「はぁ、疲れた。ありがとう、ジーク」
「どういたしまして。欲しいものは全部買えた?」

 噴水のわきにあるベンチに並んで座り、ミオは歩き疲れた足を伸ばす。
 鞄は缶と蜜蝋と絵本でいっぱい。チーズとパンが入った紙袋はジークが持ってくれている。

「もう少しで辻馬車がくるけれど、どうする? 帰ってもいいし、食事をしてもいいし」
「そうね。このままだと夕飯はパンだけになっちゃうし……って、ねぇ、ジークあの子迷子かな?」

 大通りから逸れた細い路地の入口に男の子が一人、膝を抱え額をつけて丸くなっている。

「着ているものも良いし、迷子っぽいな。声をかけてみるか」

 ジークが立ち上がりミオも後に続く。歩きながら周りを見渡したけれど、少年を探している人は見当たらない。

「どうしたんだ? 迷子なら衛兵の詰所まで連れて行くよ」

 ジークがしゃがみ視線を少年に合わせた。
 この街を治めている領主が雇っているのが衛兵で、領主の護衛だけでなく町の治安も守っている。
 その詰め所がこの町には二ヶ所ある。一つは噴水から少し北に行ったところで主に町中でのトラブルに対応、もう一つは東門でこちらは町を守る砦の意味合いがある。
 西門に詰所がないのは、西側の国境には騎士団がいて、彼らが魔物から守ってくれているからだ。

 少年が顔を上げジークを見る。五歳ぐらいで、泣いて目と鼻が真っ赤になっていた。
 その原因は、顔を上げたことで見えた膝がしらに。転んだのだろう、大きく擦り剝け血が流れていた。

「転んで怪我をしたのね」

 ミオがハンカチを取り出し傷口にそっと当てると、少年はぎゅっと泣きそうに顔を顰めた。そして再び緑色の瞳から、ポロポロと大粒の涙を零す。

「久々の街が楽しくて……ヒック……走って気が付いたら誰もいなくて。……慌てて探そうとしたら怖い顔のおじさんにぶつかって怒られて……」

 怪我はぶつかって転んだ時にできたもの。怒られて怖くなってしまい裏路地に逃げ込んだのはいいけれど、自分がどこにいるのかも分からなくなってしまった。痛い脚で必死に歩いて大通りまで戻ってきたものの、一緒に来た人はどこにもいなく心細くなったようだ。

「ちょっと待って」

 ミオは鞄の中をごそごそと漁る。蜜蝋を選ぶ時に必要かもと、ヤロウの葉を袋に入れていたのを思い出したのだ。

(蜜蝋選びには必要なかったけれど、持ってきてよかった。確か揉むのよね)

 こんな感じかな、とハンカチにヤロウを包みつまみ洗いをするようにこすってみる。(傷口が治りますように)と願うとハンカチ越しでかろうじてわかる程度に金色に輝いた。

「ジーク、子供を噴水まで運んでくれる?」
「分かった」
 
 ジークは子供を軽々と抱え運ぶと、噴水の縁に座らせた。ミオは噴水の水を掬い傷口を洗うと、揉まれてつぶれたヤロウの葉ごとハンカチを傷口に当てて膝の後ろでぎゅっと結ぶ。ヤロウでの汁で緑に染まったハンカチに血が滲んだ。

「さっきの葉っぱは何?」
「傷口を治すハーブよ」
「お姉さん、お医者様?」
「違うけれど、きっともう大丈夫よ」

 まだ不安そうにしている少年に、ジークは「俺もそのハーブで傷を治してもらった」と言うとズボンを捲り怪我をしていた箇所を指さす。

「ほらな、すっかり治っているだろう?」
「お兄さんもいっぱい血が出た?」
「ああ」
「僕より?」
「うん」
「泣いた?」

 鼻をぐずぐずさせ、再び泣きそうになる少年をジークはひょいと縦抱きにする。

「泣かないよ、君も男だろう、もう泣かない。衛兵の詰め所まで連れていってやるよ」

 よしよしと背中をポンポンする姿は実に手慣れている。そういえば六人兄弟って言っていたっけ、とミオは感心しながらその様子を見た。
 ジークが持っていた紙袋をミオが抱え、ジークの案内で詰所のある場所へと向かうことに。


「すみません、迷子を見つけた……」
「ベニー坊ちゃま!!」

 詰所にある椅子に座ってこちらに背を向けていた女性が、ジークの言葉途中に振り返りバッと走り寄ってきた。顔は青ざめ目は真っ赤だ。

「ベニー坊っちゃま! ご無事で良かったです。今までどこにいらしたのですか?」
「マーラ、ごめん」
「私は、もしや人攫いに会われたのではと気が気ではなく。今、御者が奥様に坊ちゃまがいなくなったことを伝えにいきましたので、まもなくこちらに来られると思います」
「うっ、お母様に会いたい……」

 母の顔を思い浮かべ、再び泣きそうになったところで、マーラの視線がやっと二人に向けられた。ジークは軽く頭を下げながらベニーを降ろす。

「噴水の近くで泣いていたので連れてきました。俺は国境騎士団に所属するジークと申します」
「まぁ、騎士様でございましたか。この度はご迷惑をおかけいたしました。もうすぐ主人が参りますのでお待ちいただけますか? お礼をさせて頂きます」
「いいえ、俺たちはこれで。あっ、ミオ、ハンカチはどうする」

 その言葉にマーラの視線がジニーの膝に巻かれたハンカチへ。ヤロウの葉の汁と赤い血が混ざりなんともどす黒い色になっていた。

「これはいったい!」

 マーラは、明らかに不審な色に青ざめながらハンカチを解こう手を伸ばす。

「転んで怪我をしたら、あのお姉さんが巻いてくれたの」
「あぁ、なんてこと。それにしてもこの色はいったい」

 恐る恐るハンカチを外したところで、マーラの手がぴたりと止まった。どうしたのかと覗き込めば傷口は消え、つるりとした膝小僧がそこにある。次いでハンカチに目をやれば、ぐちょりとつぶされた葉が血と混じってこびりついていた。

「あの、騎士様これはいったい……坊ちゃまに何をされたのですか?」

 眉間に皺を寄せ、いぶかしげに聞いてくる。ジークは困ったな、と頭を掻きながらどこまで話していい? とミオに目線で聞いてきた。

「マーラ、嘘じゃないよ! 本当に怪我したんだよ、いっぱい血も出たんだよ。だから痛くて動けなかったんだ! 信じて」

 痛かったんだよ、だから迷子になったのは仕方ないんだ、と言い訳を続けるベニー。
 ミオはそっとジークの袖をひっぱり耳に口を近づけた。

「ヤロウのことはまだあまり知られたくないの。軟膏作りがうまくいくか分からないし、効き目もはっきりしない状況で期待させるのは申し訳ないわ」

 ハーブ自体はギリシャ時代から使われていたものだから害はないと思うけれど、薬として期待されるだけの効果がどこまであるのか分からない。

「分かった、それじゃヤロウのことは黙っていよう。あとはどうやってここから立ち去るかだけれど」

 ジークはベニーに目を向ける。
 ベニーは両方の指で直径五センチほどの円を作り「これぐらいの怪我でね」とまだ必死に訴えるも、マーラは「傷ひとつないですよ」と膝を指差していた。二人とも膝小僧ばかり見てミオ達にまで気が回っていない。

「このまま立ち去ろう」

 ジークの言葉にミオは頷きそっと後ずさると、傍にいた衛兵に軽く頭をさげその場を後にした。