「まあまあタケノン、別にええんとちゃう。どうせ見回りにはこんやろし」
「わたしたちがやらなくても、あとで化学部の子たちがやってくれるから」
 光子はさらっと告げる。
「あっ、あいつにはエサやらんと。これだけは忘れたらやばい」
 栞はふと思い出し、十メートル近く離れた隅の方を指差した。そこには中型の水槽が置かれてあった。
「きゃっ!」
 竹乃は水槽内にいた生き物を目にした途端、思わず仰け反った。視力のいい竹乃はこの場所からでも形状がはっきりと分かったのだ。
「あの子はアフリカツメガエルなんよ。ジュンペイって名付けられとうねん」
 他の三人は水槽に近づく。
「ジュンペイくんって言うんだ。ひょっとして、平べったいからかな?」
 果歩はその子に視点をじっくり合わせながら栞に尋ねた。
「そうそう。第一印象」
「うちのメロンパンスケと同じやな」
 竹乃はその子に目を合わせないようにして呟く。
「たけちゃんは、ジュンペイくんは苦手なんだね」
「うん。アマガエルとかは好きやねんけど、これは模様がちょっとな」
「ワタシはかわいいと思うねんけどなぁ」
「この子は生物学で、遺伝分野の学習の手助けになってるの。竹乃ちゃんも好きになってあげてね」
「そうやっ! この子とお友達になるための第一歩として、タケノンがエサをやってや」
「えーっ」
 栞は嫌がる竹乃に詰め寄り、この子のエサとして日頃から与えられている〝市販の熱帯魚のエサ〟を手渡した。
「しゃあないなぁ。やってみるよ」
 竹乃もしぶしぶ水槽に近づき、ジュンペイから視線をそらしながら水槽にエサを落とした。するとすぐさまこの子はエサに食らいついてきた。
「ん? こいつって、こんな風にエサを食べるんか」
 竹乃は気になったのか、ちらりと目を向けてみた。
「なっ、かわええやろ? シャベルみたいで」
「うっ、うん。ジュンペイくん、偏見持ってごめんな」
 竹乃はこの子に視線を合わせた。好きになれたみたいだ。
 エサやりも済ませ、理科室をあとにする。そして四人で生徒会室へと向かう。新同好会申請のためだ。
「昔遊び同好会か。珍しいのを考えたね。もちろんOK大歓迎よ。活動頑張ってね。かわいい新入生さん」
 三年生の生徒会長は即、承認してくれた。
 これにより、『楠羽女子中・昔遊び同好会』が正式に発足。
 同好会長は竹乃が務める。
「まずはどんな活動からしよっか?」
 果歩は三人のメンバーに問いかける。
「とりあえず、自然の材料を取りに、裏庭へ行きましょう」
 光子は提案した。
 こうして四人は裏庭へ。
「あっ! カラスノエンドウだーっ」
 果歩は花壇の脇に植わっていたそのお花を見つけると、吸い寄せられるように駆け寄った。
「これでお笛作ろう。あっ、でもどうやって作るんだったっけ?」
「果歩、貸してみい」
 竹乃は実の中に入ってある豆と綿をきれいに取り除き、ヘタの方を爪で切り取った。
「ほら、これであっという間にピーピー笛の出来上がりや」
「たけちゃんすごーい!」
「これも昔からある遊びの一種だね。同好会最初の活動になるね」
「タケノン器用やな。スライムも簡単に作ってたし」
 栞と光子もチャレンジしてみた。
「おう、めっちゃ簡単やん。音出たよ」
「自然の遊びはお金を使わず手軽に楽しめるのがいいよね」
 スライムとは違って、二人とも上手く作ることが出来た。
「うちが一曲演奏してみるな」
 竹乃はピーピー笛を口にそっとくわえ、音を出す。
「たけちゃんすごい上手!」
「やるな、タケノン。1オクターブは使い分け出来とうな」
「竹乃ちゃん、さっきは『ゆりかごの歌』だね。素敵」
 三人は竹乃の出した見事な音色に耳を傾ける。
「お姉ちゃんすごーい!」
「もう一回吹いてーっ」
「もっと聞きたいです」
 すぐ後ろフェンス越しに、下校中の小学生たちも聞き入っていた。行儀よく体育座りをして。
「ええよ」
 竹乃は気前よく吹いてあげた。
「それ、どうやって作るのですか?」
 一人が好奇心旺盛に質問してきた。
(今時の子って、ピーピー笛作ったことない子も多いんかな?)
