「おい、ここで何をしている!」

 和やかな空気を吹き飛ばす怒声にミオの肩が跳ねた。マーガレットが慌て立ち上がり男に駆け寄る。

「お帰りなさいませ、カーサス様。実は貴方が留守中にベニーが迷子になって……」
「その話は今しがた執事から聞いた。俺が言いたいのはどうしてその女を屋敷に上げたのかということだ」

 ミオの方を見もせず指さす。突然のことに動けないでいるミオにマーラは小声で、男が領主のカーターだということ、仕事で十日ほど領地を開けていたことを説明した。それは理解したが、どうしてここまで怒っているのかが分からない。ミオは呼ばれてこの屋敷にやって来たのだ。

「その女が作る物を飲むことは禁じる! 今すぐこの屋敷から追い出せ!!」
「カーサス様、どうしてそんなことを仰るんですか? 彼女は……」
「『神の気まぐれ』だと言うのだろう? そんなもの本当かどうか分からぬ。それに、其奴の作るものはまやかしだ。今は実害が出ていないが、そのうちかならず被害者が出る。その時は牢にぶち込んでやる」

 初対面の男から浴びせられる罵詈雑言。しかも牢と聞いてミオは恐怖で青ざめ立ち尽くす。でも、矢継ぎ早に飛んでくる言いがかりには怒りも湧き腹も立つ。怯え縮こまる気持ちを振るい立たせると、ぎゅっと拳を握り震える足を一歩前に出した。

「あ、あの。私が本物の『神の気まぐれ』かを疑うのはご尤もで証明のしようもありません。ただ、私が作るハーブが人に害を与えることはありません」

 震えながら見上げた男の顔は、眉が吊り上がり、まるでミオを視線だけで射ろうとするほど。

「そのハーブが危険だというのだ。そう伝承されている」
「伝承?」
「我が、サーガスト家は代々ハーブが民の口に入らぬよう管理している。それこそが本物の『神の気まぐれ』からの頼みだからだ」

 ハーブを管理。何のために、どうして、様々な疑問が浮かぶ。
 ただ、管理しているということは、この男の手元にハーブがあるのは確か。
 
「どこで管理しているのですか?」
「お前に教える訳がなかろう! さっさと立ち去れり二度と来るな!! おい、護衛騎士、其奴を叩き出せ」

 扉の前にいた騎士は、戸惑いながらミオを見、次いでマーガレットを見る。先程までの和やかな茶会を知っているだけに、そんな扱いをしていいのかとその目が語っている。

「おい、何をしている。早くしろ」
「は、はい」

 主人の命には逆らえないと判断したのだろう、護衛騎士はミオの元に駆け寄ってきた。ミオは素早く荷物をまとめるとバスケットを手にする。テーブルにあるラズベリーリーフの瓶をどうするか迷ったけれど、置いていってはマーガレットが怒られるかもと、それもバスケットに入れた。

 納得できないことだらけだけれど、屋敷の主が出て行けと言うのだから仕方ない。
 マーガレットも夫を説得するのは難しいと思ったのだろう、申し訳なさそうに眉を下げ口をぎゅっと結んだ。それでも。

「彼女に手荒なことはしないで。ミオさん、突然お呼びたてした上にこんなことになってしまい申し訳ありません」
「いえ、お気に入なさらず。無理はなさらず、元気なお子様を産んでください」

 申し訳なさそうに頭を下げるマーガレットに、ミオも礼をする。護衛騎士はやんわりとミオを促し、失礼のない態度で玄関まで案内してくれた。



 坂を下り噴水の前までくると、辻馬車の停留所に置かれたベンチに腰掛けた。
 はぁ、と大きなため息を一つ吐き、ぐったりとベンチによりかかる。

(領主様は『神の気まぐれ』に頼まれてハーブを管理しているって言っていたわね)

 カーサスの言う『神の気まぐれ』とは誰のことなのだろう。

(ハーブの存在を知っていた。でも人を害する物だと思っている)

 いったいどういうことなのか。
 考えてもちっとも答えに辿りつきそうにない。
 時計を見れば辻馬車が来るのはあと一時間後、歩いて帰ろうかとこれまた迷う。
 
 気が抜け、考え疲れ座っていると、辻馬車が一台目の前に留まった。時間にルーズとはいえあまりにも早すぎないか、と見ればいつもと馬車の色が違う。いつものダークブラウンよりやや明るい。

 扉が開いて数人降りてきた中に、見知った顔を見つけミオはあっと小さく呟いた。
 向こうもミオに気づいたようで長いまつ毛をパチパチさせ、当たり前のようにミオの隣に腰かける。

「ミオ、どうしたの、町に買い物?」
「そういうわけではないんだけれど、リズこそどうしたの? 今日はお店、休みでしょう?」
「そうよ。だから南にある村に蒸溜酒を仕入れに行ってきたの。とっても美味しいのだけれど遠いのよね」

