いきなりですが、ピンチです。
「ヒヨコ、大丈夫ですか?」
左右の手にそれぞれ抜き身の剣を構えたヒヨコが、私に背中を向けたままこくりと頷きました。
彼が私を背に庇って対峙するのは、血に飢えた魔物です。
青白い肌に澱んだ目、だらしなく開いた口元からは鋭い犬歯が覗いています。
そんなのが群れを成して、いたいけな私達に迫ろうとしていました。
「どうして、こんなことに……」
発端は、会員制交流場でのフォロワーさんとのやりとりでした。
五日前にこの身体で新しい人生を始めた私は、ギュスターヴに与えられた携帯端末を使いこなすべく、メイドに教わりながら会員制交流場に登録。
現在、着々と交流の輪を広げているところです。
ちなみに、おそらくはあのメイドも、酔っ払い魔王に便乗して私の身体に血肉を混ぜ込んでいると思われます。
ツンと澄ました顔をして、自分のことをママと呼ばせてやらんこともない、などとほざいておりましたので。
呼ぶわけないですよね。
どうかしてます。
それはともかく、私は所詮新参者ですから、フォロワーの数はまだそう多くはありません。
けれどもそのうち、数少ないフォロワーの中でも意気投合する方が現れました。
相手の名前は、〝血に飢えた獣〟さん。
アイコンは、可愛いピンク色のコウモリです。
きっと、私と同い年くらいのお洒落な女の子に違いありません。
ちなみに私のアカウント名は〝死に損ない〟。
もちろん自虐です。
名前を呼ばれる度に罵倒されている気分になりますが、それもまた一興。
アイコンは、わざわざ口元に血糊を付けて自撮りしました。
ギュスターヴやノエルには悪趣味だと不評でしたが、知ったことではありません。
干渉されたくないので、彼らは即ブロックしました。
血に飢えた獣さんの初リプライは、そんな私の血糊を舐めたいという攻めたもの。
ギュスターヴ達とは違って、私のユーモアとセンスを理解してくれた彼女と仲良くなるのに時間は必要ありませんでした。
そんな血に飢えた獣さんから、お茶のお誘いとともに彼女の屋敷の地図を受け取ったのは、古木のおばあさまに挨拶をし、目を泳がせまくっているガーゴイルを散々いじってから門を潜ったすぐ後のこと。
顔も知らない相手の屋敷を訪ねると言うと、ヒヨコは最初難色を示しました。
だったら一人で行こうかとも思いましたが、意外に頑固な彼はそれも許してくれません。
黒い手袋に包まれた冷たい手が、強すぎない、けれどけして振り解けないほどの力で、私の手首を掴んで離さないのです。
私はヒヨコの両手をぎゅっと掴み返し、切々と訴えます。
彼の、情に。
「生前は、同年代の令嬢達が集まるお茶会にだって、ほとんど参加したことがなかったんです。私を取られるみたいで嫌だって、エミールが駄々を捏ねるものですから……」
悲しげにそう呟けば、彼はとたんにおろおろとし始めました。
私はここぞとばかりに畳み掛けます。
「可愛いやきもちだと思ってエミールの言う通りにしていましたが、もしかしたら私は彼を言い訳にして面倒事から逃げていただけなのかもしれません。ろくに世間付き合いができていないのに、私ったらどうやって国王となったエミールを支えていくつもりだったのかしら……」
自嘲するように言う私の背中を、ヒヨコは慌てて慰めるように撫でてくれました。
せっかく戻った彼の右手もやはり冷たいですが、私の心よりはよほど血が通っいるかもしれませんね。
こちとら、相手の優しさに付け込むのに余念がありませんもの。
「一度死んで、けれどまたこうして生きる機会を与えられたのです。せっかくですから、生前できなかったことにしてみたいんです。ヒヨコ、私の我儘を許してはくれませんか?」
「……」