「あ、やっぱり。カホミンったら」
 栞はくすっと笑った。
「わたしもお注射大嫌いだから、果歩ちゃんのその気持ちよく分かるわ」
 光子は深く同情してくれる。
「結局お口あーんってして、ポンポンに聴診器当てられるだけで済んでよかったよ」
 果歩は照れくさそうな表情を浮かべた。
「果歩ちゃん、これ、今日の授業の分のノートとプリントよ。写してね」
「ショウガ風味の水飴、風邪によく効くよ」
「カホミンの大好物、抹茶プリンも買ってきたよ」
 三人はカバンからいろいろ取り出し、果歩に手渡す。
「ありがとう四人、私今めっちゃ幸せだよ。明日までにはしっかり治すね」
 果歩は満面の笑みを浮かべて受け取った。

 ぐっすり寝て、翌朝にはすっかり元気になった果歩は、楽しげな気分で登校。
 けれどもこの日の朝のホームルームで期末試験の日程範囲表が配られ、
「期末は三日間もあるのかーっ」
「中間からさらに家庭科、保体、美術、音楽が増えて九教科もあるんがきついー」
 果歩はもちろん竹乃も、落胆した気分に陥ってしまったのであった。
 
 第八話 光子と栞、仲たがい?

 七月一日、木曜日の三・四時間目。
 中学部一年一組は今回が一学期最後の家庭科の授業。その締めくくりとして調理実習が行われることに。先週まではエプロン製作をしていた。
 クラスメイトたちの多くは、完成させたエプロンを身に着けている。
「今回は野菜炒めを作りますよ。各自にお任せしますので、出来ましたら持ってきて下さいね。梅雨の時期ですし、食中毒にはじゅうぶん気をつけて下さいね」
 家庭科担当の先生はそう申された。班分けも各自自由にということで、竹乃たち四人は同じ班になった。さっそく作業に取り掛かり始める。
「私、にんじんさん切るね」
 果歩は持参していた、刃先の丸まった子ども用包丁を手に持った。
「果歩、手を切らないように気をつけてな」
 竹乃はとても不安そうに果歩を眺める。
「たけちゃん。この包丁なら大丈夫だよ。おウチでいつも使ってるもん」
 果歩は左手でにんじんを押さえ、右手に包丁を持ってトントン切ってゆく。
「果歩、うちと違って上手やな」
「果歩ちゃん、切り方がとってもかわいらしいね」
「えへへ、ありがとう。私、ウサギさん型が一番得意なの」
「ワタシ、タマネギとピーマン切ったるな」
「しーちゃん、ピーマンはみじん切りにしてね。じゃなきゃ食べれないの」
「OK! ピーマンはワタシも苦手やねんよ」
 栞はゴーグルを身につけ、包丁を両手に持った。
「そりゃあああああああっ!」
 そして勢いよく振り下ろし、まな板目掛けて交互に刃先を激しく叩きつけた。
 野菜は生き物のように踊り出す。
「どや! これぞNANTA風。包丁は楽器代わりにもなるねん」
「栞、二刀流やな」
「しーちゃんかっこいい。でもなんか見てるこっちの方が、目が痛くなってきたよ」
「栞ちゃん、危ないからやめて。あとで床、ちゃんと掃除してね」
 野菜炒めを完成させるとお皿に盛りつけ、果歩が先生に見せにいった。
「デリシャス! 安福さんたちの班、一番優秀ですよ」
 先生は果歩の頭をなでた。
「ありがとう先生。私、照れちゃうな」
 果歩の頬は、熟したトマトのように赤くなる。

「ちょっと、二星さん」
「なんよ?」
 授業終了後、実習室から出ようとしたさい、栞は家庭科の先生に呼び止められた。
「あなた、エプロン未提出でしょう? もうとっくに提出期限過ぎてるわよ。何度も催促してるのに。今からでもいいから早めに提出しなさい。一組ではあとあなただけよ」
「分かってます、分かってます。やったけどね、家に忘れてきてんよ」
「分かりやすい嘘を付きなさんな」
 先生は呆れてため息をついた。
「なあ先生、この間お魚さんあげたやろ? その件について、点数加算してくれへんか?」
「それとこれとは話が全く別です。あともう一点。被服実習室のミシン、何台か糸絡ませたままに放置してたでしょ?」
「ああ、ワタシ、ミシン使うのめっちゃ苦手でさ、いつもいつの間にかああなってまうねんよ。あーもうしつこい、しつこい」
「キャッ、キャーッ!」
 栞は笑顔で誤魔化し、先生に蜘蛛の形をしたゴム製おもちゃを投げつけ走って逃げた。
「コレ! 二星さん、待ちなさい! もうっ! あの子ったら中学の時から全然態度が変わってないんだからっ……あら、このおもちゃ。なんか懐かしい……」