 見慣れない辻馬車はその村とこの町をつなぐ交通手段らしい。見れば背中に背負ったリュックは膨らみ、底がもう限界だとばかりに重みでたゆんでいる。今にも抜けそうだ。

 いつもと全く変わらない、精悍にも柔和にも見える微笑み。
 張り詰めていたミオの気持ちがゆるゆると緩み、知らず涙が頬を伝った。
 慌ててて髪をかき上げる振りで胡麻化そうとしたけれど、当然うまくはいかず。

「何かあったの」

 ひどく真剣に覗き込まれたものだから、こんなところで泣くわけにはいかないと、頼りない笑いをへらっと浮かべながら実はね、と軽い口調で答えた。

「ベニー坊ちゃんを助けた礼をしたいから、とマーガレット様からの誘いを受けお屋敷に行ったんだけれど、途中でカーサス様が帰ってこられ、突然出て行けって怒鳴られたの。どうもハーブは人に害をなすと誤解しているようで」

 そこで言葉を途切らせ、空を見る。
 三十年も生きていれば、怒られたことも怒鳴られたこともあるけれど、あんな風に出会ってすぐに憎悪を向けられたのは初めて。恐怖で身はすくむし、胸は苦しく痛い、それに加えて理不尽な言葉に怒りも湧く。

「……そう、大変だったわね。そうだ、ミオ、私の店に来ない? 私ばっかり通ってるんだもの、一度ぐらい来なさいよ」

 カラッとした顔で立ち上がり、でも有無を言わさぬ仕草でミオの手を取る。
 優しく手を引き立たされて、そうかこういう気遣いをする人なんだな、と改めて思った。
 全ての人が理解してくれる訳じゃない、でも分かって欲しいと思う人が理解してくれるならそれで良いかと、少し思えた。

「うん、私も一度リズのお店に行きたかったんだ」
「それなら話は早いわ。ここから歩いて十分ほどよ」

 ガチャガチャとリュックの中で瓶がぶつかる音を聞きながら、二人はお店へと向かう。
 途中のパン屋でバゲットとスコーン、それから肉屋でソーセージとハムを買い、最後に卵や牛乳も買った。リズは両手で抱えるほどの紙袋を持って、大通りの西側の裏路地にある小さなお店の前で立ち止まった。


「ここがリズのお店なのね」

 濃いダークブラウンのカウンターと、背の高い小さなテーブルが四つ。天井から垂らされた灯りは黒いランタンのような形をしている。落ち着いた雰囲気ながら大人で濃厚な空気が流れるバーをミオはぐるりと見回した。

「なんだか大人って感じね」
「当たり前でしょ、夜のお店だからね。それよりキッチンも小さいけれどあるし、夕食はここで済ませない?」
「リズさえ良ければ。何か作ろうか?」
「それなら簡単にできてお客に出せるような料理を教えて。お酒を飲みに来たくせに、腹が減ったっていう客が一定数いるのよね。うちは居酒屋じゃないっていうの」

 文句を言いながらも何か作ってあげたいと思っているようで。
 それなら、とミオは買ってきた材料やキッチンにあるものを物色する。お洒落なお店に合うような、でもお腹も満たすもの。

「キッシュなんてどう? 耐熱皿もオーブンもあるから簡単にできると思うわ」
「えっ、でもあれパイ生地でしょ? 私には無理よ」
「大丈夫、パイ生地もどきにするから」

 もどき、と復唱するリズを横目にボールを出すと、その中に小麦粉とオリーブオイルと牛乳を入れ混ぜる。すぐにまとまるので、次はそれを伸ばし耐熱皿に添わすように貼り付けると、オーブンで十五分ほど焼く。

「キッシュの器はこれでおしまい。あとは具材を作って流し入れさらにオーブンで焼く。簡単でしょう?」
「ええ、それなら私でもできそうね。ぎゅっと纏めて、ペシャンコにして焼くだけだもの」

 なんだろう、失敗しそうな気がしてきた。
 
 焼いている間に、プチトマトを半分にカットし、ハムは短冊切りに。ソーセージは五センチほどの長さに切ってこちらはカリッとフライパンで焼いておく。
 それらを卵と牛乳と一緒に混ぜ、最後にチーズも入れる。これで具材も出来上がりだ。

「そうだ、せっかくだしハーブも入れてもいい?」

 ミオはリュックを開けると庭から摘んできたばかりのバジルが入った瓶を取り出す。緑色の葉がぎっしり詰まったその中から五、六枚を取り出し手でちぎると、先ほどの具材にザクッと混ぜた。

 タイミングよく焼けた器にゆっくりと具材を注ぎ入れ、追加で三十分じっくりと焼き上げる。

「ミオ、焼き上がるのをハーブティを飲みながら待つっていうのはどう?」
「分かった。何が飲みたい?」
 
 買ってきたお酒の瓶を嬉しそうに棚に並べながら、それでもハーブが飲みたいと言うリズのためにミオは湯を沸かした。その口元が綻んでいることに、リズは少し安堵したのだった。