四月一日。大学生のおれ達は春休み真っ只中。こういった長期休暇の過ごし方は大きく二つ。
 
 下宿しながら学校に通っている者が大半だから、目的など特に無くてもとりあえず地元へと帰省する奴。わざわざ帰省する用事も無いから、しょうがなく一人暮らしのアパートに残る奴。
 
 優一は山口の実家へ。北海道に青森に秋田に……。東北組が多いな、おれの周りの連中は。
 
 そしておれは後者だ。皆の溜まり場となっていたこのアパートも、この休みの期間だけは静かにゆっくりと時間が流れている。講義も無ければ暇を潰す相手もいない。

 こんな時でないとバイトに精を出すこともできないし、どうせ他にやる事も無いのだから、この期間くらいしっかり稼いでおこうという肚だ。
 
 しかし、何というか。春休みに入ってから三週間近く経ち、こうも皆と顔を突き合わせていないと、さすがに少し退屈だと思える様になったおれがいる。

 あれだけ鬱陶しかった優一や由希子の小言も、いざ耳にしないとなったら何となく調子が出ない。不思議なものだ。
 
 そこで、誰かしらに電話を掛けみようと思い立った。それにせっかくのエイプリルフールだから、電話でもできる様なドッキリでも、ひとつ仕掛けてやろうではないか。

 一人で退屈で、何となくもの寂しがっていると思われるのも癪で、わざわざ用も無しに連絡するのはと躊躇っていたが、そういう名目なら堂々とこちらから電話を掛けることができる。
 
 
 思い立ったが吉日。さっそく優一に電話を掛けた。
 
「なんや、久しぶりじゃのう。元気でやっちょるか?」
 
 長期休暇に地元に帰省をした地方組の奴らはこちらへ帰って来ると、地元の訛りを取り戻してやってくる。そしてその訛りもまた、一週間もすれば少しずつ和らいでいく、というのを帰省の度に繰り返す。全く、地方組の連中は忙しい。

 確かにまぁ、言葉というのも文化の一つではあるから、できるだけ周りに染まっていないと、皆生き辛いのだなきっと。
 
 しかし、おれの知る限りではだが、優一だけはその素振りを一切見せない。こちらにいても、今の電話口の先でも、奴の話すイントネーションは変わらないのだから大したものだ。郷に入っても郷に従わぬあいつは変わり者だという、おれの疑いがもはや確信に変わっている。
 
 元気でやってるよという定型のやり取りを済ませ、いよいよドッキリの始まりだ。
 
「ってか……ちょっと聞いてくんね?」
 
 表情は見えないから、声の抑揚だけで演技をしなければならない。名声優になったつもりでおれは話を続けた。
 
「実はさ……おれ、大学辞めるかもなんだよね……」
 
「は? なんでや?」
 
「つい先週くらいのことなんだけど、単位のことで教授に呼び出されてさ。ほら。おれって教職も取ってるだろ? このままじゃ卒業も免許もギリギリだっつう話から説教になってきて……」
 
 さっそくおれの口元は緩んでしまっているがしかし、電話口だから優一にはバレていない。
 
「そしたらおれも段々腹が立ってきてよ。親でもねぇのに何偉そうに言ってやがんだ、つって大喧嘩になっちまったんだよ。終いにはヒートアップして、大学なんざいつでも辞めてやるってんだ! つって飛び出してきたわけよ」
 
 もう、すぐにでも吹き出してしまいそうだったので、とりあえず一呼吸置いた。その間も優一は無言のままだったので、さらにおれは続けた。
 
「その日から毎日何回も教授から電話がきてたんだけど無視してたらさ、一昨日くらいからもう電話すら掛かってこなくなったんだよね。……まぁでも、しょうがねぇかなつって。……とりあえずどうなるにしてもさ、お前には言っておこうかなと思ってさ……」
 
 上出来……のはずだ。しかし電話で良かった、本当に。電話でも笑いを堪えるのがいっぱいいっぱいなのだから、面と向かって最後まで演じ切ることはできなかっただろう。
 
「お前……」
 
 優一が神妙そうに間を作った。しかし、それも束の間。
 
「今日エイプリルフールじゃろ? つくんならもっとマシなウソつかんと」
 
 どうやら優一もおれが話す最中、込み上げる笑いに必死で耐えていたらしい。一方はニヤニヤしながら重々しそうな話をして、一方は肩を揺らしながらそれを、あたかも真剣な振りをして聞いているのだから、非常に滑稽である。
 
