村の向こう、橋を越えた場所にあるその森は至る所に木々が枝を伸ばし、長年人が踏み入った形跡がない。ところどころポカンと空が見える場所には、降り注ぐ日の光を浴びながら草花が競い合うように背を伸ばし、中にはミオの背丈を越す草もあった。

 先程までいた森より緑の匂いが濃い。
 それは視界が悪いということでもあり。
 どこに魔物が潜んでいるのかと、張り詰めた空気が肌をひりつかせる。

 ガサッ
「きゃぁ!」

 草むらの向こうの蔦が揺れ、思わずジークにしがみつく。ジークは切っ先を音のした方に向け、暫く神経を集中させたあと、ふぅと息を吐いた。

「大丈夫、風だ。それからミオ、怖いのは分かるが俺の腕にしがみつかないで欲しい。間髪入れず襲われた時守りきれない」
「あっ、ごめん」
「いや、突き放すような言い方になっていたらごめん」
「大丈夫、邪魔にならないよう急いで探すね」

 ミオは周りを見回し、目的のハーブがないのを確認するとジークに向け首を振った。ジークは軽く頷き、さらに奥へと進む。ミオは一歩下がった場所を遅れないよう、邪魔にならぬようついて行く。

(小説ではこういう時手を引いたりしているれけど、ジークの手を塞ぐのは得策ではないわ)

 出来るだけ足手纏いにならないようにしなくては。
 自分の我儘に付き合わせたジークまで危ない目に合わせてしまう。

 進んだ距離は二百メートルほど、しかし警戒しながらの歩みは遅い。緊縛した空気から一時間経ったように感じるものの、実際は十五分ほどだ。

「ジーク! あれ!!」

 長い草の隙間からチラチラ覗くオレンジ色の小さい花。四十センチ程伸びた茎の先端で鮮やかに咲くそれはマリーゴールドにも似ているけれど、間違いない。あれは。

「カレンデュラ!!」

 思わず大きな声を出してしまい、慌てうぐっと自分の手で口を抑える。

 カレンデュラ、薬用のハーブとしてはヤロウと同じぐらい歴史は長い。古代、ローマ時代に蠍の毒の解毒剤として使われていたとも言われている。
 それ以降も、邪気を祓うお守りのように扱われ、本来の効果以上に信頼されていた、とか。

「私のいた世界では、炎症を抑える効果があるとされているわ」

 皮膚の調子を整える外用薬として自然派思考の化粧品やハンドクリームにも使われているし、もっと昔には、傷ついた皮膚や粘膜を修復し保護すると考えられ、薬や消毒液として扱われていたこともある。

「火傷を治すならヤロウよりこっちの方がいいということか。ミオ、俺が辺りを警戒するから急ぎ採取してくれないか」
「分かった」

 ミオはリュックを下ろしその口を大きく開くと、花きり鋏でオレンジ色の花をどんどん摘み取っていく。使うのは花弁だ。

 背の高い草に隠れているけれど、かなりの数のカレンデュラが群生してた。

(領主様の土地で勝手に採取するなんて、下手すると大問題になるわよね)

 今更ではあるが、ミオに向けられた嫌悪の視線を思い出し、自分の無謀さ加減に呆れる。

「これは私の一存でしていることだから、ジークはこの場に居なかったことにしましょう」

 唐突の言葉に、ジークは周りを警戒していた目をミオに向けると、思いっきり眉間に皺を寄せた。らしくない。その顔にははっきり不満の、いや怒りが滲んでいる。

「断る。俺はここに自分の意思で来ている」
「でも、騎士団にも迷惑をかけることになるかも」
「俺が責任をとる、だから今はそんなこと気にしなくていい」

 少しは俺を頼れ、とジークは思う。ドラゴンから守るほどの力量はないが、守られるつもりはさらさらない。

 そもそも領主の妹を助けるために森に入ったミオが罰せられるなどあってはならぬこと。一介の騎士の身分でできることなど知れているが、身を挺してでも守るとジークは森に来る前からそう決めていた。

 ガサリ。
 草を踏む音に身構え振り返ったジークの顔から、一瞬にして険しさが消えた。ホッと息を吐き僅かに警戒を解く。
 
「ドイル隊長!」
「ジーク、無事だったか」

 真っ赤な返り血を全身に浴び頬や腕に傷や火傷を作りながらも、平然と周囲を威圧するドイルが草むらから現れた。

「ドラゴンがもう一匹出ました。でも、勇者が現れて……」
「分かっている。ミオの家の方から咆哮が数度聞こえ止んだ。リーガドイズが来たんだろう」
 
 まるで来て当然とでも言いたげだ。
 こうなることが分かっていたかのようなさらりとした口調に、ミオはカレンデュラを摘む手を一瞬止めるも、すぐに移動し採取を続ける。

(……勇者の腕にも火傷はあったけれど、大丈夫かな)

 ここに向かう途中、ドラゴンの炎でできた火傷は治りにくいと聞いた。いろいろと心配だ。

「ジーク、ひとまずこれだけあれば大丈夫だと思う。家まで送ってくれる?」
「分かった。ドイル隊長、ミオは火傷に効く薬を作ろうとしています。引き続きミオの護衛に当たらせてください」
「是非頼む。あの辺りはリーガドイズが守っているが、念のため店の前にもう一人騎士を向かわせよう。残っているのは雑魚ばかりとはいえ、警備範囲が広く人員はそうさけない」
「問題ありません」

 ミオはリュックの口をぎゅっとして、それを背負う。中身は花なので重くはない。

 ガサリ、低木が揺れた。
 はっと、二人が剣を構えた先から現れたのは、グルルっと唸り声を上げ唾液を滴らす大きな狼。
 動物園で遠目にしか見たことないが、明らかにミオの知っているものの五倍はある。この世界、何でもでかいのか。

「フェンリル!」

 ジークが剣を構える手にぎゅっと力をこめると、剣筋を塞ぐようにドイルが立った。

「行け」
「でも、あいつは獰猛で。隊長は怪我を……」
「お前、いったい誰の心配をしているんだ」

 やれやれ、と言わんばかりの呆れ口調。背後から見えたのはニヤリと笑う口元だ。
 ジークは僅かに逡巡したのち、ミオに向かって「走れ」と囁いた。背を押し前を走らせながら、ジークは背後も気にする。
 
 しかし数秒後、聞こえたのはフェンリルの断末魔。おそらく一撃だろう。

「全く、勇者御一行ってのは化け物揃いか」

 息を切らし走るミオの耳に微かにそんなぼやきが聞こえた。