私はごくごく普通の家に生まれた。
 何を持って普通というかは微妙だけれど、郊外のちょっと大きな駅の近くにあるマンションに優しい両親と三人で暮らしていた。

 贅沢でも貧しくもない暮らし。
 朝はパンと目玉焼き、サラダを食べ。
 夕食は母親の温かい家庭料理。父親は仕事が忙しく、一緒に食べるのは週末だけだったけれど、休みの日には近くの公園や大型スーパーに行ったり、長期休みには家族で海や遊園地に行くような家族だった。

 でも、私が十二歳の時、二人は同時にいなくなった。
 その日、中学受験を控えて土曜日にも関わらず塾に行っていた私に、先生が青い顔をして「すぐに帰る用意をして」と言ってきた。
 訳もわからず、先生に手伝ってもらいながら教科書を詰めた鞄を肩から下げ、向かったのは大きな病院。通された部屋には何人もの医者、そして両親がベッドに横たわっていた。

 よく分からない機械が周りに沢山あって、そこから伸びる沢山のコードが両親の身体と繋がっている。

 今から思うと、医者は私が着くのを待ってくれていたのだろう。呆然としながら両親が事故にあったこと、運転していた父親に非がないこと、そして二人を助けるのはもう難しいことを伝えられた。

 母方の祖父母は他界し、父方の親族は小さな島に住んでいてとてもじゃないけれど間に合わない。沢山の大人は周りにいるけれど、頼れる人は誰もいない。

 「お父さんとお母さんの手を握ってあげて」

 私にそう言ったのは、母親と同じぐらいの年齢の看護師さんだった。涙をいっぱいに溜めた瞳、でも私は何が何か分からなくて。現実に頭がついていかないまま両親の手を握った。

 私が握れば必ず握り返してくれた手。
 でも、どちらの指も動かない。

 「お母さん、お父さん」
 呼べば「何?」と言って振り返る二人は、私のかすれた声にピクリともしない。

 視界がぼやけたのは多分泣いていたからだろう。
 
 もう二度と手を握り返して貰えない。
 もう二度とその手で触れて貰えない。
 もう二度と声を聞けない、名前を呼んで貰えない。

 頭に浮かんだ現実を払い退けるように私は手を握り、名前を呼び続けた。



 両親が死んですぐに私が預けられたのは、島で漁師をしている祖父母の家。小学校卒業までの僅かな期間を過ごした私は、その島に中学校がないこと、祖父の認知症が進み私を育てるのが難しくなったこと、もともと祖父母と父が不仲だったこと。そんないろいろな理由から、本州で暮らす叔父の元に預けられそこから中学校に通った。

 でも、叔父には三人の子供がいて、小さな市営マンションでの暮らしはすぐに限界がきた。
 私が両親と暮らしていたマンションは賃貸で、幾許かのお金は残してくれていたけれど、その金額は叔父にとって私を養うのに不十分なものだったらしい。

 そのあとは遠縁と言われる親戚の家に移ったけれど、そこのおじさんが時折黙って私の部屋に入っていることに気がついた。ある日、入浴中に扉を強引に開けられそうになり、私は教師にそれを伝えた。

 先生は親切な人だった。訴えたその日からもう、その家には帰っていない。親のいない子供が沢山いる施設で私は暮らし始めた。

 また転校、そして施設暮らしの私に対してクラスメイトの視線は優しいものではなかった。中には親切にしてくれる人もいたけれど、同情することで優越感を感じるような笑みにゾッとした。

 多分、本当に親切な人もいたと思う。でも、凝り固まった私の心は全てを悪い方へと受け取り、人を拒絶した。疲れていたんだ、十四歳にして人生に。

 塞ぎ込み学校をずる休みするようになった私は、ある日施設長に呼び出された。
 六十代手前に見えたけれど、今思うともう少し若かったのかも知れない。怒られると身構えていた私に施設長は何も言わず温かなお茶を入れてくれた。

 初めて見るお茶。
 番茶でも麦茶でも、まして紅茶でもない。

 なんだろう、と思いながら飲んだそれはほんのりと良い香りがして柔らかな甘みがあった。

「これは何ですか?」
「ハーブティーよ。いろいろ種類はあるけれど、今飲んでいるのはカモミールティー」
「聞いたことがあります。ピーターラビットに出てきました」

 幼い頃、母親に読んでもらった童話を思い出す。真っ白な花弁の小さな花で近くの公園の花壇にも植えられていた。

「気持ちを落ち着かせる効果があるらしいわ。どこまで効くかは分からないけれど、気に入ったならいつでもこの部屋に遊びにきてね」

 ふわりと優しく笑う笑顔を思い出すたびに、素朴で可憐な白い花が脳裏に浮かぶ。施設長は何も聞かずにただハーブティーを飲んでいた。私もその日はハーブティーを飲んで部屋に戻った。

 そんなことが数度続いたあと、私はやっと施設長に学校が辛いことを話し、両親に会いたいと泣いた。人前で泣いたのは両親を亡くして以来。いつも忙しそうにして、私を邪険にする祖父母の前ではとてもじゃないけど泣けず。
 叔父の家ではひたすら肩身の狭い思いをし、親戚の家では自分を守るのに精一杯だった。

「どうしてこんな目に合わなきゃいけないの?」
「ミオ、酷い目に合わなきゃいけない理由なんてどこにもない。あなたは何も悪くない」

 ひくひくと泣きじゃくる私の肩を抱く優しい手。
 部屋を満たすカモミールの香り。

「これから先、どうしたらいいか分からない。どうやって生きたらいいか誰も教えてくれない」
「分からなければ立ち止まって考えればいい。でも、今何か考えるには貴方は傷つきすぎている。じっくり待ちなさい。ただ、これだけは覚えておいて。自分の存在に意味を見つけれるのは自分しかいない。他人じゃなく、自分で見つけるからこそそれは揺るがないのよ」

 これでも飲んで落ち着きなさい、と手渡されたカップを両手で包み、その温もりを身体に取り込む。数年ぶりに見つけた安心できる場所。
 
 両親を亡くしてから初めて私が手に入れた優しい場所は、ハーブティーの香りと温もりに満ちていた。


 その後は、施設長の計らいで、隣の地区の中学校に通い、無事高校を卒業した。私がハーブティー専門店を開きたいと思ったのは当然のことだった。

 あの時のように、私が救われたように。
 誰かを救うことができるなら。
 それが私の存在する意味になる気がして。


 私はぎゅっと拳を握り、ジークをもう一度見上げた。

「サザリン様の火傷を治す薬を作りたいから、私をあの森に連れて行って」

 「神の気まぐれ」が何なのか分からない。
 でも、歴代の「神の気まぐれ」がこの世界に奇跡を残したということは、召喚には意味があったということだ。
 
 それなら、私がここに来たことも何か理由があるはず。

――ううん、違う。理由を見つけるのは自分、私自身だ。
 やってやろうじゃない。

 私が「神の気まぐれ」なら、きっと治せる。