「──アヴィスは、どうやったら眠るのだろうな」

 カツンカツンと靴音を響かせて、長い長い階段を下っているのはこの城の主にして魔界の王ギュスターヴ。
 その背後にしずしずと、元々は対極の存在──堕天使ノエルが付き従っている。
 それこそ気の遠くなるくらい長い付き合いである彼らの目下の懸念は、ちっぽけでか弱い元人間、アヴィスの日常生活に関するものだった。

「食事も結局、精気以外は受け付けんようだし……さて、どうしたものか」
「でも先日、タピオカは口にしたんじゃありませんでしたっけ?」
「自撮りのために一口だけな。その後、やっぱりカエルの卵みたいで気持ち悪いとか何とか言って、二度と口にしなかった」
「おやおや……」

 なお、アヴィスの残したタピオカを保護者としての責任から完食したギュスターヴも、二度と口にしたくないと思っている。
 背後のノエルを振り返らないまま、そんな彼が問うた。

「私が寝ている間、アヴィスはどう過ごしている?」
「私の知る限りでは、大半の時間は書庫で本を読んでいますね。それに飽きれば、魔王様のベッドに忍び込んでゴロゴロしてはいるようですが……って、もしかして、お気づきでない?」
「全然お気づきでないぞ。アレの気配は、私の眠りをまったく妨げないからな」
「本当に、いつか寝首を掻かれるかもしれませんねぇ」

 そんな笑えない冗談を言い合っているうちに階段が途切れた。
 ここは、魔王城の最深部。
 日の光はもとより、魔界の紛い物の光さえ届かぬ真の闇──そのさらに奥底にある。
 己の身体がどこにあるのかさえ分からないこの深淵で平気な顔をしていられるのは、おそらく魔王たるギュスターヴだけだろう。
 ノエルでさえ、ギュスターヴと一緒でなければ足を踏み入れるのを躊躇するほどの場所だった。
 そんな闇の中を進んでいくと、やがてぽつりと弱々しい光が現れた。
 どうやら、どこからかほんのわずかに──それこそ、髪一筋ほどの光が降り注いでいるらしい。
 そして、闇の中で蠢いて、その眇々たる光に必死にすがる者がいた。
 その目の前で足を止めたギュスターヴが、感情のない声で告げる。
 
「──ごきげんよう、天上の民。深淵の空気は肌に合ったか?」
「……」

 とたんに、ギロリと彼を睨み上げたのは、今は闇に塗りつぶされているが、実際はここからはるか遠く高くにある空を映したような色。
 アヴィスを殺した天使、カリガの目であった。