「なんだよなんだよ。面白くねぇなぁ」
 
「おもんねぇんはお前のウソじゃっちゅうに」
 
 一人目の優一へのドッキリは失敗に終わった。

 
 
 おれの演技力に問題があったのか。いや。単に優一の野郎の性根が曲がっていただけだろう。気を取り直して、次。ターゲットは由希子だ。
 
「あー! 竜也くん、元気? 久しぶりじゃん!」
 
 向こうは相変わらずといった様子。何なら、普段よりもいくらか声の調子も良さそうだ。
 
 ここで由希子に釣られてこちらも元気良く返せば優一の時の二の舞になってしまう。今度は最初から声色を落とし気味で入った。もうすでに作戦は始まっているのだ。
 
「ああ……まぁまぁ。ぼちぼち……元気ではやってるよ……」
 
「えー? なんか元気無さそうじゃん。何かあったの?」
 
 しめしめ。そう思うとまた気持ちが緩んでしまうから、通話口を少し離して、大きく深呼吸してから臨んだ。
 
「実はな――」


 
「……え?」
 
 由希子は続け様に「ウソでしょ?」と。驚きを隠しきれていない様子が伺える。敢えておれは、由希子の問いに対して無言という返事をした。
 
「……」
 
「……」
 
 お互いに無言が続くうちに、しばらくすると、鼻を啜る様な音が聞こえてきた。
 
「え? 由希子お前、泣いてんの?」
 
「だって……竜也くん……辞めちゃうかもなんでしょ?」
 
 ここいらが潮時か。これ以上はおれも多分舌が回らない。
 
「由希子……実はな……」
 
「……うん……」
 
 最後の最後にしっかりと間を持たせた。
 
「実は…………」
 
「…………」
 
「……ドッキリでしたー!」
 
「……え? どういうこと?」
 
 電話の向こうで目が点になっている由希子の顔がはっきりと浮かぶ。
 
「エイプリルフールだよ。いやぁ、良いリアクションだったねぇ。優一とは大違いだよ」
 
「え? 辞めるっていうのは?」
 
「辞める訳ねぇだろ。単位がカツカツなのは事実だけどよ、別に許容範囲と言やぁ許容範囲だかんな」
 
 ネタバラシも終わり、カラカラと笑うおれを他所に、由希子は依然黙ったままである。
 
「ん? 由希子?」
 
「…………サイテー!……信じらんない!」
 
 吐き捨てる様にして、そのまま由希子は電話を切ってしまった。まぁまぁ、そんなに怒るなよという思いでもう一度電話を掛けたが、由希子は出なかった。全く。冗談の通じないやつだ。


 
 四月八日。いよいよあと数日で前期の授業が始まるので、授業の履修登録の用紙を提出するために学校へと足を運んだ。
 
 せっかく学校へ来たのだから、昼は食堂で済ませた方が楽だと思い、書類の提出後はいつもの様に食堂へと向かった。とりあえず一服してから昼にしようと、芝生の縁に腰掛けタバコをと一息つき、学内を見渡す。
 
 履修登録の受付開始日とはいえ、一応まだ春休みではあるから、学内は人通りも少ない。皆、履修票を提出したらそそくさと帰ってしまうのだろう。

 食堂の中も、数名の教授が昼食に来ているのがぽつりぽつりと見えただけで、学生の姿はほとんど無く閑古鳥が鳴いている。

 いつもの喧騒というか、学生達の賑わいの無い静まり返ったキャンパスは、春の陽気にうたた寝をしている様で、これはまたこれで乙なものだ。
 
「よう。約一ヶ月ぶりじゃの」
 
 声のした食堂の方へと座り直した。
 
「おう。帰ってきたか。久しぶり」
 
 優一もおれと並んで階段に腰掛け、タバコに火をつけた。久々に顔を突き合わすので、少し照れ臭い様な気もすれば、かといって、昨日までも当たり前に一緒にここにいた様な、何とも不思議な心持ちである。
 
「結局こうやって顔見たら、いつも通りって感じだよな」
 
「まぁ、そうじゃの。なんやかんやで俺らも、結局いっつもここにおるけぇの」
 
 優一も多分同じ様な事を思っていたのだろう。地元での土産話等、積もる話が無い訳でもないのだろうが、特に何かを話すでもなく、ただ二人ここに座って、のんびりタバコをふかしていた。

