「あの……」

 ドイルの眼差しにミオはたじろぐ。その奇跡を見るような瞳を心底止めて貰いたい。

「な、治るといっても、今のは小さな怪我でしたし。大怪我にどこまで効くか分かりません。あっ、今ここでざっくり腕を切ったりしないでくださいね? その、だから、私が言いたいのは過度な期待はしないでください!」

 これ以上の血も期待もお断りと懇願するも、脳筋二人は聞いていない。瞳を輝かせヤロウ軟膏を見ている。
 
「なるほど、これならジークの隊服に付いていた血と、傷口が一致しなかったのも納得できる」
「ヤロウ軟膏があれば、無茶しても平気ですね」
「そうだな。次ドラゴンが現れた時は……」
「だから、どれほど効果があるか分からないので無謀なことはやめてください!」

 人の話を聞けとばかりにミオは眉の角度が鋭角になる。軟膏があるからと無茶をした結果、誰かが亡くなったとしたら後悔してもしきれない。

 ミオの必死の形相に、ドイルも何を心配しているか分かったようで。ちょっと困ったように眉を下げ頭を掻く。

「すまない。あまりの効き目に少々浮き足立ってしまった。大丈夫だ、これがあるからといって無謀なことはしないし、させない。約束する」
「お願いします」

 ドイルとて悪気があったわけではない。しかし、二年前まで魔物が出没し、それを倒すような生活をしていた人間と、平和な日本で暮らしていた人間との間に価値観の違いがあるのは当たり前。少々の無茶や命の危険はドイルにとっては日常でも、ミオにとっては馴染みがないものだ。

「それで、代金だが」

 ドイルは立ち上がり机に向かうと、引き出しから布袋を取り出しそれをミオの前に置く。

「缶一つにつき小銀貨ニ枚でどうだろうか。効き目次第ではもっと出す」

 十個で大銀貨ニ枚。ヤロウは庭で栽培しているし、缶は再利用できる。必要なのは蜜蝋だけで、その値段は十個作るのに必要な量で小銀貨二枚ほど。

「これは頂きすぎです。半分ぐらいでも充分利益は出ます」
「いや、これ以下の金額はあり得ない。町の薬屋で扱っている品とのバランスを考えても、小銀貨二枚は安いぐらいだ」

 何にでも相場というものがあり、それは大抵の場合需要と供給で決まる。新参者がそのバランスを崩すのは問題だと考え、ミオはその金額で頷いた。
 店の売上は一日大銀貨二枚、利益なら銀貨一枚弱。
 ありがたい収入源となった。

(これでリズにお金を返すことができる)

 ドイルはジークに書類を持ってこさせ、そこに何やら文字らしきものを書く。それからミオにその書類が、缶ひとつにつき小銀貨二枚で買う契約書だと説明してくれた。

「ここに名前を書いてほしい。この世界の文字でなくても問題ない」

 紙には誓約魔法がかかっていて、記入した人の魔力に反応するらしい。

(魔力が母印代わりってことね)

 ミオはペンを手に取り、葉月美桜と久々に自分の名前を書く。書き終わると紙がピカっと光り、それで契約の成立となった。

「では、私はこれで帰ります」
「ああ、わざわざありがとう。辻馬車は暫く来ないのでジークに店まで送らせよう。ジークついでに町まで行って衛兵にこの書類を渡してきてくれ」
「分かりました」

 ジークが受け取ったのは、このひと月で騎士が撃退した魔物の数。いざという時のために衛兵とは情報を共有している。仕える主人が違うからといって、いがみ合うことなどない。敵は魔物で守るべきは民という点で、騎士も衛兵も同じだ。
 
 平屋のすぐ横にある厩舎から、ジークは自分の馬を連れてきた。ドイルも見送ってくれるようで、部屋から出てきている。

「馬に乗ったことは?」
「ないわ」
「じゃ、まずそこに足をかけて、鞍を掴み身体を持ち上げる」

 ジークは簡単にいうも、やってみるとなかなか難しい。よいしょ、よいしょと、なんとかよじ登るようにして馬に跨った。

「俺は後ろに乗るから」
「後?」

 ふわりと風が起きたと思うと、すぐ後ろにジークが座った。早い。そして近い。

「「……」」

 二人して顔を見合わせ、サッと視線をそらした。

(近い、近すぎる。それでなくてもジークは整った顔をしているのに、アラサーの心臓がもたないわっ)

