「……アヴィスは、僕のものだ」

 晴れた日の空のような澄んだ青。
 ずっとアヴィスがそう思っていたエミールの瞳は、今はひたすら昏く宙を睨んでいた。
 
 アヴィスを抱いた魔王が戸板の外れた国王執務室の扉を潜ったとたん、彼ら以外を平伏させていた見えざる力が消え去った。
 真っ先に動いたのは、アヴィスが連れてきた謎の剣士だ。
 弾かれたように飛び起きた剣士は、部屋の隅に転がっていた何者かの大腿骨を掴んで国王執務室から飛び出していった。
 次いで我に返ったアヴィスの兄グラウも、愛剣を片手にそれを追う。
 ところが……

「あいつら、どこへ行ったんだ……」

 国王執務室の外には、すでアヴィスの姿も、魔王の姿も、剣士の姿も──彼らがいた痕跡すらも無くなってしまっていたのである。
 ここにたどり着くまでに、あの謎の剣士に伸されたグラウの部下達も、ようやく意識を取り戻して起き上がり始めた。

「さっきの手練の剣士……あれは、もしや……」

 グラウは先ほど交えた剣士の剣と、それを受け止めた時の感触から思い至った、ある仮説に眉根を寄せる。
 しかし、部屋の中から自分を呼ぶ少年の声に、ひとまず結論を保留にした。
 グラウが国王執務室に戻ると、彼の現在の主君──十八年前から弟となることが決まっていた第一王子エミールが、執務机の前に座って宙を睨んでいた。
 妹とは違い、グラウにとってその昏い目は見慣れたものである。

「魔王だかなんだか知らないけれど、アヴィスは返してもらわないとね」
「魔界に乗り込むとおっしゃるなら、喜んで供をしますが?」
「それは心強いね。ところで、グラウは魔界への行き方を知っているの?」
「そんなもん、知るわけないでしょう」

 とたん、エミールはじろりとグラウを睨んで、使えないな、とぼやく。
 けれども、机に両肘を突いて指を組むと、その上に顎を乗せて気を取り直すように口を開いた。

「まあ、いいや。アヴィスがもう一度生身を持っていて、ここに戻ってくることも可能だと知れただけで十分だ。僕は、ジョーヌみたいに早まった真似をしなくて正解だったよ」
「……」

 グラウはそれに答えなかったが、エミールは気にせずに続ける。

「父上の思い通りになるのは癪だけど、アヴィスが戻ってくることを考えると、この国を廃退させるわけにはいかないね」

 そうして、先ほどアヴィスが現れたために中断していた書き物を再開しようと、彼がインクの蓋を捻った瞬間だった。