 
「あー! やっぱりいたー! 久しぶりー!」
 
 今度は芝生の方から声が。履修の書類を提出し終えてやって来たであろう、由希子と紗良が向こうからやってきた。
 
「おう。お二人さんも、元気やったけ?」
 
 久々に会った紗良の髪色は更に明るくなっていた。三年生の後期後半。就活が始まったら嫌でも黒染めをしないといけないから、こんなことができるのも今だけだと、地元の美容室で染め直してきたという。最早金髪だ。いい歳して全く。
 
 隣の由希子の見た目はさして大きくは変わっていない。多少髪を切ったのか、心なしか前髪が揃っている風だ。

 しかし何やら、いつもの笑顔が見当たらない。何なら最初に一瞥したっきり目も合わない。久しぶりに会うから何となく心持ちが悪いのか、実は前髪の仕上がりが気に入ってないのか、腹でも痛いのか。

 何にせよ、いつもの調子でない由希子の様子を見ていると、こちらもいささか気分が悪い。
 
「どうしたんだよ、由希子。元気無ぇじゃねぇか」
 
 おれの言葉にやっとこちらに目をやったと思ったら、開口一番。皆に訴え掛ける様に声を上げた。
 
「竜也くんさ、本当サイテーなんだよ!」
 
 どうやら今日まで、むしろ今も、先日のエイプリルフールのドッキリ電話の件を根に持っていた様だ。「本当に心配したんだから!」、「わたしの心配返してくんない?」と熱弁する由希子とは裏腹に、
 
「超ウケるんだけどー! 皆んなに掛けてたの?」
 
「お前、よっぽど暇やったんじゃの。由希子も、こいつのしょうもない嘘なんか放っとけばええんじゃ」
 
と、優一と紗良は全く気にも留めていなかった様子。それすらも由希子はやや腑に落ちないといった様子で、頬を膨らませている。
 
 その温度差もまた愉快に思え、カラカラとおれが笑っていると、さらに由希子の頬が膨れ上がっていた。

 
「あ〜。やっぱり皆んないた〜。メシ食ってくでしょ〜。食堂寄っていこうよ〜」
 
 そこへやって来た宗太と真由の呼ぶ声に促され、優一と紗良が由希子をなだめる様にして階段を降りて行く。

 ぷいと口を尖らせながら皆に着いていく由希子。
 
 おれも後に続いていたのだが、いつまでも由希子がこの調子だと心底面倒だ。早めに機嫌を取っておかねばやり辛いったらありゃあしない。
 
「由希子!」
 
 おれは階段を降り切ったところで、先を行く由希子を呼び止めた。
 
「何?」と肩越しにこちらを見る由希子は、冷ややかな目をしている。
 
「チッ」と小さく舌打ちをしておれは由希子から視線を外し、おもむろにタバコに火をつけた。

 目一杯吸い込んだ煙を、ふぅっと一つ空に向かって大きく吐き出し、そいつが高く高く登っていくのを見届けてからまた、由希子へと目をやった。

 
 この春でおれ達は大学三年生。大学生活も丁度半分を終えたこの先、皆や由希子に、あと何度この言葉を掛けるのだろうか。そう思うと少しだけ、胸の奥のあたりがキュゥっとなる様な気がする。
 
 でも、残された時間に限りがあるとはいえ、今はきっとここが皆の、彼女の帰ってくる場所だから。奥の方で締め付けられて、つつけば今にも溢れ出しそうな、何とも言えないこの、モヤモヤとした塊の様なものも一緒に言葉に乗せて、おれは由希子に送った。
 
 
「おかえり」
 
 
 由希子も一つ、視線を外した。その一瞬に由希子が、何を考えたのかは分からない。でも、再びこちらを見る由希子の表情は、またいつもの由希子のそれであった。

 
「ただいま」
 
 
 その一言だけを置いて由希子は、口元の八重歯をキラリと光らせながらくるりと体を返して、さっきまでよりも軽そうな足取りで食堂へと向かっていった。
 
 彼女の後ろ姿を五歩、六歩見送ったあたりで、まだつけたばかりだったタバコを灰皿に放り込み、おれもその背中をゆっくりと追った。