あのまま彼方を会長に預けておけば、大口の案件は確実にゲットできただろう。それを捨ててまで助けた理由。それが伏見にもわからなかった。ただ、あの時の従順過ぎる彼方に、伏見の中で何かがざわめいた。

「ーー嫌や、なかったん?」

「……大丈夫です。私は、伏見さんのためなら何でもやります」

 そう、笑顔で答える彼方。そこに嘘偽りはない。彼方は伏見の為なら本当に何だってするという気持ちだった。こんな自分を見出してくれた、いわば恩人。彼方の方から彼を裏切るなんてことは絶対にない。

 そんな真っ直ぐすぎる視線を送る彼方に伏見は後ろめたい気持ちになった。最初から駒として利用しようと近づいといて、今更ながら罪悪感が沸いてきた。
 そして同時に彼方から視線を逸らすことができない自分にも気づく。

 そんな伏見の複雑な心境に気づかず、彼方は続ける。

「だから、安心してください」

 まるで子供をあやす母親のように微笑む彼方に、伏見はーー。


「……っ!ええかげんにせえよ!!」

 思わず怒鳴ってしまい、ハッとなる。しかし一度出てしまった言葉はもう取り消せない。そんな伏見の様子に彼方は少し驚いた様子で、それでも伏見を心配そうに見つめる。

 それは主人を思う忠犬そのもの。

「っ……あー、あかんわ。今のは僕が悪い。堪忍な」

 彼方のその顔に伏見は片手で顔を覆って、ため息をはいた。利用して、その場限りで終わる関係だった、はずなのに。こうして目の前にいる彼方の存在が、伏見の甘さを自覚させる。

「あの、伏見さん?私何かしましたか?今日の仕事は、ダメでしたか?」

 彼方が不安そうに声をかけてきて伏見は、あーと言葉を濁す。まさか、大口の案件と天秤にかけて、あっさり彼方をとったとは言えない。だから、誤魔化すことにした。

「いや、大丈夫や。彼方、また明日からも頼むで」

 伏見のその言葉に彼方は「はい!」と返事する。その純粋な笑顔に伏見はまたも内心で舌打ちをした。



 伏見が帰ると彼方は「頼むで」と言った彼の言葉を反復して、うれしそうに微笑む。求められて、必要とされている。その事実がたまらなく嬉しい。彼方は早く明日にならないかなと胸を高鳴らせた。