 竹乃は作り方も快く教えてあげた。
「ありがとう、ピーピー笛のお姉ちゃん」
「どういたしまして。ソプラノリコーダーもええけど、これもまたいい音色出せてええもんやで。お嬢ちゃんたちも頑張って音出しや」
 小学生たちは、ピーピー笛を不器用に吹きながら帰り道を進んでいく。
「三年生くらいかな? うちらにもあんな頃があったなぁ」
「小学生って無邪気でかわいいよな。ワタシも戻りたい」
 四人はその様子を、ほのぼのと眺めていた。
 いつの間にか時計の針は六時頃を指し示していた。
「そろそろやな。カホミン、タケノン、面白いもん見せたるよ」
 栞はそう伝えて、校舎から体育館へ繋がる二階渡り廊下へ案内する。
「ここからこっそり覗いてみぃ」
 栞は小声で告げ、裏門のある北側を指し示した。果歩と竹乃はさっそくのぞいてみた。
「あっ、横嶋先生だ」
「誰か待っとうみたいやな」
 その場所から三十メートルほど離れた所に、横嶋先生が辺りをきょろきょろ見渡しながら立っているのが見えた。
 それからほどなくして、そこに自動車が止まった。そして中から、女の人が降りて来た。
「すごい高級外車やな。あの人、ひょっとして彼女、いやちゃうわ。六〇過ぎくらいやし。もしかして、あいつの母さんか?」
「その通りなんよ。よこしまはな、毎日ママに送り迎えしてもらっとんよ。このことは本人ナイショにしとうみたいやけど、この間、忘れ物取りに戻ったら偶然見ちゃってん」
「横嶋先生は、今でもお母様から門限が夜七時って決められてるらしいの。たまに職員会議が長引いて帰りが遅くなりそうな時は、お母様が会議室に乗り込んで来て無理やり連れて帰らせるの。そのことを当然のように知ってる他の先生たちが言いふらしてるからね」
「なんせ、よこしまは芦屋のお坊ちゃんやからね。あの六麓荘に住んどんよ」
「ほんまか?」
 竹乃はくすくす笑い出す。
「いいなぁ、お母さんが迎えに来てくれるなんて」
 果歩は羨ましそうに、お車に乗せられる横嶋先生を眺めていた。
「そうかな? うちは絶対嫌やわ」
 これにて果歩と竹乃、横嶋先生の知られたくない秘密を知ってしまった生徒として、新たに加えられることになった。

 第二話 楽しい遠足日和 

 四月三十日、金曜日。今日は、新入生オリエンテーションの一つ、山登りが行われる。生徒たちは全員、体操服でもあるジャージを着用していた。
 昔遊び同好会の四人は、まとまって一緒に登ることに。
「ハァハァ……あの、たけちゃん、私、疲れてきたよ」
「果歩、大丈夫? でもまだ登り始めてから五分くらいしか経ってへんけど。荷物持ってあげよっか?」
「ありがとう、たけちゃん」
 果歩はさっそくリュックサックを下ろし、竹乃に手渡す。
「うわっ。重たっ! こん中って、もしかして……」
 竹乃は果歩のリュックを下ろし、チャックを開けてみた。
「あ、やっぱり……」
 中身を知った瞬間、少し顔を顰める。
「えへへへ すごいでしょう? たけちゃんちのもたくさんあるよ」
 果歩のリュックの中身は、はち切れんばかりのお菓子類でパンパンに詰まっていた。
「果歩ちゃん、わたしも、これはちょっとやり過ぎに思うよ」
 光子は微笑みながら忠告した。
「だって、中学の遠足は値段制限無いもん!」
 果歩はきっぱりと言い張る。
「カホミンらしい行動やな」
「まあそうやけど。食べ切れんやん。うちにも分けてな」
「もちろんだよ。みんなで食べるためにいっぱい持って来たんだもん」
 そんなわけで果歩の持ってきたお菓子類は、三人のリュックに振り分けた。
「荷物が軽くなって、だいぶ楽になったよ。私、これなら余裕で登れそう」
 四人は頂上に向かって再び登山コースを前進。
 約三〇分後。
「ねえ、たけちゃん、今度は本当に疲れてきたよう。おんぶーっ」
 果歩は再び竹乃に縋り付く。
「山頂まであともう少しやねんけど。しゃぁないなぁ」
