「貴様は毎日欠かさずアレとしゃべっとるだろうが、キロン」
「あくまで、古木のおばあさま、としてな。俺が俺としてあの子と対面したのは、今日が初めてだよ」

 ギュスターヴがキロンと呼んだのは、半人半獣──下半身は鹿毛の馬で、上半身は白衣を着た痩身の中年男だ。
 野蛮で粗暴と言われるケンタウロスに生まれながら、生前は英雄たちを育てた賢者として名を馳せたが、現在はなぜか魔界で科学者をやっている。
 アヴィスが爆誕初日に庭の古木から説明を受けた、太陽に代わって魔界を照らしている光源を発明したのも、なんなら携帯端末を量産できるようにしたのも彼だ。
 しかもしかも、アヴィスは件の古木を魔物だと思い込んでおり、老婆の声でしゃべるために〝おばあさま〟と呼んでいるが、あれは実は単なるカラクリで、キロンはいわゆるその中の人だった。
 古木は魔王城の地下深くにある彼の研究室の入り口になっており、木の裏にはちゃんと扉が設置されている。
 ただし、これを老婆の魔物だと思って慕っているアヴィスはいたずらに背後に回るような無粋な真似はしないため、いまだ扉の存在には気づいていなかった。
 
「そもそも、なぜ最初に老婆のふりをしたんだ」
「……あの子が木の前を通りがかったのに気づいて呼び止めようとしたんだが、いきなりおっさんの声で話しかけたら警戒されるかと思って、とっさに声色を変えたんだ。そしたらあの子が、おばあさまなのかしら、なんて言うもんだから……」

 そのまま老婆キャラで確立してしまった、というわけである。
 そもそもあの時、完徹十日目で髭は伸び放題、風呂にも入っていなかった彼に、アヴィスと直接対面するという選択肢はなかった。
 なお、キロンはアヴィスの体に血肉を提供したメンバーではないため、彼女に過剰な執着を覚えているわけではない。
 ただ、人間の少女と思しきものが無防備に魔王城を闊歩していたため、心配になって声をかけたのが始まりだった。
 つまり、ただのいい人である。
 一方、キロンの右隣に座っていた者は、正真正銘アヴィスに血肉を提供した一匹であった。
 全身が灰色の毛に覆われた、人狼族の若い長だ。

「オレも今日、初めてあの子と目が合ったぞ。魔王様とおそろいで可愛いよなぁ。生肉、好きかなぁ」
「ルー、やめておけ。アレに生肉なんぞ差し出したら、それこそ蛇蝎のごとく嫌われるからな」
「えっ、生肉食わないの? なんでなんで? おいしいのに? 魔王様は生肉大好きなのに?」
「私も生肉は食わないぞ。設定を捏造するな。アヴィスに至っては、そもそも飯を食わない。まったく、どうしたものか……」

 三角の耳をピルピルさせて首を傾げている人狼ルーを眺めつつ、ギュスターヴが物憂げなため息を吐く。
 すると、ようやく笑いが収まったらしい隣の魔女が再び口を開いた。