訪れた三人は、利乃に言われた通りリビングへ向かい、ローテーブル横のソファに腰掛けて待つことにした。
「お待たせー。皆さんも、もし良かったらお風呂どうぞ」
 ほどなくして、利乃はパジャマ姿でリビングへやって来る。
「ワタシはべつにいいよ。汗そんなにかいてないし」
「私もー。まだ真夏じゃないからね」
「そっか。梶之助さんは、どうですか?」
「俺もいいよ。というか、女の子のおウチでお風呂をいただくのは気が引けるし」
 梶之助は即拒否する。
「お風呂入った方がさっぱりした気分で勉強出来ると思うけどな。それじゃ、勉強会を始めましょうか」
 利乃は笑顔で告げる。やる気満々な様子だった。
「そういえば、そろそろ前頭上位の取組が始まる頃だね。えっと、リモコン、リモコン」
 千代古齢糖はふと思い出す。今ちょうど大相撲夏場所二日目のテレビ中継がされている時間帯なのだ。
「千代古齢糖さん、勉強会中にお菓子はいいけどテレビとスマホは禁止よ。リモコンは事前に隠しておきました」
 利乃は笑みを浮かべ、マドレーヌを頬張りつつきっぱりと言い張った。
「あーん、いじわるぅ。取組結果がすごく気になるのにぃ」
「結果は後からでも分かるでしょ」
「リアルタイムで知りたいのにぃ。結果が気になって勉強に集中出来ないよぅ」
「結果を知ったら千代古齢糖さん興奮して余計に集中出来なくなるでしょ。この誘惑に打ち勝つことも、精神修行になるわよ」
 嘆く千代古齢糖に、利乃は得意顔で説得し続ける。
「もう、分かったよ、結果は後で見るよ。今度の中間も、秀ちゃんはまた学年トップ取るんだろうな」
 千代古齢糖は勉強道具を取り出しながら、羨ましそうに呟く。
「わたし、中学時代は秀平さんに総合得点で一度も勝てなかったよ。あの子のせいで万年二位だったの。今度の中間ではわたし、秀平さんに勝って、初の学年トップを目指すよ!」
 利乃はきりっとした表情で宣言した。
「秀ちゃんは今年の淳高一年生の学力の横綱だね。あり得ないけど、私が秀ちゃんに勝てたら大金星どころか、新弟子検査受けたばかりの子が真剣勝負で横綱に勝っちゃうくらいの大波乱だよ」
「秀平は小学校の時から数学は高校レベルのやつを解いてたからな。俺は、中間は総合五〇番以内を目標にしてる」 
「ワタシもカジノスケくんと同じ目標だよ。いっしょに頑張ろうね」
「梶之助くんと秋穂ちゃんも志し高いね。私は赤点回避が目標なのに。職員室に忍び込んで問題を盗めたら簡単に点取れるのになぁ」
 千代古齢糖は残念そうに呟く。
「千代古齢糖さん、そんなことしたら退学になるわよ。試験は正当な方法で臨まなきゃ」
 利乃は険しい表情になった。
「冗談だって。利乃ちゃんも京大志望なだけに不正行為に関しては厳しいね」
「じゃあ、まずは確認するね。皆さん、テスト範囲のプリントは全部揃ってる? 足りないのがあったら、コピーしてあげるよ」
「俺は全部揃ってるよ」
「ワタシもー。ちゃんと科目毎にファイルにまとめて保管してる」
「梶之助さんと秋穂さんは予想通りきっちりしてるわね。千代古齢糖さんはどうかしら?」
「私ももちろん全部揃ってるよ」
 千代古齢糖はそう答えると、鞄の中からファイルを取り出した。彼女も秋穂が伝えたことと同じように、科目毎にきちんと分けられ計九冊あった。
「あら、本当? 今までそんなこと一度もなかったのに。それにしても全科目分持って来たのね」
 利乃は一冊ずつパラパラッと捲って確認してみる。
「本当だ。一枚も抜けがないわ」
 約二分半で作業終了後、かなり驚いていた。