 と言いつつも竹乃は嬉しそう。しゃがみこみ、果歩を背中に担いだ。
「わーい。楽ちん、楽ちん」
「重たいなぁ。果歩、ひょっとして体重増えた?」
「たけちゃんひどーい、私そんなに増えてないよう」
 果歩は竹乃の肩をポカポカ叩き始めた。
「肩叩きしてくれてありがとな。気持ちええよ」
 竹乃はにこっと笑う。
「もう、たけちゃんってば」
 果歩はぷっくりふくれっ面になった。
「カホミン、おんぶされとうと、ますます幼く見えるな」
「果歩ちゃんと竹乃ちゃん、姉妹を越えて親子みたいだね」
 光子はにこにこしながら、うらやましそうに眺めていた。
「ミツリン、ワタシもおんぶしてあげようか?」
 栞は光子の手をつかみ、顔を近づけて問い詰める。
「あ、しっ、栞ちゃん、わたしはいいよ。恥ずかしいから」
 すると光子の頬は、ほんのり赤く染まった。彼女も本心としては、栞におんぶしてもらいたいなと思っていたみたい。
 正午過ぎに、他の集団からやや遅れをとって、四人もようやく山頂に到着した。ここでお昼ご飯をとる。
 栞が持参したレジャーシートを広げる。四人同じシートに座った。
「ねえねえ、お弁当見せ合いっこしよう」
 果歩は、プラスチック容器を開け、中身を三人に見せた。
「私のお弁当は、お母さんに作ってもらったの。タコさんウィンナーが一番のお気に入り」
「カホミンのめっちゃ美味そうやね。ワタシのなんかコンビニ弁当だよ。昨日ママとケンカしてん。小遣いもっとあげてって交渉したらな、めっちゃキレられてな。そんで今朝も弁当作ってくれんかってんよ」
「それはかわいそうやな。うちのは、おむすび弁当や」
 竹乃のお弁当は、竹の皮で包まれた、懐かしさを感じさせるものだった。
「すげえ。かの山下画伯もちぎり絵そっちのけで大喜びしそうやね」
「富士山の上で食べたらもっと美味しそうだ」
 果歩はそのお弁当をじっと見つめる。今、彼女の脳内では、小学校の入学式でよく歌われるあの童謡のメロディーが流れていた。
「竹乃ちゃんのお弁当はとっても風流ね。ワタシのは、自分で作ったの」
 光子のお弁当には餃子やシューマイ、麻婆春雨など中華料理を中心に詰められていた。
「わあ、みっちゃんのもすごい!」
「きれいに形が整って、高級料理店にも並べられそうな出来やな」
 果歩と竹乃はパチパチパチと大きく拍手した。
「いえ。昨日の晩、南京町へ寄って買ってきたのをただ並べただけなの」
 光子は照れくさそうに打ち明けた。
「ミツリンのも実質ワタシのと変わらへんね。カホミンとタケノンの本当の手作りのん、うらやましい」
「それじゃ、みんなで分け合いっこしようよ」
 果歩は提案する。他の三人も大いに賛成した。
「いただきまーす」
 果歩が、竹乃のお弁当のおかず・オカカ味のおむすびにかぶりつこうとしたその矢先、
「きゃーっ!」
 とある昆虫が、果歩の鼻の上辺り目掛けて飛んできた。
「あっ……」
 果歩は驚いてとっさに手で大きく振り払い、その際いっしょにおむすびまで放り投げてしまった。
「あーん、待ってーっ、おむすびさーん」
 そのおむすびはそのまま山の斜面をコロコロコロリン勢いよく転がっていく。
 果歩は慌てて拾いに行こうとするも、
「危ないからやめ!」
 竹乃に袖をクイッと引かれ、阻止される。そこは登山コースから外れた急斜面だったからだ。
「でっ、でも、たけちゃんの、おむすびが……」
 むなしく木立の中へと消えていく。
 果歩はとても悲しそうな表情を浮かべていた。目には涙がうるうると。
「ハハハッ、実写版〝おむすびころりん〟やな」
 栞は大声で笑う。
「素晴らしい物理法則を目撃させてもらいました」
 光子は水筒の烏龍茶を飲みながら、微笑ましく眺めていた。
「わーん、こうなったのもクマバチさんのせいだーっ。たけちゃん、ゴメンね。せっかくのおむすびさん」