「こうちゃんを中学出たら角界に入れようとしてたのも、じつは全部嘘だったのよ。だってこうでも言っとかないと、こうちゃん、真面目にお勉強してくれないからね。これからは、お勉強の方をしっかり頑張ってね」
 両親は優しく微笑む。
「もう、エイプリルフールはとっくに過ぎてるのに。おいら今、テレビアニメ化がガセだったのを知った時の心境だよ」
 光洋もにっこり笑った。
「光洋、どうせ大学行くなら大学受験界の東横綱、東大を目指せ」
 父は大きく笑いながら勧める。
「それはおいらには天地がひっくり返っても絶対無理だよ父ちゃん」
 光洋も大きく笑いながら言った。
 こうして今日も平和に大迎家の夜は更けていく。
 
 後日談
 
 翌週の水曜日、帰りのホームルーム開始直後。
「それでは皆さんお待ちかねの、個人成績表を返却しますね。呼ばれたら取りに来てね。安藤くん」
 寺尾先生からの連絡。テストの答案と同じように出席番号順だった。
「五五位か。前より一つだけ上がってた。期末はもっと頑張らないと」
 梶之助の決意。現状で満足せず、さらなる高みを目指している。
「梶之助殿、おいらも一つだけ上がったぜ」
 光洋は苦笑いを浮かべながら、結果を伝える。全科目平均点を大幅に下回り、学年順位は二六六位。当然のごとく、一科目も秀平に勝つことは出来なかった。
 出席番号十番の秀平は受け取った瞬間、
「二位のお方は七八一点だったようで、この高校のレベルの高さを実感しました。油断すると学年トップの座を奪われてしまいそうで怖いですね」
 満足顔でこう呟いた。彼の総合得点は八〇〇点満点中七八五点。中学時代のように断トツでというわけにはいかなかったが、またも学年トップの座を保てたのであった。
「贅沢な悩みだな、秀平殿。この天才的頭脳を吸収しなくては」
「いててて、大迎君。真の天才的頭脳を吸収したいのならば、JR住吉駅前まで行って灘高生でも狙いたまえええぇぇ」
「光洋、止めてやれ。秀平、次もトップ維持目指して頑張れよ」
「はぃぃぃ。ボク、頑張りますよん」
 男子三人が楽しそうにこんな会話を弾ませているうちに、女子の分が返却されていく。
「私、番付ちょっとだけ上がったよ。利乃ちゃんが稽古付けてくれたおかげだね」
 千代古齢糖は二三八位までアップ。さっそく利乃に報告しに行く。
「まだまだね。せめて学年平均くらいまでは昇進させなきゃ」
 利乃はあえて辛口コメントし、千代古齢糖のやる気を引き立たせたのだった。
(前よりけっこう上がってる。すごく嬉しい)
 秋穂は受け取った瞬間、満面の笑みを浮かべた。三九位まで上がっていたのだ。
(やっぱり勝てなかったかぁ)
 利乃は悔しがる。七七〇点で、新入生テストより順位を一つ落とし、六位に終わった。
「あともう一つ連絡があります。今度の土曜日、メキシコ料理教室が行われますので、興味のある方はぜひ参加して下さいね」
 全員に返し終えた後、寺尾先生はこう伝えて、広報ポスターを黒板に貼り付けた。
 解散後。
「タコスかぁ。激辛料理だから、参加しようっと」
「ワタシは、お菓子じゃないから今回はパス」
「わたしもー」
 千代古齢糖、秋穂、利乃の仲良し三人組はすぐさま確認しに行く。
「私が全部食べるから、いっしょに参加しよう。ん? この講師の人って……ひょっとして」
 千代古齢糖は講師の名前を見て、思わず笑みがこぼれた。

