「それで、アヴィスは昨夜眠ったのか?」

 ようやくベッドから起き出した魔王は、身支度を整えながらそう問うた。
 部屋中のカーテンを開け放ちつつ、その側近が憂い顔で振り返る。
 ちなみに、もう夢魔の姿はない。
 精気を安物ワイン呼ばわりされて冠を曲げた元天使に、早々に部屋から蹴り出されたからだ。
 
「いいえ……メイドの話では、昨夜もずっと書庫に籠って本を読んでいたそうです。今朝は、私が起きた時にはもう庭にいましたし……」
「そうか……食事は?」
「そちらも、まったく興味がないようですね。ですが、精気が糧となるのならば今すぐどうこうということはないでしょう。試しに私のを吸わせてもみて正解でした」
「貴様が元凶か。誘い受けとはけしからん」

 アヴィスが魔界に爆誕して五日。
 九割が魔王の血肉でできた彼女の身体は、一切の睡眠と食事を受け付けていなかった。

「さて、どうしたものか……」

 窓辺に寄ったギュスターヴは、庭を見下ろして赤い目を細める。
 その視線の先では、彼と同じ色彩を持つ少女が庭に立つ古木に挨拶をしているようだ。
 アヴィスはそれを老婆の声で話す古木の魔物だと思い込んで、〝おばあさま〟と呼んでいる。
 しかし、あれが実は遠隔操作で中の人がしゃべっているだけのカラクリだという事実をいつか教えてやらねばならないだろう。
 そうこうしているうちに、彼女はフードを被った双剣使いの死人と合流した。
 今のところ、アヴィスが生活に支障をきたしている様子はない。
 それでも、我が子が眠りもせずご飯も食べないとなると、心配でならないのが親心というものだ。

「ふむ……育児板ででも相談してみるか……」
「いけませんよ、魔王様。いきなり書き込んだりしては。半年はロムらないと」
「そんなにか? 手っ取り早く答えがほしいのだが」
「でしたら、知恵袋にでもお悩み相談なさいませ」

 赤い瞳と青い瞳が見守る中、死人を従者のように引き連れたアヴィスが城の門に差し掛かった。
 元々なのか、それとも魔王の血肉の影響か、怖いもの知らずの彼女は厳つい顔のガーゴイルにも平気で絡んでいる。
 あの門番は顔に似合わず恥ずかしがり屋なので、きっと内心たじたじしていることだろう。
 魔王と側近の眼差しは自然と柔らかくなる。
 彼らがようやくアヴィスの背から視線を外したのは、執事がある報告を持って扉をノックしてからだった。

 曰く──天使が一匹、魔界に入り込んだようだ、と。