「──何かしら、このにおい」


 ふいに異臭を感じて、私は眉を顰めます。
 くさい、というのではありません。
 ただ、この世界にとって〝異物〟だという印象が強く、無視するのは憚られるにおいなのです。
 そしてそれが、何の変哲もない壁の向こうからするのですから、これはもう怪しい。怪しすぎます。
 この壁を開く鍵は、もしかして生体認証とかいうやつではありませんでしょうか。
 そして、この城の主はギュスターヴなのですから、必要なのはおそらく彼の生体でしょう。

「でも、私の九割はあの人の血肉だといいますから……いけるのでは?」

 結論から申し上げますと、いけました。
 壁は、

『そうかなー? どうかなー? ちょーっと違うような気もするけどなー?』

 という感じで悩んでおりましたが……

「細かいことはお気になさらず。さっさと開けてくださいな」

 私がバンバンと叩いて急かしますと『ま、いっか』となったようです。
 ふいに、壁に扉が浮かび上がってきたかと思ったら、勝手に取手が回りました。
 音もなく開いた扉の向こうには、地下へと続く階段が伸びています。
 私は意気揚々と足を踏み出そうとしましたが……

「……っ!!」

 ヒヨコが、今までにないほど強い力で腕を掴んで引き止めてきました。
 彼がそうせざるを得ないのも、わかります。
 なにしろ、階段の先はそれこそ墨で塗り潰したように真っ黒で、軽い気持ちで足を踏み入れていい雰囲気ではないのですから。
 それでも、件の異臭は間違いなく階段の先から漂ってきます。
 私は、それの正体を見届けないわけにはいきませんでした。

「大丈夫ですよ、ヒヨコ。手を繋いでいきましょうね」

 とは言いつつ……階段を下り始めてすぐ、私は後悔を覚えました。
 廊下の闇の中では昼間のように見えていたため灯りは必要ありませんでしたが、地下の闇にはなかなか目が慣れてくれないのです。
 足下など、階段どころか自分の足さえ見えません。
 私は踏み外さないよう慎重に、一歩一歩確実に階段を下りていきました。

「あっ、ヒヨコ。あそこに、光がありますよ」

 濃密な黒の中で心細そうに揺れていたのは、一本の蝋燭でした。
 炎は麦の粒ほどの小ささでしたが、蝋燭自体は長く、朝がくるまでは灯っていそうです。
 ここに続く扉を開けられるのはギュスターヴだけのようですから、蝋燭を灯したのも彼でしょう。
 では、一体何のためにこんなところに、と思いかけたところで、私ははっと息を呑みました。
 ヒヨコも体を強張らせ、双剣の柄に手をかけます。
 蝋燭の向こうで、何かが蠢く気配がしたのです。