頭上には、雲一つ浮かんではいませんでした。
 けれども、どこを探しても太陽を見つけることができません。
 それもそのはず。

「魔界は地下深くに位置しておるからのぅ。地界の地面に遮られて日の光は届かぬのじゃ。おぬしがここに来た時のように、魂だけの状態ならばそれをすり抜けることもできようが、生身ではいかに高位の魔物でさえ不可能じゃよ」
「それでは、太陽がないにもかかわらず昼間のように明るいのはなぜでしょう?」
「地界との境界に、太陽の代わりとなる光源が設置されているからじゃな」
「まあ、そんなすごい技術が……」

 私が生まれ育った地界ではようやく蒸気機関が実用化され始め、産業の中心が手工業から機械工業へとゆるやかに移行しているところですが、魔界のエネルギー事情はとっくの昔にその工程を通り越していました。
 現在では、燃焼によって発生した熱を運動エネルギーに変換し、さらに電磁誘導とかいう現象を利用して得た電気エネルギーでもってあらゆるものを動かしているのだといいます。
 あいにく科学に精通していない私にはちんぷんかんぷんですが、要するに魔界は地界よりも科学技術が進んでいる、ということのようです。
 それを懇切丁寧に教えてくれたのが、魔王だというギュスターヴでも、その側近らしいノエルでも、あの大広間に居合わせた魔物達でもメイドでもなく……

「おばあさま、たいへん興味深いお話をありがとうございました。私、少し外を歩いて参りますね」
「そうかい。一緒に行ってやりたいが、わしはここから動けんからねぇ」

 庭に立っていた老婆の声でしゃべる古木なのですから、いかにも魔界、といった感じです。
 私は彼女と別れると、魔王の居城──魔王城の大きな門を潜りました。
 門には厳つい面構えのガーゴイルが控えていましたが、私をチラチラ見るばかりで声もかけてきません。
 門の外には青々と草が茂り、魔界なんておどろおどろしい呼び名とは不釣り合いな、長閑な光景が広がっていました。
 地界ならば、そろそろ太陽が空の天辺を通り越す頃合いでしょうか。
 古木が言うには、時刻は魔界も地界も、それに天界も共通なのだとか。
 地界で死んだ私がこの新しい身体で目覚めたのは朝方だったのに、あっという間に時間が経ってしまっていました。
 素肌に羽織っていたマントは持ち主に返し、今の髪と似た繭色のワンピースを着せられています。
 ふかふかスリッパも、こちらは新しい瞳と同じ赤いパンプスに変わりました。
 メイドが丁寧に梳ってから高い位置で一つに結び、赤い宝石をあしらった飾りを付けた髪が、歩くたびに馬の尻尾みたいゆらゆらと揺れます。
 魔王城の門から離れ、ガーゴイルの視線がようやく煩わしくなくなった辺りで、私はふかふかの絨毯みたいな草の上に腰を下ろしました。
 そうして、自分の右の拳を見下ろしてしみじみと呟きます。

「……あごって、あんなに固いものなのですね」