       ☆

 あれからちょうど一週間後の七月八日。
「やっと期末終わったぁーっ。ほんま長かったな。もう気分は夏休みや。中学生活最初やし、遊びまくるよーっ」
「この開放感が最高だね。結果は……考えないことにしよっと」
 竹乃と果歩は最後の教科、理科の試験が終わった後、近くに寄り添って喜びを分かち合う。
「ミツリン、この間借りとったマンガ返すわ」
 栞は光子の席に駆け寄り、カバンの中からそれを数冊取り出した。
「やっと持ってきてくれたのね。わたし、一ヶ月以上は待ってたのよ。言わなきゃ返してくれないんだから」
「すまんねえミツリン」
 光子は返してもらった本をパラパラめくった。
「あ、ちょっと栞ちゃん、このページ、すごい汚れてるじゃない」
「そこ、シュークリーム落としてんよ」
「もう! 大事に使ってねって言ったのに」
「古本屋でも買い取ってくれんかったしな」
 栞はケラケラ笑いながら打ち明ける。
「ちょっと! 古本屋で売ろうとしてたの? ひっどーい!」
「なんよ、ええやんか別に。また新しいの買ったら済むことやん。ミツリンち金持ちなんやし。なっ」
「そういう問題じゃないの。だいたい栞ちゃん物の使い方が悪いよ。もっと大事に扱わなきゃ。だらしがない。プリント類はすぐ無くすし、体操服も置きっぱなしにしてること多いでしょ。体育の授業の時、すごく汗臭いのよ、分かってるの?」
 光子はくどくど説教を続ける。
「あのさ、ミツリン。ワタシ、そうしつこく言われるとすんごい腹が立ってくるねんよ」
 栞は口をへの字に曲げた。
「あっ、そう。じゃあ物分りの悪い栞ちゃんにもっと言ってあげるね。ノート貸してあげた時もお醤油こぼしてたでしょ? わたしの教科書に落書きしたでしょ?」
「はいはいやりました。ごめんねーミツリン」
「なっ、なんでへらへら笑ってるの? 全然反省してないじゃない!」
 光子はそう言い、いきなり立ち上がった。
 そして、栞の頬をパシンッと思いっきり叩いたのだ。
 その直後、教室内は数秒間音が消えた。
 外にいる、クマゼミの鳴き声だけが聞こえていた。
「……なっ、何すんねんよ!」
 栞は教室内の静寂を切り裂くように大声を張り上げた。光子を鋭い目つきで睨み付け、両手で思いっきり突き飛ばす。
「きゃっ!」
 そのさい光子はバランスを崩し、イスの角に肘をぶつける。
「いったーい。栞ちゃんこそ何するの、栞ちゃんのアホッ!」
 光子は目に涙を浮かべながら栞に向かって罵声を上げ、逃げるように教室をあとにした。
「なんよ、あいつ」
 栞は教室の扉の方へ視線を向ける。
「あっ、あの、栞」
「しっ、しーちゃん……」
 果歩と光子は突然の出来事に、ただただ呆然とするだけだった。
「……」
 栞は無言のまま教室から立ち去った。
「たっ、たけちゃん。きっとしーちゃん、みっちゃん呼び戻しに行ったんだよね?」
「そやろな。たぶん、謝りに行ったんとちゃう」
 果歩と竹乃は動揺していた。
「あの二人のケンカ、久々に見たよ」
 クラスメイトの一人が発した。
「なぁ、栞と光子って、これまでにもケンカしたことあるんか?」
 竹乃はその子に尋ねてみる。
「うん。小学校の頃はしょっちゅう、ほぼ毎月のようにしてたよ。でも、いつもケンカした翌朝には、何事も無かったかのように仲直りして一緒に登校して来るし、今回も大丈夫なんじゃないかな」
 そう聞かされ、果歩と竹乃はホッと胸をなでおろした。