 二人して真っ赤になっにそっぽを向いている姿に、ドイルは必死に笑いを堪える。波打つ肩で二人を見上げ無理矢理真面目な顔を貼り付けてた。

「それじゃジーク、きちんと送り届けるんだぞ」
「も、もちろんです。行ってきます」

 他意なく言ったのだが、ジークはさらに顔を赤らめ「すぐに帰ってきます」と付け足した。

「あまり飛ばすとミオが怖がる、ゆっくりでいい。ミオ、薬が残り少なくなればまた注文する」
「はい、その時は効果がどれほどあったかも教えてください」

 ミオがペコリと頭を下げると、ドイルは片手をあげた。


 馬の乗り心地は思ったほど悪くない。しかし彫刻のような顔がそこにあるのが役得であり落ち着かない。

(この年で恋愛経験ほぼなしだものね)

 無理ないか、と思う。とりあえず後ろは気にしないように目線を前に向けていると、まもなく森に差し掛かった。

「ジーク、少しこの森の中を見たいのだけれど時間はあるかしら」
「それは、森の中に入るっていうこと?」
「そんなに奥までは行かないわ。道から数メートル入ったところまででいいのだけれど」

 ミオの問いにジークがうーん、と口をへの字にする。
 あっさり、いいよ、と言われると思っていたミオは意外そうに目をパチリとした。

「駄目、なの?」
「この辺りの土地は全て領主様のものなんだ。大抵の森は、領主様の好意で誰でも入っていいことになっているけれど、この森は駄目なんだ」

 何か理由があるのかも知れないけれど、ジークもそこまでは知らない。
 無論入っては駄目といっても監視がいるわけではないので、こっそり入ることは可能なのだが。

「国境が近いせいかこの森にはごく稀に魔物が出る。うまく国境をすり抜けたヤツとか空を飛ぶヤツとかね、だから中に入るのは止めた方かいい。念のため、辻馬車にもこの森は速度を上げて通り抜けるように伝えている」

 だから速度が上がったのかと納得する。しかし、森はすぐそこ、ハーブの存在は是非とも確かめたいところ。

「じゃ、森の近くを少しスピードを落として進むことはできない? 実は来るとき、この森でハーブらしきものを見かけたから確かめたいの」
「なるほど、そういう理由か。分かったそれならいいよ」

 ジークは馬を森に近づけスピードを落とす。手を伸ばせば枝や葉に届きそうな距離だ。
 手前は森への侵入を防ぐようにぎっしりと木々が生い茂っているけれど、奥の方は日が差し混んでいて明るい場所が幾つかあった。

「あっ、あれ!! ジーク止まって」

 一メートルほど離れた場所に、枝にクリーム色の花を咲かせた木が数本立っている。風が少し甘い匂いを運んできた。

「あったのか?」
「ええ。あの花の咲いている木、あれはリンデンっていうハーブよ」
「ハーブっていうからミオの庭にあるものと似たのを想像していたんだけれど、木もあるのか」
「ええ。使うのは花や葉だけど。それを使ったハーブティはナイトティとも呼ばれ、眠る三十分ぐらい前に飲むと良い睡眠をもたらせてくれるわ」

 海外では街路樹として植えられ、楽器の材料にもなるほど慣れ親しまれた木だ。見た目も、甘い香りもリンデンに間違いない。

「あ、あの奥にある紫の花はラベンダーじゃないかしら、それからあの黄色い花はカレンデュラかも知れない」

 どちらもハーブティとしてよく飲まれる。もしかすると奥にはもっとあるかも知れない。
 行きたい、と身を乗り出すミオにジークは釘を刺す。

「ミオ、絶対に勝手に森に入らないで」
「……分かってるわ」

 この森では辻馬車も止まらないらしい。魔獣が出るからね、とジークはさらに念押しする。
 残念だけれど、そもそも他人の土地。許可なく勝手に入りハーブを採取するわけにはいかない。

(でも、この世界にハーブがあるのは分かったわ)

 入っていい森の中にもハーブがある可能性がある。そこで探せば良いのだと、ミオは自分を納得させた。