「ちゃんと整理整頓出来るようになってえらいでしょう? 空欄も全部埋まってるよ」
 千代古齢糖は得意げになる。
「確かにね。でもそれは梶之助さんが管理してくれたからでしょ?」
 利乃はにこやかな表情で問いかけた。
「ちゃんと自分でやったよ」
 千代古齢糖はにっこり笑顔で自信満々に主張するが、
「ほとんど俺のやつを丸写ししてたよ」
 梶之助は呆れ顔で事実を報告しておいた。
「やっぱりね。板書は全部ノートに写せてる?」
「そりゃあもちろん」
「これも梶之助さんのおかげなんでしょ?」
「その通り!」
 次の質問には、千代古齢糖は開き直って堂々と答えた。
「そんなやり方じゃ自分の力にはならないわよ。千代古齢糖さんがやってることは、稽古サボってる力士が一生懸命稽古に励んでる他の力士を眺めてるだけで、自分も猛稽古して強くなったと勘違いしてるようなものだからね」
 利乃はため息交じりに忠告する。
「利乃ちゃん、上手い例え方だね。でも私、数学だけは自分の力じゃどうしようもない。考えて解くのが横綱級に面倒くさい」
 しかし千代古齢糖にはあまり効果は無かったようだ。
「ショコラちゃんの数学嫌いは、幼稚園時代の数のお稽古の頃から来てるもんね」
 秋穂はピンク色のマカロンを頬張りつつ、微笑みながら突っ込んだ。
「えへへ。私、相撲の稽古は大好きだけど、数の稽古は大嫌いだよ」
 千代古齢糖は照れ笑いする。
「千代古齢糖さんは数学のお稽古を重点的にやっていく必要があるわね。わたし、今度の中間テストの予想問題を作ってあげたよ」
 利乃はそう伝えると、自作の数学演習プリントをローテーブルの上にポンッと置く。
 数学Ⅰと数学A、中間テストでは別の日程で組まれているがここでは両方ミックスさせていた。問題用紙と解答用紙の計二枚。
「利乃ちゃん、私のためにわざわざ作ってくれたの! ありがとう」
 千代古齢糖は嬉し涙を浮かべ、利乃の体にぎゅっと抱きつく。
「しょっ、千代古齢糖さん、お礼はいいから、シャーペン持ってさっさと解き始めて」
 利乃は照れ隠しをするように命令した。
「分かった。頑張るぞーっ!」
 千代古齢糖は気合十分だ。
「リノちゃん、ワタシもそれ、やりたぁい。ワタシも数学あまり得意じゃないから」
「俺も、やるよ」
「素晴らしい心構えね。それじゃあ、このプリント、コピーしてくるね」
 利乃は嬉しそうにそう言うと二階自室へ向かっていく。三分ほどのち、コピー四枚の計六枚を持って戻って来た。
「解き方を間違えたり、制限時間内に正解に辿り着けなかったりしたら、これで背中を叩くよ」
 利乃はさらりと言う。
 もう片方の手に、剣道で使われる竹刀も装備していた。利乃が中学の頃、選択武道の授業で使用していたものだ。
「それは恐ろしやー。利乃ちゃんまるで相撲部屋の親方みたいだよ」
「ワタシ、真剣にやらなきゃ」
「緊張感があるね。俺もケアレスミスしないように慎重に解こう」
 三人はシャープペンシルを手に取る。
「それじゃ、始めてね」
 利乃からのこの合図で、三人は問題を解き始めた。
「いったぁーい! 答え合ってるはずなのにぃ」
 五分ほどのち、千代古齢糖がパチーンッと叩かれた。
「確かに答えは合ってるよ。でも、導き出すまでに時間がかかってたら無意味よ。大学入試では制限時間内に数多くの問題をこなさなきゃいけないんだから」
 利乃は厳しい表情で忠告するや否や、
「きゃぁんっ!」
「うわっ!」
 今度は秋穂と梶之助の背中をパチンと叩いた。千代古齢糖にした時よりは手加減していたように見えた。