町から帰って来て二週間後。
  
 定休日なのでミオの朝はいつもよりゆっくり。昨日焼いたパンとランチの残りのスープで朝食を済ませると、庭に出てプランターから植え直したハーブに水をやる。そのあとは森に行ってラズベリーを摘みジャムを作った。

(異世界に来る前は休みといえば一日寝ていたけれど、起きて体を動かしている今の方が疲れがたまらない気がする)

 自分の店を持つために修行も兼ね、朝から晩までカフェで働き、帰ってからはハーブの勉強やSNSで流行のカフェを調べたりしていた。寝るのは遅く睡眠不足だったから、休みの日は自然と昼過ぎまで寝ていたけれど、変にだるくすっきりしなかった。
 この世界にきてからは、二日酔い客のために店を早く開けるから自然と早起きになり、テレビもSNSもないので早く眠るようになった。すこぶる体調がよい。

 ジャムを作ったあとは、庭先でハーブティを飲みながら本を読む。充実した日々だと伸びもした。


 夕方、明日の下準備を終えたころカラリとドアベルを鳴ってジークがやって来た。手には大きな紙袋を持っている。やけにでかい。

「いらっしゃい。今から軟膏を作ろうと思っていたの」

 キッチンからミオが顔を覗かせる。その前には煮立った大鍋があり町で買った缶が煮られていた。

「何しているの?」
「念のため煮沸消毒した方がいいかな、と思って」

 そろそろ十分たったのでよさそうだと、ミオは金属製のトレーに布巾を敷きトングを手にする。

「火傷しちゃいけないし俺がやるよ」

 ジークがミオの手からトングを奪い、底に沈んだ缶を次々と取り出しトレーに並べていく。暫く冷ましてから手で持てる熱さになったところで清潔な布で拭きカウンターにそれを並べた。
 まだ、荒熱はあるけれど軟膏を作っているうちに冷めそうだ。

 カウンターの端には、ジークが持ってきた紙袋が無造作に置かれたままになっている。

「ジーク、これは?」
「昨日仕留めたコカトリスだよ。子供だから小さいけれど血抜きはしているから後は捌くだけ、夕飯にしようと思って持ってきた」

 ミオが町で食べた料理の中にもコカトリスがあった。ほぼ鶏という説明だったはずだけれど、目の前にある紙袋はミオが知る鶏の大きさの倍はある。これで子供。

「ありがとう。……ちなみにコカトリスについて詳しく聞いてもいい?」
「前にも話したけれど、ほぼ鶏だよ」
「ほぼ……」
「そう、鶏を数倍大きくして獰猛にしただけ。あーでも尻尾の方は、うん、大丈夫そこは切ってきたから」

 尻尾がどうしたのだろう。ミオは嫌な予感しかしない。
 それもそのはず、コカトリスとは雄鶏と蛇を合わせたような姿で、鱗に覆われた蛇の尻尾がついている。その部分は固く食べにくいので、食用として売られるのは鶏の部分だけ。だから、ジークの言う「ほぼ鶏」も決して嘘ではない。

「それって強いの?」
「そうだな、息に猛毒があるから接近戦は気をつけなきゃいけない」
「毒……」
「バジリスクをも超える危険な致死毒だけど、肉になってしまえば問題ない」

 けろっと真実を伝えるのは、繊細な乙女心に疎いから。悪気はない。しかし当然ながら途中からミオの顔色は青くなっていく。

(バジリスクは聞いたことがある、有名なファンタジー映画で見たあれよね。あれは食べれないけれど)

 そっと袋の口を開けば、そこにあるのは大きな鶏肉。とういうか七面鳥。クリスマスに海外の食卓に乗るあれに見えなくもない。それにお店で食べた時は、ジューシーな鳥のから揚げだと思った。いける、はず。

「ありがとう。じゃ、これは後で食べるとして一旦冷蔵庫にしまっておくね」
「うん、それで軟膏作りだけど俺は何をすればいい?」

 やはり手伝うつもりのようでシャツを腕捲りする。服装は町へ行った時と同じ洗いざらしのシャツにカーキのズボン、清潔だけれど服に気を使っている様子は微塵もない。

(でも、整った顔と鍛えられた長身の体躯だと何を着ても様になるのよね)

 足だってすらりと長い。ランチタイムに顔を見せれば若い娘が色めき立ちそうだ、と親戚の姉目線でミオは思いながら、その長い足もとにある棚を開け、十冊ほどが並ぶ本の中から一冊を取り出した。

「それは?」
「ハーブの専門書よ。簡単に説明すると、ヤロウで作った浸出油と蜜蝋を湯煎にかけてかき混ぜる。で、それを缶にいれて冷やし固める」
「簡単そうに聞こえるけれど、浸出油って何?」
「それはもう作ってあるわ」 

 ミオは二階に行くと大きな瓶を抱え降りてきた。透明な液体にヤロウのドライハーブが浸かっている。

「これは何?」
「植物油にヤロウを浸したものよ。こうやってハーブと植物油を馴染ませ日当たりの良い場所に二週間置くと、植物油にヤロウの成分が浴出されるの。軟膏にはその油を使うのよ」
「へえ、瓶はずっと置いとくだけでいいの?」
「中身を軽く混ぜるために一日一回瓶を揺するけれど、あとはそのままよ。簡単でしょう」

 瓶を揺するたびに金色の粉が輝き溶けていったことを話そうかと迷うも、結局言わなかった。
 ジークを信用していないのではない。ただ、話してもジークには見えないだろうし、そのことがドイル隊長経由で広まるのがなんだか怖かったのだ。
 
 「神の気まぐれ」が起こす奇跡として持て囃されても、それに答えられるだけ自信がない。それにヤロウ軟膏にどれだけの効き目があるのかも分からない。

「それで、この瓶をどうしたらいい?」
「あっ、えーと布でこしてハーブと植物油に分けるの」

 金の粉のことを考えていたミオは、はっとして答える。先程使っていた大鍋より二回り小さな鍋を取り出し、その上に布をかぶせた。

「私は布を抑えているから、ジークはその瓶の中身をゆっくり移し替えてくれる?」
「うん、分かった」

 ジークはひょいっと瓶を掴むと、少しずつ液体を注ぎ込む。実になれた手つきでだ。

「騎士団でも料理を作ったりするの?」
「もちろん。基本は見習い騎士の仕事だけれど、たまに当番が回ってくる。料理は子供の頃からしていたから得意だし楽しいよ」
「お母さんと一緒に?」
「小さい頃はね。母は数年前に亡くなって、それからは俺が母親代わりに家事と育児をしていた」

 ミオは瓶を持つジークの横顔を見る。いつもと変わらず穏やかな表情、でも苦労したんだな、と思う。
 妙に家事スキルが高い理由はその生い立ちからきていたようだ。

 瓶の中身を全部入れ終わったところで、布を巾着状にまとめ最後の一滴まで絞ろうとぎゅっと力を入れる。

「貸して、俺がやる」
「ありがとう」

 もう限界だろうと思うところまで絞ったにも拘らず、ジークに手渡すとまだまだジュッっと沢山絞れた。

「身体強化使った?」
「はは、こんなことで使わないよ」

 ちょっと鍛えようかな、とミオは自分の細腕を見る。異世界で暮らすには逞しさが必要な気がした。