが笑うと目じりの皺が深くなり優しく見える。 
 怒った顔ばかり見ていたミオは、こんなに柔らかく笑う人だったのかと思った。

(どんなハーブが育っているのだろう)

 手元にある二枚の紙を見ているうちに胸がわくわくしてきた。
 あの森だってまだまだ見ていない場所が沢山ある。アーティチョークはあるだろうか、リズの好きなカモミールはきっとが花開いているはず。

 嬉しそうに地図を見るミオにカーサスが声をかけた。

「妻への土産にラズベリーリーフを売ってもらいたい。それから、これと同じ物をもう一杯」

 空になったグラスの氷がカラリと鳴った。