「ジーク!!」

 へなへなとへたり込んだまま名を呼べば、間に伏せる死骸を軽く飛び越えジークが駆け寄ってくる。

「大丈夫か、怪我は?」
「へーき。少し腰が抜けたぐらいよ」

 込み上げる安堵から半泣きと強がりで答えた瞬間。
 ぎゅっと抱きしめられミオの身体と思考は固まった。

「良かった。あいつが口を開けたのを見たときは心底肝が冷えた」

 なおもぎゅっと抱きしめられ、ジークの肩越しにサザリンが頬を赤らめあらぬ方を向いているのが見えた。自覚はないがミオの顔はそれより赤い。

「ジーク、どうしてここに?」

 恥ずかしさから少し肩を押せば、ジークはハッとした顔をし慌て腕をほどく。でも、その手は完全には離れず、ミオの肩に触れたまま。触れる手のひらの温もりから、どれほど心配してくれたかが伝わってくる。

「国境向こうの山からドラゴンの咆哮が聞こえた。距離はあるが、あの雄叫びを聞いた魔物が国境を超え村や町まで逃げて来る可能性がある。隊長含めベテラン勢が国境を守り、若手は今周囲の警戒に当たっている。俺はミオのもとに行くように言われ、店の前に置かれたメモを見てここへ来た。遅くなってすまない」
「ううん、来てくれてよかった。ジークは私の命の恩人だよ」

 その言葉にジークは瞠目し次いで照れくさそうに、でも嬉しそうな笑みを浮かべた。

「俺は昔、命を助けられた。今度は自分が助ける側になりたくて剣を取った。ミオの命の恩人になれたのなら光栄だ」

 こんな時なのにジークの言葉が甘く耳に響いてしまう。
 ミオは自分の不謹慎さを恥じながら、でも自然頬が緩んだ。

「兎に角、ここを離れよう。死角が多すぎて危険だ」

 ジークが差し出した手につかまり立ち上がると、サザリンとベニーがここにいる理由をかいつまんで説明した。

「ジーク、二人を町まで送って行くことはできる?」

 町なら衛兵もいるし、国境から多少なりとも距離がある。魔物にしてみれば大した距離じゃないかもしれないけれど、少しはましだろう。  
 
「そうなるとミオが一人になる」
「家に鍵をかけて閉じ籠るから大丈夫よ」
「いやいや、あんな家、魔物にとっては障害にならない。俺の他にも沢山の騎士が警戒に出ているから、彼らに頼もう」
「分かった」

 今は森を抜けることが先決。ジークを先頭に四人は歩き始めた。
 

 幾度かジークが剣を構えるも場面もあったけれど、無事森を抜け見晴らしが良くなったところで全員がホッと息を吐いた。
 前後左右、頭上と気を張り詰めていたけれどここなら不意打ちは不可能。
 一角兎を一撃で仕留めたジークがいるのだから、正面きっての攻撃ならきっと防げると皆が思っていた。

 刹那、先ほどまで降り注いでいた日差しが突如影る。
 雨雲? と見るも前半の草むらは太陽の光を受け青々としている、おかしい。

 ミオ達の周りだけに落ちた大きな影。
 次の瞬間、ジークの叫び声が耳をつん裂いた。

「逃げろ!! 体力の限り走り続けろ!!」

 同時に聞こえるのは身体を震わす咆哮。
 揺れる空気がミオの髪を掻き乱す。

 グワアアァァ、ギギャー

 見上げたその先には、視界に収まらないほど大きいドラゴン。その片翼だけでも五メートルはありそうだ。赤黒い表皮は鱗で覆われ、尻尾だけでもゆうに家を薙ぎ払うだろう。

 バサ、バサ、と二度翼がはためくと信じられないほどの突風が全身を襲った。

「きゃあ!!」
「助けて!」

 ミオとサザリンは叫び、ベニーに至ってはサザリンの胸にしがみつき声すら出せない。
 風圧で身体が宙に浮き、数メートル先の地面に叩きつけられる。
 ジークだけはその風圧を堪えたようで、三人を背に庇い剣を握ってドラゴンと対峙する。
 今、ここにいる騎士はジークだけ。
 やるべきことは一つ。
 しかし、三十倍以上もの体格差に到底勝ち目があるとは思えない。

「ミオ、俺がドラゴンを引きつけるからその隙に逃げろ。走って、走って、助けを呼べ」
「そんな、ジークはどうするの。ドラゴンは騎士三十人がかりだった言ってたじゃない」

 ジークは剣を持つ手に力を込める。
 脳裏に蘇るのは母を失った日。
 なすすべもなく、ひたすら走って逃げた子供の自分。

「俺はもう目の前で誰も死んでほしくないんだ」

 だから騎士になった。守って貰ったから。今度は守るために。

「ジー……」
「早くい……」

 ジークの叫び声は、しかし最後まで続かなかった。
 突如頭上から炎が吹き付けられる。ドラゴンが吐いた炎は普通の火よりずっとずっと熱い。
 周りにある空気が熱風となり炎より先に肌を焦がす。
 青々とした炎が迫る中、ジークは三人を抱えるように飛び避けた。

 しかし炎の触手はまるで地面を這うように容赦なく向かってくる。

「ベニー、こっちに!!」

 座り込んでしまったベニーにサザリンが手を伸ばすも、長い栗色の髪が炎に巻き込まれてしまった。

「きゃあぁぁ!!」

 ボワっと燃え上がる髪、ジークは素早く外套を脱ぎ叩きつけるようにして炎を塞ぐ。ミオはリュックから水筒を取り出し炎にぶちまけた。
 肌が、髪が焼け焦げる匂いが漂う。
 サザリンの髪は肩下まで焦げ散り、右頬が真っ赤に腫れ爛れた。
 焼けていない左側の可愛らしい造形と白い肌、その対比が火傷のひどさをより顕著にする。
 それなのに、その痛々しい顔でサザリンは「逃げて」と何度も呟く。

「そんなことできない。一緒に逃げよう」
「ミオ、ベニーを。俺は彼女を背負う」

 ドラゴンは、まるで猫がネズミを甚振るように頭上から人間達を見下ろしている。
 続けて炎を吐くことができるだろうに、翼で風を起こし、咆哮を上げる様は、まるで逃げ惑う人間を弄んでいるかのようだ。

 ミオとジークは風と炎を避け必死に逃げる。
 しかし次第にドラゴンはそれも飽きたようで。
 ふぅぅっと大きく息を吸い込む気配がした。

(巨大な炎を吹く!)

 本能的にそう思ったのはミオだけでない。ジークはサザリンを下ろすと、次の瞬間には剣を構え飛び出した。どう考えても捨て身の攻撃にしか見えないそれに、ミオはもはや声すら出せない。

 さっきよりも大きな炎がドラゴンの口から放たれるのを絶望の淵で、ただ眺めた。