サザリンの言葉が決めてとなった。

 カーサスはそれでもまだ納得できないような、迷うようなそぶりを見せていたけれど、最終的には仮眠を取っていた医師を呼ぶようマーラに伝えた。

 事情を聞いた医師は驚き目を見張ったあと、恐る恐るといったふうにカレンデュラ軟膏が入った瓶を手に取る。蓋を開け匂いを嗅いだ後、ヘラを使って少量掬い、自分の左手首裏の皮膚の薄いところで安全を確かめると、使ってみる価値はあると結論づけた。


「では、包帯を解きます」

 眼鏡をかけた初老の男性医師が慎重に包帯を取っていく。
 包帯の下から現れたのは爛れ引きつった肌。ミオははっと息をつめ、奥歯を噛んだ。想像していたよりずっと酷い、爛れた肌は赤黒くそれが右頬広範囲に広がっている。

 医師の視線がミオの腕へと流れる。すっかり元通りになった腕を見て、僅かではあるも表情に期待が差す。

「サザリン様、今から薬を塗布しますので痛みがあれば仰ってください」
「分かりました」

 話しにくそうにしているのは、口が火傷で引きつってうまく唇が動かないから。
 医師は黄色い粘り気のある液体を手に取ると、まずは腕に塗った。試し塗りらしく、数センチほど塗布し暫く様子を見る……つもりだったのだが、数秒後、火傷はみるみる薄くなりほのかに赤身を帯びる程度まで治癒した。

「こ、これは!」

 完治しなかったのはやはりドラゴンの炎の威力がすさまじいから。しかし、瞬時にここまで回復するのはもはや奇跡と言えるレベルだ。比較的軽症だった腕の治療はあっという間に終わり、真っ赤だった肌が淡いピンク色まで回復した。

 目立った副作用がないのを確認すると、次は頬と首に塗布する。一番酷い右頬は、爛れた皮膚が少し回復しただけだったけれど、それでも効き目はあった。そもそも一度塗っただけでこの効果は、長年医療に関わる医師でも初めて。

「高級ポーション並ですな。いや、あれはドラゴンの炎の場合、治療しても痕が残るからもしかするとこちらの方が優れているかも知れない」

 医師は、今もなお回復を続ける皮膚を見ながらサザリンに問いかける。

「どうですか? かゆみ、痛み、それから気分が悪いなどありませんか?」
「大丈夫です。腕はもうほとんど痛みません。顔は……さきほどより動きます。あの、私治るんでしょうか?」

 潤んだ瞳で医師を、そしてミオを見る。家族に心配をかけまいと気丈にふるまっていたけれど、顔に火傷を負ったのだ、ずっと不安で心配で泣き叫びたかった。
 この部屋に鏡がないのでサザリンは自分の顔がどうなっているのか知らない。唯一見えていた腕の火傷が一瞬にして薄まったことが彼女に希望を与えた。

「断言できませんが、塗布を続ければ完治するかも知れません」
「本当か!!」

 身を乗り出し医師を問いただしたのはカーサス。医師は「おそらく」と前置きし、

「まずは一日三回塗布し様子を見ましょう。効果や副作用の有無を見ながら回数を増やしていきます」
「分かった、それで頼む」

 どうやらカーサスはカレンデュラ軟膏を使うことを了承したようだ。
 ミオの肩からフッと力が抜ける。

(よかった。あとはお医者様に任せよう)

 やれることはやった。
 ミオは大きく息を吐き、そしてカーサスの名を呼ぶと深く頭を下げる。

「カーサス様、お詫びしなくてはいけないことがあります」
「なんだ、まさか今更、副作用があると言うのか!?」
「いえ、そうではなくて」

 再び語気を強めたカーサスにミオは慌てて首を振った。

「実は、この軟膏を作るために騎士団の近くにある森に入りました。使ったカレンデュラの花は領主様の土地から勝手に採取したものです。申し訳ありません」

 下手すれば窃盗罪。善意からだといってすべてが許されるとも思っていない。

(窃盗罪で牢屋行きは避けたい)

 怒られるだけで済めば幸いと、俯き怒声を浴びる覚悟をしていたけれど、カーサスは一向に何も言ってこない。恐る恐る見上げれば、困惑した緑の瞳と目があった。

「魔物が襲来している中、わざわざ国境近くの森に入ったのか? これを作るために」

 独り言のような呟きに、返事をすべきかミオが戸惑う。怒っているのか、無謀な行動に驚いているのか、それとも心配しているのか。

「カーサス様、堕胎作用があるハーブがあるのは事実です。でも、傷を癒すハーブがあるのもまた事実です。毒にも薬にもなる、使い方次第。それはハーブに限ったことではないと思います」
「……そうかもしれないが、今は何とも言えない。だだ。森に入ったことを罰する気はないとだけ言っておく」
「ありがとうございます」

 カーサスは決して悪い人間ではない。彼にとってハーブは毒で、でも、守らなきゃいけない物で。その矛盾に悩みつつ、実直に先祖から引き継いだことを遂行していただけだ。
 カレンデュラが火傷の治療に有効なことは理解したが、ハーブ全ての取り扱いについては即断できないという慎重な性格は、むしろ領主に相応しい一面だろう。

「今は何よりサザリン様を、火傷を負った騎士を治療するのが優先です。でも落ち着いたらハーブについて話す機会を与えていただけませんでしょうか。あっ、今お返事いただかなくても結構です。今日はこれで帰ります」

 ミオはサザリンに「ゆっくり休んで」と声をかけ、マーガレットとベニーに見送られ屋敷を後にした。マーガレットはひたすらミオの腕を心配してくれたけれど、痛みはもう感じず、それが嬉しくも誇らしくもあった。