梶之助は体の向きを変え、恐る恐る千代古齢糖の方を見てみた。私服姿に、ホッと一安心する。
「梶之助くんも早く着替えて」
「うん。俺は、トイレで着替えるよ」
 梶之助は立ち上がり、リュックから普段着を取り出すと、トイレの方へ向かおうとした。
 しかし、
「もう、梶之助くん。パンツ一丁姿なんて私に見せ慣れてるんだから、ここで着替えればいいじゃん」
「うわぁっ」
 千代古齢糖に背後から両腕と胴回りをしっかり掴まれ、身動きを阻止されてしまった。
「送り吊り落としにしちゃおうかなぁ?」
「千代古齢糖ちゃんっ、それは、勘弁」
「じゃあ、これにしよう。それぇっ!」
「わわわ」
 梶之助はうつ伏せ状態でベッド上に押さえつけられてしまった。彼の上に、千代古齢糖が覆い被さるように同じくうつ伏せ状態で乗っかる。その格好は、まるで交尾中のカエルのようであった。
「どうだ梶之助くん。さっきは〝送り掛け〟にしてみたよ」
「のっ、退けって。重たい」
 梶之助は苦しそうな表情で頼むが、
「ダメー、退かなぁーい。ここで着替えてね」
 千代古齢糖は聞き耳持ってくれず。さらに強く体を密着させてくる。梶之助は無理やりパジャマの上着まで脱がされてしまった。捕まえられた際に、前側のボタンを緩められていたのだ。
「何するんだよ」
 梶之助の怒り、上昇。けれども抵抗出来ない。
「次はズボンだーっ。パンツまで脱げちゃったらごめんねー」
 千代古齢糖が梶之助の穿いているズボン裾に手が掛かったその時、コンコンッと扉がノックされる音がした。
「おはよーショコラちゃん、カジノスケくん」
「おはようございます千代古齢糖さん、梶之助さん。朝ごはんを食べに行きましょう」
 外側から、秋穂と利乃の呼びかける声。迎えに来たのだ。
「おっはよう秋穂ちゃん、利乃ちゃん。今すぐ開けに行くね」
 千代古齢糖は梶之助のズボンをずるりとくるぶしの辺りまで引き摺り下ろすと彼の体から離れ、ぴょこんっと立ち上がって出入口扉の方へ。
「重たかったぁ」
 ようやく開放された梶之助は、すばやく普段着へと着替えたのであった。
 こうして四人は部屋から出て、昨日の夕食時と同じレストランへと向かっていく。光洋と秀平はまたも先にそこへ行っていた。
 一同は昨日の夕食時と同じ座席配置でバイキング形式の朝食を取る。
「ねえ梶之助くん、序ノ口の取組がそろそろ始まる頃だけど、べつにそこから見る必要はないよね?」
 千代古齢糖はベーコンエッグを頬張りながら話しかけた。
「確かにそうだな。五郎次爺ちゃんからは観戦しろと言われたけど、東京観光した方がよっぽど有意義に過ごせると思う」
「おいらも激しく同意。大相撲なんて、幕内の取組からでじゅうぶんだろ。おいらは今日もアキバ巡りをするつもりだったし」
「ボクも大迎君と同じ予定であります」
「昨日も行ったのにまた行くのかよ」
 梶之助は呆れ顔で突っ込む。
「アニメショップをたった一軒回っただけではないかぁ。そんなのは行ったうちに入らないぜ。それに今日はUDXで声優のトークイベントがあるからな。せっかく東京来たんだから、アキバのイベントに参加出来るこのチャンスを逃すわけにはいかないぜ」
「アキバは特にイベントが無くても、毎日通っても飽きないよん」
 光洋と秀平はほんわかとした表情で言う。
「光洋さんと秀平さん、昨日、東京へ来てからは特にトラブル起こさなかったから、今日は別行動取ってもいいわよ」
 利乃は快く許可を出してあげた。
「梶之助くんは、今日も私達といっしょに行動しようね」