          ☆

 翌朝。
「あれ? しーちゃんは、まだ来てないんだね」
「光子だけか」
 果歩と竹乃は登校してくるとすぐさま教室を見渡し、光子の席へ向かった。
「あっ! しーちゃん、肘のとこ、大丈夫?」
「うん。ちょっと血が出てただけだから」
 光子の右肘には、大きめの絆創膏が貼られていた。
「なぁ光子、栞知らんか?」
「知らない!」
 光子はそう強く言い放つ。彼女はムスッとした表情をしていた。
 朝のホームルームで、楞野先生から栞が欠席であることを告げられた。
「魚井さん、おウチ近いでしょう。これ、二星さんのおウチに届けてあげてね」
 終わったあと、楞野先生は諸連絡の書かれたプリントを光子に手渡した。
「嫌です」
 光子は顔をプイッと横に向けた。
「あらあ、久々にケンカしちゃったのね。それじゃ先生が届けてあげる」
 楞野先生はにっこり微笑む。
「たけちゃん。しーちゃんとみっちゃん、まだ仲直りしてないみたいだね」
「うん。これは予想外やった。二人の亀裂は思った以上に深いな」
 果歩と竹乃は、とても気にかけていた。
 今日からは、授業は午前中で終わり。
 帰りのホームルームが終わったあと、
「みっちゃん、一緒に帰ろう」
「光子、はやく栞と仲直りしてーな」
 果歩と竹乃は光子のもとへと駆け寄っていく。
「絶対嫌っ!」
「待ちや、光子」
 光子は振り切って逃げようとするも、竹乃にあっさり捕まえられてしまった。
「たっ、竹乃ちゃん、放してよう」
「なぁ光子、ほんまは、栞と仲直りしたいんとちゃうん?」
「そんなこと絶対無いもん!」
 光子は体を揺さぶりながら強く言い放つ。
「正直に言ってみい。お顔見たら分かるんよ」
 竹乃は光子のお顔をじっと見つめ続ける。
「……」
「光子、今すごい寂しそうな表情してはるで」
 それから、一分ほど沈黙状態が続いた。
「……たっ、竹乃ちゃん、わたし、わたしね……しっ、栞ちゃんと、仲直りが、仲直りがしたいよううううううう」
 光子はついに打ち明けた。それと共に目から涙をぽろぽろ流し始めた。
「やっぱりな。今日朝会った時からなんとなく分かっとってん」
 竹乃は抱きしめて慰めてあげる。
「みっちゃん、泣かないで」
 果歩も頭を優しくなでであげた。
「それでわたし昨日ね、メールを送ったんだけど、返事が来なかったの。もう、わたし栞ちゃんに完全に嫌われちゃったのかな? 一昨日の晩には本を返すようにしつこく催促メールも送ったりなんかしたから……」
 泣きながら話す。
「みっちゃん、そんなことは絶対ないよ。確信出来る!」
「よしよし、うちがなんとかきっかけ作ったる!」
 
 竹乃はおウチに帰り着くと、すぐさま松恵お母さんのいる駄菓子屋へ。
「ただいまーっ。母さん。今な、栞と光子、ケンカしてもとんよ。どないか仲直りさせたいねんけど、何かいい方法思いつかへん?」
「あらまぁ、あの二人が意外ね。それなら、いい方法があるわよ」
 松恵お母さんは笑顔でそう告げて、商品棚の奥の方を探し始めた。
 何か、秘策でもあるのだろうか?
 
       ☆

 七月十日、土曜日。朝九時頃、栞のおウチの前。
(……押さなきゃ)
 光子は勇気を振り絞って、インターホンを鳴らした。
「はーい」
 数秒後、応答したのは、栞のママだった。
「あのう、栞ちゃんはいらっしゃいますでしょうか?」
「あら、光子ちゃんじゃない。おはよう。ごめんなさいね、今栞ね、留守にしてるの。明石の方へ行くって言ってたよ。高校野球の兵庫大会でも見に行ったのかしらね。昨日も学校サボって行ってたみたいだし。あの子ったら……」
「そうですか……」
 光子は残念に思いながらも安心した気分にもなっていた。このあと徒歩で竹乃のおウチへ向かった。
 辿り着いて、竹乃に出会うと、
「おはよう、竹乃ちゃん」
 光子は俯き加減で挨拶する。
「おはよ光子。大丈夫か? 元気なさそうやな」