          ※

 五月三一日土曜日、メキシコ料理教室開講当日。朝十時半頃。淳甲台高校調理実習室。
「やっぱりあの人だぁ!」
 講師が入ってくると、千代古齢糖は嬉しそうに大声で叫んだ。
「おう、千代古齢糖風、Mi amiga! ここの生徒さんだたのね」
 講師もすぐに気づいてくれた。女相撲大会優勝決定戦で敗れた摩耶山賊、本名マヤ・モンタネスさんだったのだ。
「また会えましたね。藪から棒ですが、摩耶山賊さん、私ともう一度勝負して下さい!」
 千代古齢糖は摩耶山賊の側に駆け寄り、深く頭を下げて頼み込んだ。
「うーん、でも、あっし、今日、マワシ、持て来てないよ」
 摩耶山賊は苦笑いを浮かべながら言う。
「それなら心配いません、摩耶山賊さんのマワシも、私が用意して来ました」
 千代古齢糖はこう告げて、鞄の中から取り出し摩耶山賊の眼前にかざした。
「Oh,そういうことでしたら、オーケイよ。あっしも、千代古齢糖風と、勝負したいから」
「やったぁ! ありがとうございます」
 快く承諾してくれ、千代古齢糖はバンザイして満面の笑みで大喜び。 
「よかったね、ショコラちゃん」
「お二人の取組、すごく楽しみです」
 秋穂と利乃も対戦の実現を喜ぶ。

 お昼過ぎ、メキシコ料理講座が終わった後、いよいよ取組開始。
 グラウンドで行うことになった。
「やっほー、みんな」
「千代古齢糖ちゅわーん、応援しに来たぞう。僕が行司さんやるねー♪」
「どうも」
 寿美さんと五郎次爺ちゃん、梶之助もやって来た。
 千代古齢糖があのあとスマホで鬼柳宅に連絡したのだ。この三人は料理教室講義中に、グラウンドに土俵も作ってくれていた。大相撲の土俵サイズと同じ直径十五尺の円を描き、さらに俵を埋め込むという本物に近いものを。力水の入った水桶と、撒くための塩も用意されていた。(事前に寿美さんが淳高の先生方に設置許可を取っていた)
 土俵周囲に秋穂、利乃、梶之助以外にも大勢の観客が集う。生徒達のみならず先生方も何名かいた。
 摩耶山賊は半袖Tシャツ&スパッツ姿、千代古齢糖は夏用体操服の半袖クールネックシャツ&ハーフパンツ姿となり、その上からマワシを締めた。
 靴と靴下も脱いで素足になり両者、相撲を取る準備が整うと、
「ひがあああああしいいいいい、まやさんんんぞくううう、まやさんんんぞうううくううう。にいいいいいしいいいいい、しょこらあああかぜえええ、しょこらあああかあああかぜえええええ」
 寿美さんは相変わらずの美声を発しながら、独特の節回しで四股名を呼び上げた。
 千代古齢糖と摩耶山賊はそれを合図に土俵へと足を踏み入れる。
 徳俵の前で一礼し、東西の土俵脇へ別れた。
 千代古齢糖は梶之助から、摩耶山賊は寿美さんから力水を付けてもらう。
 仕切りの際には、大会の時と同じく激しい睨み合いが続いていた。
「ショコラちゃん、ファイト!」
「頑張って下さいね!」
 秋穂も利乃もすぐ近くで熱く叫ぶ。
 大会の時と同じく塩撒きと仕切りを六度繰り返したところで、寿美さんから制限時間いっぱいであることが告げられた。
 最後の塩。千代古齢糖は山のようにがっちり掴み、高々と舞い上げた。摩耶山賊もそれに負けるものかと豪快に撒き散らす。勢いはほぼ互角だった。
「待ったなし、手を下ろして。はっきよぉい、のこった!」
 五郎次爺ちゃんが軍配を返す。一発で上手く立った。
「おう!」
 瞬間、摩耶山賊は驚きの表情を浮かべた。
 千代古齢糖が、いきなり八艘飛びを食らわしたのだ。
(やっぱ決まらなかったかぁ)
 千代古齢糖は残念がる。