 千代古齢糖が腕をぐいっと引っ張ってくる。
「えー、またぁ」
「梶之助さん、わたし達といっしょに上野公園巡りをしましょう」
「カジノスケくん、昨日も言ったけど女の子だけで動くのは危ないから」
 利乃と秋穂からも昨日と同じように強く頼まれてしまった。
「まあ秋葉原行くよりは……光洋に秀平、三時半頃に、両国国技館前で待ち合わせってことでいいか?」
 梶之助は確認を取る。
「ラジャー。では梶之助殿、そういうことで」
「ひとまずさらばだ、鬼柳君」
 光洋と秀平は朝食を済ませると、わくわくした様子ですみやかにレストランから逃げていった。
 こうして今日は二手に分かれて行動することに。
 梶之助、千代古齢糖、秋穂、利乃の四人はホテルから出るとまず両国国技館へ向かい、梶之助が代表して六人分の観戦チケットを購入した。一番安い自由席だ。
「じつは、わたしもアキバの声優さんのトークイベント見に行きたかったんだけど、ディープな男の人が多くて怖いからちょっとね。声の演技だけじゃなく、あんな人達と笑顔で握手出来る女性声優さんは凄過ぎるわ」
 JR両国駅に向かって歩きながら、利乃は打ち明ける。
「ああいうの、男の俺から見ても怖いよ。光洋や秀平がよく見てる、ライブイベントのブルーレイで声優さんが挨拶する度に、うをおおおおおーっ、とかオットセイみたいに叫んで、声優さんが歌ってる時はうぉうぉ叫びながらペンライト振り回してすごい激しく踊ってる集団」
「ワタシは恥ずかしがり屋さんだし怖がりだから、声優さんは絶対無理だなぁ」
 秋穂はぽつりと呟く。
「秋穂ちゃんはお歌上手いから、その性格を直せばなれるかもしれないよ」
 千代古齢糖は励ましの言葉をかけてあげた。

 四人は両国から上野公園まで移動すると、まず西郷さんの銅像の前で記念撮影。そのあと上野動物園へ。
「梶之助くん、私から離れちゃダメだよ」
「えっ!」
 園内に入ると、千代古齢糖がいきなり手を掴んできた。
 マシュマロのようにふわふわ柔らかい感触が、梶之助の手のひらに直に伝わってくる。
「あの、千代古齢糖ちゃん。べつに、手は、繋いでくれなくても俺、大丈夫だから」
 梶之助のお顔は照れくささから、だんだん赤くなって来た。
「でも、梶之助くん迷子になっちゃうかもしれないし。昔海遊館でなったでしょ」
 千代古齢糖はにこにこしながら言う。梶之助をからかっているようにも見えた。
「幼稚園の頃の話だろ。もう今は絶対大丈夫だって」
「本当? じゃあ離してあげるけど、私の目の届く範囲を歩いてね」
「うん」
 こうして手を離してもらえた梶之助の顔は、じわじわと元の色へと戻っていく。
「仲の良い姉弟みたいね」
 利乃はくすっと笑う。
「一瞬、ショコラちゃんがワタシよりお姉さんっぽく見えたよ。ワタシ、動物さんのスケッチしようと思ってこれも持って来たの」
 秋穂はそう伝えると、リュックからB4サイズのスケッチブックを取り出した。
「秋穂ちゃん準備良いね。じつは私も持って来たんだ」
 千代古齢糖もスケッチブックを自分のリュックから取り出した。
「わたしもよ。みんな考えることは同じね」
 利乃も取り出す。
「みんな上野動物園行く気満々だったんだな」
 梶之助は当然のように不持参だった。そんなわけで彼はデジカメ撮影係に。
「一番モデルに最適な、ハシビロコウを描こう」
 千代古齢糖の提案に、
「いいわよ。それにしましょう」
「滅多に動かないからすごく描き易いよね。あの鳥さん、不思議な魅力があるよ。チョコボールのキ○ロちゃんみたいだし」